第32話 不安と、希望と(前編)
一段ずつゆっくりとぎこちない足取りでセレナが階段を下りてくる。
「あれ?今日は何日ですか…きゃあっ?!」
しかし、足を滑らせてしまい、がくんと体が下がり、段差に強く尻をぶつけてしまう。ミーアが階段の方に駆け寄ってくる。
「セレナちゃん、大丈夫?!」
「いたた…はい、なんとか」
ぶつけた箇所をさすり、笑って痛みをなんとか紛らわせようとする。
「今日はライブ前日だよ。それより、寝てなくていいの?まだ、体のほう、本調子じゃないでしょ?」
「ぜ、前日なんですか…。じゃあ、早く着替えて練習しないと…」
慌てて体を起こそうとするが、うまく力が入らず立ち上がれない。
「ふぅ、仕方ない」
すると、オリビアが階段を上がり、セレナの体を簡単に持ち上げて抱きかかえるようにして、一緒に降りていく。
「え、えぇ…?」
「あの子、見かけによらず力あるからねー」
「は、はぁ…すごいんだね」
呆然としてされるがままに運ばれるセレナと、その光景をただただ眺めているミーア。そのまま、オリビアはセレナを手近な椅子に座らせる。
「あの…、お姉ちゃんとハルトさんは?」
「ハルトなら広場で会場設営を手伝ってるよ。エリオは…」
どう答えたらいいかわからず、ミーアはリズに目配せして助けを求める。
「エリオは一旦帰ってきたんだけどね。ちょっとワタシと口論になっちゃって、また出て行っちゃった。たぶん、街のどこかにいると思うけど。ごめんね」
リズが頭を下げる。しかし、言っていることは嘘である。
「そう、ですか。でも、お姉ちゃんが無事なことがわかってよかったです。それと…あ、やっぱりなんでもないです」
少し躊躇した後、途中でたずねるのやめる。その様子で他の3人はセレナが昨日自分の身に起こったことを聞こうとしたのだったと察する。
セレナもこのことに触れると、この場の雰囲気と明日の自分のコンディションに影響が出ること、少なくとも今は知るべきではないことだと悟ったセレナは、あえて元気に振舞う。
「じゃあ、私、練習するので着替えてきますね」
と言ってセレナは立ち上がろうとするもやはり足に力が入らない。
「だから、先も言ったけど、今日は一日しっかり眠ったほうがいいと思うよ。大丈夫、明日には回復するって医者も言っていたから」
リズはセレナの後ろに回り、軽く両肩に手を乗せる。
「でも、不安なんです。もし、このまま練習が足りなくて、ライブも全然ダメでお客さんから評価してもらなかったらどうしようって。そもそも、私の出番の時にお客さんなんていないんじゃないかなって思っちゃうんです」
俯いたセレナの瞳から涙がこぼれる。
「昨日もずっと怖かったんです。真っ暗な中で眼が覚めたら、誰もいなくて。体は動かないし、みんなの声も聞こえないし。だから、もう誰にも会えないのかなって。そもそも今までのことは夢で、元から私はこの暗闇の中にいたんじゃないか、そんな風に思ってきちゃって…」
「セレナちゃん…」
心配の眼差しでミーアはセレナの方を見ている。
記憶のない不安と闘っていた少女にとって、この数週間の様々な出来事はとても新鮮で刺激的で楽しくて、恐ろしかった。
「私は、システィさんより輝いて、皆さんに認めてもらって、自分自身も他の誰からも忘れられない、そんな人間になりたいんです。いつかまた何かなくなっちゃうんじゃないかと思うと、もう怖くて仕方なくて…」
住んでいた村を、大切な両親を、楽しかった記憶を、たくさんのかけがえのないものを一度に失ったセレナにとって、アイドルになるためのこのステップは、大事な一歩であり、自分の希望を賭けた譲れない一戦でもあった。
「うん、そうだよね。不安に決まってるよね。でも、本当に大丈夫だから」
そう言うと、リズはセレナの体に両手を回して後ろから抱きしめる。普段とは全然違う行動と、落ち着かせるような優しい声。着ている服も相まって、まるで聖母のような立ち振る舞いだった。
「だってさ、今のセレナちゃんの周りには私たちがいるじゃない。まぁ、こんな大事な時にいないけど、ハルトやエリオだってキミのことを絶対、大切に思っているし」
「こんな私でも、ずっと覚えていてくれますか?」
「当たり前に決まってる。こんなにかわいくて、優しくて、おまけに…」
その瞬間、リズの両眼が怪しく光った…ような幻覚をミーアとオリビアは見たという。
「おっぱいが大きな子を忘れるわけないじゃないかー!!」
「ひゃああああ?!」
体を抱きしめていたリズの両手は、セレナの身体に実った大きな2つの果実をもぎ取ろうとするかのように、全力で掴んでいる。
「い、痛い、痛いですー!」
「あ、ごめんっ!じゃあ、次は優しく…」
すると、今度は手つきを変え、撫で回すように触りだす。
「あ…ちょっと、待って、んっ…!」
顔を赤らめて身悶えするが、リズは動きを止めようとしない。
「だ…だ、だめ、弱いんです、からぁ…」
「それ以上は…ストォーップ!!」
「ふぎゃあっ?!」
セレナの体に夢中になっていたリズの額に見かねたミーアの平手打ちが直撃する。リズから解放されたミーアは、椅子から落ちて四つん這いの態勢で床に着地する。
「はぁ、はぁ…。リズさん、いきなりひどすぎます…」
顔を真っ赤にして、息も絶え絶えである。
「もう!結局いつものリズじゃないか!」
「まぁ、わかりきったことだけど」
呆れる2人に対して、
「いやー、しみったれた空気はやっぱり私の性に合わなくてさっ。あははっ、ごめんねー」
軽く笑い飛ばそうとするも、若干、店の空気が変になっていることを察したリズは、少しずつその笑い声をすぼめていく。
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