第34話 開演 乙女は唄う

 本日は快晴。まさに祭り日和といえる絶好の好天気である。

 街中はあちこちで賑わい、普段は比較的静かな西側の草原地帯も観光客でにぎわっている。中でも今回の祭りのメイン会場である中央広場はもう桁違いの盛況っぷりとなっている。お昼を過ぎ、夕方へと徐々に近づいているが、むしろ客の数はさらに増えていく。


「猫の手を借りたくなるほどの忙しさだねー」

「いやはや、これほどまでとは…」

 その中央広場に数多くの出店が軒を連ねる。その中には、もちろん『アロウズ』の屋台もある。

「ほら、お客さんが並んでいるから、もう少し手早く頼む」

今日のメニューである『ホットドッグ』は小麦のまだ普及していないこの国では珍しいようで、売れ行きはかなり良い。

「日差しと熱気が…。暑いのは苦手なんですけど」

「ハルト、僕もお腹が空いたんだけど、朝から全然休む暇もないし…」

「もうちょっと頑張ってくれ。ライブが始まるまでの辛抱だ。しかし、予想してはいたが、それ以上の大盛況だ」

さらに、売り子をしているのが、今や地下酒場を知らない人たちにも人気のミーアに加え、知識が多少ある人なら知っているAランクアイドルのオリビアである。人が集まらないわけがない。

「そういえば、ハルトもそろそろあっちに行った方がいいんじゃない?こっちはなんとかなりそうだし」

「リズ…お前が俺を気遣うなんて、雨が降りそうだな。これからライブなんだから、普段と違う行動はそれくらいでいいぞ」

「へぇー、なかなかに言ってくれるじゃない。後で覚えとけよ。ま、これはセレナちゃんを気遣ってのことだから。ほら、さっさと行ってくる」

「わかった。後はよろしく頼む」

ハルトは店を後にして、会場のステージ裏へと向かった。



ステージ裏ではセレナとアスティナがいた。それに何人かのスタッフがもうすぐ始まるライブの準備を進めている。

「悪い、セレナ。遅くなった」

曲の振り付けだろうか。セレナは足でリズムを刻みながら、腕を動かしている。

「大丈夫ですよ。外のお店の方も大賑わいみたいですね」

「あぁ、主役の2人のおかげでな」

ハルトはセレナと、奥で椅子に座っているアスティナを交互に見る。

「システィ…いや、アスティナかな、この場合。なんだかんだ今日までいろいろ手伝ってくれてありがとう」

腕を組んで固い表情を崩さないアスティナが、ハルトたちの方に顔を上げる。

「私“たち”はやるべきことをやったまで。後、この姿の時はアスティナでいいから。それと、呼び捨てでいい。セレナも」

『わかった…』『わかりました…』とやや困惑気味に答える2人。どうやら、いまいちよくわからないが、成長後のアイドルの姿はシスティの別人格みたいな“設定”と考えられる。2人は『ちょっと面倒だな』という気持ちを顔に出さないよう抑える。

システィ本来の実は世話好きで正義感旺盛な、やや口うるさそうな性格は影も見せず、アスティナは以前見たパフォーマンスにも出ているように、寡黙で近寄りがたい雰囲気を全開に出していた。そのため、スタッフも必要最低限しか声をかけていない。

「これが、プロ根性というやつか…」

「私も見習わないと…」

「いや、セレナはそういうの気にしなくていいと思う。普段どおりでやってくれ。ボロが出るから」

「なんか複雑な気持ちです」



 そうこうしているうちに、ライブの開始時間が迫ってきた。スタッフの呼びかけに、先に出番を迎えるアスティナが席を立つ。客席の方からはすでに人気アイドルの登場を待ち焦がれる人たちの歓声が聞こえている。

「それじゃ、お先に」

 アスティナはステージへと歩を進める。

「がんばっ…」

 すれ違う時、セレナは応援の言葉を投げかけようとするが、途中で思わずその言葉を飲み込んでしまう。

 他の音を全てかき消してしまうファンの声援に一切怯まない。真っ直ぐな目線、堂々たる風貌。舞台という名の数々の戦いを成功で収めてきた女性のその姿に、安っぽい社交辞令など、贈るほうが無礼に思えてしまった。

