第16話 レッスンスタート!

 厨房から野菜を刻む音が聞こえる。軽やかなBGMのように一定のリズムを奏でるおいしそうな音を耳で楽しみながら、カウンターに座る女性陣は朝食の到来を待っていた。

「お姉ちゃん眠そうだね?ごめん…私が昨日喋りすぎっちゃったせいで」

 口に手を当てて大きくあくびをするエリオを覗き込んで心配するセレナ。

「いや、これはそれとは関係ないから大丈夫。セレナのせいじゃない」

 左手を小刻みに振り、慌てた様子のエリオ。

「でも、結構遅くまで盛り上がってたよねー。なかなかミーアちゃんこっちの部屋に帰って来ないと思ったら、そっちの部屋で寝ちゃってるんだもん」

「あはは…。2人ともアイドルに詳しいので、楽しくなっても僕もつい…」

3人、特にセレナとミーアは一夜のうちに意気投合していた。


「出来たぞー」

厨房からエプロン姿のハルトが出てくる。配膳用の大きなトレイの上には大きめの皿が2つ。片方には色とりどりの具材が入ったサンドイッチ。もう片方には緑黄色野菜が中心のサラダが盛られている。

「これはまた見た目がきれいでおいしそうだねー」

目を輝かせるようにして、料理に体を寄せるリズ。

「サンドイッチか。久しぶりに食べるな」

「こっちだとあまり見ない気がします」

「オーランドでは気候上の理由から小麦はほとんど栽培されてないからな。盛んなのは北にあるマウントリア国だけど、この国とは犬猿の仲だから、まず流れてこない」

 ハルトが姉妹にざっくりと説明していると、

「おいしい!これがパン、そして、サンドイッチなんですね!噂で聞いていましたが、これは…うん、いけますね」

 早くもミーアがサンドイッチにかぶりついていた。

「ようやく、マウントリア側と交流のある商人が見つかって仕入れることができたんだ。街の北側でパン屋を開く人とも出会えたから、その人たちと協力して、これからメニューに小麦を使ったものを追加していこうと思う」

「じゃあ、これからもっといろんなメニューが増えていくんですね!」

 高まる期待に目を輝かせるセレナに、

「そうだねー。まぁ、この店の行く末はセレナちゃんのライブ次第ってのも混ざっているけど」

 リズが横槍を入れる。

「わかってます、わかってますよ…。ところで、今日からどんなレッスンをするんですか?」

「僕がパフォーマンスやアピールのところから教えようと思う。アスティナがクールやミステリアスを売りにするなら、セレナちゃんはその反対を磨いた方が差別化が図れるからね」


 そして、今日もいつも通りに店は開店準備を進める。

「いいねー。セレナちゃん、本当に最高!!」

 そんな店内でリズは下衆な笑みを浮かべ、セレナに向かって親指を立てるポーズをする。

「こ、これは…」

 困惑するエリオ。

「この服はどうしても着なきゃいけないんですか?」

「うーん、確か『少し恥ずかしくなるようなかわいい服』があるといいと言って、リズさんにお願いはしたけれど…」

「えー、せっかく私が持ってきたんだから、このまま着てよー」

「いや、でも、この服だと胸がちょっと…」

 最初のレッスンは、店で『かわいく』給仕をすること。ミーアの手本に習ってやるとのことだったが、レッスン時に着てほしいとリズが頼んだ特注の店の制服は白と黒を基調としたオフショルダーの服。肩と一緒に鎖骨のあたりから胸元手前まで露出しているため、胸が大きいセレナが着るとその谷間が見えて存分に目立つ格好になってしまう。さらに、下はミニスカートと黒のハイソックスで、少しだけ見える肌が見方によってはなんとも扇情的である。

「いいよー。セレナちゃん、最高!!!」

「なぜ二回も言う?しかし、こんな服いつの間に用意していたんだ…。お前が来たのは昨日のはずじゃ…」

 ハルト曰く、勝負の話が出た直後にリズに連絡を取り、やってきたという。しかし、リズの暮らす街はここから馬車に乗っても5日間はかかる。その距離を1日でどうやって来たのか。

