第23話 勇者流魔獣退治

 3年前、世界は魔王たちの脅威が去り、平和になった。


 表向きはそういうことになっている。多くの人々が安定した生活を取り戻し、新時代に花を添えるアイドルの文化が各地で芽吹き始めた。世界中の強者たちは闘争から身を引き、一致団結の道を進んでいる。

 しかし、その裏では様々な闇がいまだに残っていた。


「これはまた、でかいのが来たな…」

 体長は約4m。周囲の木々より少し低いが3mくらいの高さもある。全身は墨のように真っ黒で、姿形は猪に近い。駆け足でやってきたソレはハルトの姿をとらえると停止し、じっとその姿を見定めていた。


 魔獣。

 魔王侵攻時に人間たちの前に現れ、時には魔人に従い、時には本能のままに暴れる恐ろしい化け物。魔人が元々連れているか、普通の動物たちが魔人の不思議な力によって変化するか、出現パターンはそのどちらかに分類される。

 身体構造は動物とほぼ同じ。知性はあると思われるものの言語は喋れず、そのほとんどは魔法のような人知を超えた力を使わず、単純な肉弾戦を仕掛けてくる。ただし、恐ろしく強靭な身体を持つため、普通の猛獣と同等だと考えて戦うと簡単に命を落としてしまう。鳥型、魚型なども存在し、陸海空すべての先行突撃部隊として人間たちと戦っていた。

 魔王討伐後、魔人とともに全て世界中から消滅されたと思われていたが、3年経った今もその存在が少数だが確認されている。しかし、どういう原理なのか、真夜中の、それも森林や海中など人里離れた場所にしか出現しないため、世界中の人々の多くはこれに気づいていない。またはその事実を信じていない。それは、遭遇したとしても、その場で殺されるか、運よく逃げてもお化けや猛獣の類だと誤認されているからである。


「細かい動きはできなさそうだし、手数で攻めるか」

 ハルトは魔獣を正面にして、左足を後ろに引き、前傾姿勢をとる。相手が攻撃するその瞬間を静かに待ち構える。魔獣も地面を強く踏みしめ、突撃態勢をつくっている。


 その魔獣を退治するため、魔王討伐で役目を終えた勇者の3分の1は国家専属の警備部隊や自衛部隊(表向き『軍隊』という名称は世界的に廃止している)に所属し、残存する魔獣を討伐している。また、そのほかの勇者や戦力足りうる魔法使いたちもフリーランスで魔物退治を生業にしている。かくいうハルトも最近まではその仕事に勤しんでいた。

 つまり、今もなお、魔獣の血が裏取引されているのはこの現実が残っているためである。


 痺れを切らした魔獣がついに地面を蹴りだす。巨大な体躯が暴力の塊となって、周囲の草木を蹴散らしてハルトに突撃する。それに合わせてハルトも駆け出す。強力な魔法の発動時に生じる発光がハルトの輪郭を鮮明に浮かび上がらせる。その直後、すぐさまその輪郭は加速によって形を崩し、一筋の大きな光へと変わる。

 その光は魔獣の体躯のすぐ右側を高速で通り過ぎる。それと同時にすれ違った魔獣の体躯から血しぶきが勢いよく飛び出す。

「いい切れ味だ。これなら!」

 刃に付いた血を払い落とし、再び駆け、魔法で加速する。今度は左胴を真一文字に大きく切りつける。さらに反転、体勢を低くして左足を狙いにかかる。

「なにっ?!」

 しかし、突撃するハルトを迎え撃つように上から何かが迫ってきた。即座に左に体をひねり、それを避ける。そのまま魔獣の斜め後ろまで移動し、距離をあける。

「なんだ、あれ…」

 よく魔獣の体を見ると、切りつけた胴体の傷口から赤黒い触手のようなものが何本かうごめいている。どれも人の腕くらいの太さがあり、攻撃を受けたり、捕まったりしたら大ダメージは免れない。

「これがエリオが苦戦していた原因か」

 あの触手がさらに増えたり、切っても再生する可能性が残っている以上、スピードを生かした短刀による単純な接近攻撃では、いくら手数を増やしても反撃される可能性がある。

「だとすれば、一撃で決めるしかないな」

 エリオとの戦いのダメージが蓄積されているのか、魔獣本体の動きはやや鈍い。次の動きに入られる前に倒すのが得策といえる。

ハルトは右手に持っている短刀を鞘に収めて懐にしまう。無数の触手を纏う魔獣を真正面に見据え、右半身を後ろに引いて構える。

「よし…」

意識を集中する。先ほどと同じようにハルトの体が輝きはじめる。違う点はその輝きの色。太陽のもとで晴れ渡る大空にように、どこまでも澄み渡る海原のように、それはとても蒼かった。この輝きこそ、ハルトが『蒼穹』という本人曰く非常に恥ずかしい二つ名を付けられた所以である。


「一射絶命!」

握った拳をさらに強く握りしめる。一方、魔獣は体から溢れ出るいくつもの触手の全てをハルトに向ける。それぞれが鎌首をもたげる大蛇のごとく、ハルトを仕留めようと威圧し、襲いかかる。

同時にハルトが地面を右足で蹴り抜く。そして、それとほぼ同時に魔獣の触手は巨大な壁に押しつぶされたかのように全て潰され、赤黒い残骸に変わる。魔獣の体躯も家屋が倒壊するような軋む音をたててあらぬ方向に曲がり、遥か後方へとまるで球のように飛んでいった。いくつもの樹木に体をぶつけるも止まらず、巨大な岩に激突してようやく静止した。


「魔法の加護があるとはいえ、さすがに痛いな…」

 激突の衝撃で砕けた岩の残骸が魔獣の体に突き刺さっている。もはや原型から大きく逸脱した姿に成り果てた魔獣は、少しずつ黒い霧が体から漏れ始め、その姿を跡形もなく消した。

 遠くから終わりを見届けたハルトはその場に座り込む。

「久しぶりに使ったが、なんで無事なんだろうな」

 加速の魔法によって音速を超えるスピードで突撃するこの技。超高速で移動するため、一気に押し出されたハルトの前方の空気が巨大な槌のように対象に叩きつけられ、さらにそのまま音速を超えた拳が空気の壁を破壊し、衝撃波とともに破壊の限りを尽くす。まさに人間離れした凄まじい一撃(実際には複数回の衝撃が加わっている)なのだが、普通の人間なら生身で音速に達したものなら、体が無事で済むはずがない。しかし、それすらも耐え切る力をもたらしてくれるのが、魔法の凄さと恐ろしさである。

「しかし、見事なまでに滅茶苦茶にしてしまった。こりゃさすがに大事になりそうだな」

 周囲を見渡すと、魔獣が吹き飛ばされてできた一本の大きな道に加え、ハルトの半径十数mは木々がなぎ倒され、草や大地がえぐりとられ、巨大な空間ができていた。

「まぁ、気にしてもしかたない。さて。夜明けまで後4時間くらいか…。少し、寝るか」

 魔法の代償として負ったわずかな裂傷と筋肉痛のような体の痛みに立ち上がることが面倒になったハルトは、とりあえずその場に寝転んで、混ざり合うたくさんの感情と溜まりに溜まった疲労を忘れることに努めた。

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