「これが、アイドルなんですね…」

 自分が目指す姿とは異なるけれど、これが彼女なりに行き着いた答えなのだろうか。

「いいえ、アスティナだって、きっとまだ…」

 きっと、これすらもまだ道半ばに過ぎないのだろう。自分は果たして彼女に追いつくことはできるのだろうか。そんな不安が胸中をよぎる。

「プレッシャーになるかもしれないけど、しっかり見ておくんだ」

 ハルトはそんなセレナの肩を両手でしっかり掴む。震えないように、気圧されないように。

「…はい!」


 そして、美しき乙女アイドルの舞台が幕を開ける。



 アスティナの登場と同時に、歓声が割れんばかりの勢いで鳴り響く。しかし、それも束の間、1曲目のイントロが流れると同時に声はぴたりと止み、誰もが彼女の一挙手一投足を逃すまいと、真剣な眼差しで見つめている。


 


 1曲目は静寂に包まれたライブ会場に、清涼と熱狂、二つの風を運び込むダンスナンバー。ヘッドセットを付けて、身体全てを使って歌い踊る。しかし、決して激しくはなく、彼女のクールな一面を存分にアピールできる曲だ。

 アスティナは歌うことよりも踊ることの方に特化しているため、この手の曲は十八番である。『成長』の魔法によって20歳の姿になった彼女はスラリと伸びた手足を武器に、難易度が高いと思われる振り付けを綺麗にこなしていく。


『たった一つのその想いを、さぁ、私の心にぶつけてきて』


『だけど、誰よりもあなたを手に入れてしまいたいから』


 曲は、心が滾るような恋に燃えるけれども、そんな情熱的な自分を決して見せず、逆に相手が求めるように深い愛へと誘っていく、そんな大人の女性のプライドと恋愛をテーマにした歌。欲しいけれど、素直に欲しいとは言わない、そんな恋の駆け引きを、二つの側面で歌い分ける。

 ほとんど喋らず、ミステリアスな雰囲気を醸し出す彼女が歌うと、『本当にそんな恋愛をしているのではないか』と思ってしまうような気持ちになる。

 時折、流れ落ちる汗が、耳を済ませてもなかなか聞こえないくらいのわずかな荒い吐息が、歌に込められた必死な愛情をどこか強調させていく。


 観客はボルテージが高まり、曲のリズムに合わせて、腕を上げ、声をあげ、熱をあげていく。同調されたその動きも圧巻の一言に尽きるが、大勢の観客のその動きすら、彼女の激しいダンスの前では大したものではないように見えてしまう。それくらい、アスティナの踊りは情熱的で魅力に満ち溢れたものだった。


『お願いだから、今すぐ私を抱きしめて』


 終盤になると歌詞は、ついにその燃えるように熱い愛情を隠し切れずに出してしまう。相手が求めるだけでは足りない。必ず掴み取って、絶対に手に入れようとする揺るがない意志を女性は惜しむことなく見せつける。そういう内容になっている。

 さらにダンスは激しさと強さを増し、それに合わせて観客も一糸乱れぬ動きでついて行く。

 わずか数分とはいえ、非常に動きが多く、生半可な練習ではこなせるものではない。このダンスは彼女が何年も前から自分を魅せ続けるため、絶えず必死に自身を磨き続けてきた証、そのものだった。


 音楽が鳴り止み、アスティナがピタリと動きを止める。一瞬の静寂の後に、大歓声と拍手の渦。まだ、1曲目だというのにこの有様である。観客たちも汗を拭いながらも、興奮冷めやらぬ様子だ。

「今日は…」

 アスティナの声に観客たちはこれまた一瞬にして静まり返る。

「この街にとって、きっと大事な日になる。みんなはあまり実感がないと思うけど。でも、私はそれをずっと待ち望んでいた。いつからか、頭の片隅に追いやってしまっていたけど。待っていた。ずっと、ずっと、この街の誰よりも」