「いやー、ハルトの魔法は移動に関してはすごく便利だからね。途中で買い物する余裕もあるくらいに。たまたま見つけてきっとどこかで使えるなって思ったわけだよ」

「魔法の力恐るべし…といったところか」

 自分の手のひらを見つめながら、エリオはそう呟いた。

「これでお仕事なんて、無理ですー!」

 一方、すでに泣きだしそうなセレナ。

「変な店にだけはするなよー。ここは健全なただの喫茶店だ」

 我関せずといった素振りで厨房から声をかけるハルト。レッスンに関してはリズに口を出せないという取り決めをしてしまったので、助け舟は出せない。

「なにか変なことをしそうなやつがいたら、私が守るから大丈夫だ」

「まぁ、仕方ないですね。セレナさん、僕が全身全霊で教授させてもらいますので、一緒に頑張りましょう!」

 それどころか、誰も制服に反対してくれず、セレナは本当に泣いてしまいそうな気持ちになった。

「もう、どうにでもなーれ…」



 今日の店はいつも以上に大盛況だった。それもそのはず、ウェイトレス2人が地下酒場で人気のアイドルと、注目度の高かった女の子なのだから。

「姉妹の次はミーアちゃんまで…。店長。一体どうやってこんな状況を作ったんだ?」

「しかも、カウンターにいるあの女性はなんだよ。いつの間にあんな嫁さんを…」

 常連の男性客たちはさらに進化したこの店の従業員構成に驚いている。

「あいつは嫁じゃないことだけはしっかり言っておく。そのほかに関しては企業秘密で」

 ハルトも今日何度目になるかわからないこの手の質問に答えるのがいい加減面倒になってきたので、適当な返事で済ませるようになってきた。

「はい、ご注文ですね。かしこまりました。少々お待ちください」

 セレナはあの制服を着たまま、注文に対して、少し声色を変えて応対したり、注文確認の最後にウインクをするなど、過剰なほどに愛想を振りまいて接客をしている。

「あっ、今日もご来店ありがとうございます。いつものお席空いてますよ」

自分から来店客に話しかけたり、

「そうなんです。来週広場で歌うことになったんです。良かったら来てくださいね」

ライブの宣伝もしっかりやっている。

「なんか吹っ切れてるな、。さっきまであんなに嫌がっていたのに」

「これは眠れる獅子が目覚めたかなー。自然な範囲での可愛いアピールはなかなか評価が高いよ」

「結構やれるもんだな。ずっと震えて縮こまっているかと思った」

「直前で誰かさんが餌付けしちゃったからじゃない?応援コメントつきで」

「そんなもんでやる気が出るものなのか?」

「さぁねー」

カウンターからセレナに気をかけるハルトとリズ。

「でも、これだけやってたら、さすがに客の方も…」

「まぁ、そこに関しては、ねぇ」

「そうか…、愚問だった」

2人が見ている先で、案の定、接客中のセレナに口説きにかかる男が現れた。これにはセレナも対応に困り、苦笑いを浮かべていた。さらに、男がセレナの手を触ろうとすると、2人の手の間を銀色に輝く何かが高速で通過し、テーブルに突き刺さる。

「お客様。従業員への迷惑行為はやめていただけますか?」

見事にテーブルへ突き刺さった飛来物であるフォークを引き抜いて客に注意するエリオ。その顔は一応形だけは笑顔だったが、少し触れたら一気に鬼の形相に変貌しそうなくらい引きつっていた。

「店の備品はもう少し大事に扱ってくれるとありがたいなぁ」

 聞こえないようにぼそりと愚痴をこぼすハルト。

「本当はもう少しいろいろ考えていたんだけどねー。後が怖いからやめたよ」

「それは賢明な判断だ」

 

 すると、カウンターに少し手が空いたミーアがやってきた。

「すごいですね、セレナさん。彼女なりのアイドルらしさが形になってきてますよ。あの仕草は僕も見習いたいくらいです」

アイドルのミーアが評価するくらい、セレナのかわいさを意識した喋りや仕草は板についてきている。

そのセレナはと言うと、

「は、はい。そうなんです。私昔の記憶がなくて…」

客から自身の記憶喪失について聞かれていた。いつの間にかリズが話を広めていたという。客の男たちからは、『大変そうだけど頑張って』『ライブ応援してるから』とセレナを励ます声が聞こえる。

「ありがとうございます。はい!頑張りますね」

セレナも明るい笑顔で声援に応えている。

「記憶がないのに強いですね、セレナさん」

「…あ、あぁ、そうだな」

「ハルトさん、どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」

その姿をハルトは真剣な表情で見つめていた。



「はぁ~、少し休憩させてください…」

 ピークもいったん過ぎ、客と仕事からようやく解放され厨房にやってきたセレナ。

「お疲れ様。見事なまでの働きっぷりだったな」

調理台に寄りかかってうなだれるセレナの頭に軽く手を乗せて少しだけ優しく撫でる。

「えへへ...ありがとうございます」

一気に顔を緩ませる。

「ほら、これでも食べて午後からもがんばれ」

ハルトは先ほど出来上がった料理をセレナの前に並べる。

「あっ、パスタですね!」

ミートソースがかかったパスタにオニオンスープ。

「おいしいです!そういえば、パスタもこの国ではほとんど見ないですよね…。じゃあ、これも新メニューになるんですか?」

「あぁ」

幸せそうな笑顔でパスタを食べるセレナ。ハルトが渡したエプロンをつけているので、制服が汚れる心配もなく、気兼ねなく食べられる。

「楽しみです!これなら午後も…。あの…もしかして午後も?」

少し引きつった顔でセレナがたずねる。

「午後は歌とダンスの練習だって言ってた」

「ふぅ、良かったぁ」

「ちなみにこの接客特訓は毎日あるんだとさ」

フォークが床に落ちる音が厨房に虚しく響きわたった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る