 それはアスティナが、システィが、3年以上も心のどこかで焦がれていた想い。力のある少女たちが、知らず知らずのうちにこの街から去っていった。寂しかったあの日が今日で終わる。彼女はそう確信していた。

「この街はもっと楽しくなる。面白くなる。この街が生んでしまった影すらも、かすんで、消えてなくなってしまうくらい、光に満ちた、幸せに満ちた街になる」

 ほとんどの人はこの言葉の全ての意味を理解してはいない。なにせ、彼女自身もここ数日に起きた事件を知ってようやく、その“影”を知ったくらいだ。きっと、普段話さない彼女がやけに饒舌に喋っているから、という理由で耳を傾けている人もいるはずである。

「そして、それを作っていくのは私だけじゃない。あなただけでもない。この街を愛する全ての人。この街の人であっても、この街の人でなくても、愛してくれる人全て」

 アスティナは右手を胸にあて、今まで見せたことのないような優しく、柔らかな声で、

「この街で暮らせてよかった、この街に来てよかった。そう思ってもらえるよう、私はいつまでもこの街で歌い、そして、踊り続ける。だから、同じ気持ちを少しでも持ってくれる人が一人でも増えてくれたら、嬉しい」


 アスティナが胸にあてた右手をすっと降ろす。すると、会場から少しずつ手を打ち鳴らす音が聞こえ始める。最初は不思議がる人が多く、まばらだった拍手が徐々にその音を大きくしていく。

 彼女がこの街を誰にも負けないくらい好きだからこそ想いが伝わる。彼女だからこそその言葉が響き渡る。



「すごい…」

 舞台袖でその光景を覗くセレナも他に出てくる言葉を失ってしまうくらい、アスティナの言葉は強く心に染みこでいた。

「セレナ。初めて競う相手が、本当にすごいやつになっちゃたな」

「もう、ハルトさん。今さら言うんですか、それを?」

「ははっ…それもそうだな。…いけるか?」

 セレナは軽く首を傾ける。

「うぅん…わかりません。とりあえず、今だけは一人のファンとして、アスティナのステージを観てみたい、って感じです」

「そうか、わかった。じゃあ、俺も存分に楽しむとするよ」



 長かった拍手がようやくおさまっていく。軽く水を飲んだアスティナはヘッドセットをはずし、舞台横から運ばれてきたマイクスタンドを両手で力強くぎゅっと握り締める。会場が少しざわつく。マイクスタンドを使うということは、多少の動きはありつつも、彼女がこれまで武器にし続けた身体全体を使ったダンスを極端に少なくする可能性が高いという意味だ。

 そして、会場が段々と夕焼けに包まれていく中、2曲目。彼女の出番、その最後の曲が始まる。


 

 ロック調の音楽が響き始める。少しダークな雰囲気を含んだメロディに、アスティナが言葉を乗せる。


『ねぇ、わたしはどこへ行けばいいの?』


 それは彼女が抱き続けた想い。


『一人でずっと戦えばいいの?』


 誰にも打ち明けられずにいた想い。


『そばにいてくれる、それだけでいいのに』


 ずっと願い続けてきた想い。


『そんな願いすら叶えられない』


 そう思って悩んでいた。でも、きっと叶えてみせる、そう心に描き続けていた。

 

 会場前方にいるアスティナの大ファンたちは盛り上がりながらも、少し違和感を感じていた。まるで、ステージ上にいるアスティナが別の誰かのような気がしては、きっと気のせいだろうと再び熱狂する。

 しかし、それは正解だった。


 ―気づけば、自分以外のアイドルがいない街。そんなつまらないここが嫌いになりそうだったけど、ずっとひたむきにここまで進んできました。

 まさか、いなくなった理由がこんなにくだらないことだったなんて。娘想いの父親が考えた呆れるような策だったなんて。恥ずかしくて誰にも言えませんが。

 でも、もしもどこかで私がそれを知って訴えても、きっと変わらなかったかもしれないんですね―


 アスティナとして歌いながら、システィとしての心は思う。


 地下酒場のやつらやグルになっていた副会長。さらに、その翌日には複数の商工会関係者などがその仲間だったことが判明した。実は会長とその娘が知らぬうちに、街の闇は深くまで浸透していた。アイドル志望の子たちを使って商売していたと考えるなら、もし、システィが父の秘密を暴いて、アイドル活動が出来るように訴え出ても、どこかで握りつぶされてしまったに違いない。むしろ、下手に動いてその影を明るみに出せば、自分や家族に危害が及んでしまう可能性も十分にあった。


 ―そう考えると、あの元勇者様たちには感謝しかありません―


 この日が沈んで、明ける頃には、彼女がまた見たかった街の姿が見られるのだろう。そして、その光景が生まれるきっかけを与えてくれたのは、彼女の後に出番を控える少女。


 ―緊張している…と思ったら、なんて楽しそうな瞳をしているんでしょう―


 ちらりと横の舞台袖を見る。そこには、彼女が歌う曲に思わず体が動いてしまうほど聞き入っている一人のファンの少女の姿があった。

 その姿を見て、昔、彼女がまだ新人アイドルとして頑張っていた頃、憧れていた先輩アイドルのステージを観ていた姿を思い出す。純真無垢で、ただひたすらに楽しむことを追い求めていた。街のことも、自分のことも、他人のことも、世界のことも気にならなかった、あの頃。


 ―たまには、人を楽しませるだけじゃなくて、自分も楽しまないと、つまらないですよね―


 今まで歌は少し苦手だった。アスティナの容姿に合うようなクールで美麗な声が出せなかったからだ。それでも、こんな風に心の叫びを歌詞にしたような熱い歌を何も気にせず、心の赴くままに歌ってみたいと思っていた。今日はその勇気が出せると思ったから、あえてセットリストにこの曲を加えた。自分にもっと正直になるために。


 ―ねぇ、だから、最後はやっぱり私に歌わせて。今は私の時間だから―


 ―そうですね。じゃあ、お譲りします―


 そして、“いつもの”アスティナへと戻る。


 ―楽しい。あぁ、楽しい。でも、もうすぐ曲が終わる。終わってしまう。ふん、私の大事な出番を奪うなんて…まぁ、たまにはいいか。これからはもっとやりがいがある毎日がやってきそうだし―


 そして、最後のワンフレーズを告げる。


『だから、ずっと一緒に行こう』



 再び、街は静寂に包まれる。呼吸が荒れる。アスティナはマイクから声が漏れないように、少し顔を背けて息を整える。夕焼けの光が突き刺さり、肌に浮かぶ大粒の汗に反射している。


「はぁ、はぁ、はぁ…」


 必死に整えたものの、まだ呼吸は乱れているが、それでもアスティナはこの気持ちを伝えずにはいられないと思い、マイクに顔を向ける。クール系で通しているから言い出すのが少し恥ずかしいのか、歌って体中が熱いのか、眩く照らす夕焼けのように少し染まった頬でぼそりと、

「…ありがとう」

 そう、呟いた。


 雄たけびのような観客の大歓声と拍手が会場に響く。アスティナは会場全体を見渡すと、いつものように冷静な表情に戻って会場を去っていく。

 しかし、最前列のファンたちは、アスティナが舞台袖に消えるとき、不意に見せた満足げな笑顔をしっかり脳内に焼き付けていた。



「すごく楽しかったです!!」

 セレナはこちらに歩いてくるアスティナに言葉をかけて、頭を下げる。

「じゃあ、次はあなたが私を楽しませて。見てるから」

 アスティナはそう言葉を残して、ステージ裏へ去っていった。

「はい。やってみせますから」

 セレナは両手を胸の前にあてて、しっかりとそう誓う。不思議と体の震えはない。ほとんど動いていないのに熱くなっている気がする。


「いってきます」

「あぁ。精一杯、楽しんでくるんだぞ」

 セレナはこくりと頷いて、まだ熱の残る、紅に染まったステージへと進んでいく。


 そして、可憐なる少女アイドルの初舞台が幕を開く。

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