第二部 少女は偶像への階段を歩む

入学編

第40話 アイドルへの入り口

「はっ、はっ、はっ…」

一定のリズムで呼吸をする。足は痛むがここで止まってしまったら、もう動けなくなると感じたので、意地と気合で乗り切るしかなかった。

「はっ、はっ、ぜぇっ、はぁ…」

それでも苦しいものは苦しい。隣で歩調を合わせる少女を見ると、彼女と同じほどではないが、相当な疲労の色を見せていた。しかし、瞳は揺らぐことなく前だけを見ている。

「私、だって」

こんなところで躓いてなんかいられない。両足を前に進めることだけに全神経を集中させる。余計なことは考えず、一心不乱に真っ直ぐな心で。


彼女たちの先にはさらに多くの少女たちが群れを成して走っている。それぞれが苦悶の表情を浮かべながら、今日の終着点を必死に目指して行く。

「セレナちゃん、大丈夫?」

「うん…なんとか…」

本当はもう体力の限界が近いけれど、隣を走る少女にこれ以上気を遣わせたくない気持ちと、なぜか負けたくない気持ちが混ざり合って、精一杯の強がりを口にする。

「アイドルの特訓がこんなに大変だなんて、思ってなかったよ」

「私もだよ…」

初夏の日差しが照りつける中、2人は思う。

私たちは甘かった、と。



時刻はまだ朝早く。

オーランド国最大の都市であり、この国の王都でもある『グランディア』

世界で1、2を争う広さと人口を持つ街で、当然の如く、商業都市アムズガルドよりも広大である。

「わぁ…王都って広いなぁ」

衣服や日用品が入った大きなバッグを両手で掴むセレナは、感嘆の声を漏らす。

石畳と土の地面が混在する街は朝から老若男女が多く行き交い、世間話から商売の話まで、実に様々な言葉たちがひっきりなしにあちらこちらを飛び回っている。

「ここから、始まるんだ」

期待と不安が入り混じる。しかし、期待の方が大きいセレナは、

「ところで、スクールの場所は…」

期待の方が大きいセレナは、

「えっと…。あれ、地図だとこの先だけど、大丈夫だったかな?」

期待の方が…

「どうしよう。街歩きはお姉ちゃん任せだったから、地図の見方がよくわからないや…。王都もはじめてだし…。誰かに聞いた方がいいよね?」

しかし、初対面の人に話しかけるのは慣れていないのか、なかなか行動に起こせない。

「あのー、もしかして、あなたもアイドルスクールに入学する人?」

不安の方が大きいセレナに、少女が後ろから声をかける。

「は、はいっ!そうです!」

「良かった!私もなんだ。遠くから来て、1人だったから寂しかったうえに、道にまで迷っちゃって…」

「えっと〜、実は私もなんです…」

 舞い降りてきた頼みの綱が、見当はずれだったことにガッカリしてしまうが、それを顔に出すと目の前の少女にすごく失礼なので、苦笑いでごまかすが、

「そ、そうだったんだ…ごめんね」

 互いに『道をわかる人がいる!』と内心喜んでいたため、非常に気まずい空気が流れる。

「とりあえず、街の人にたずねましょう」

「うん。それが手っ取り早そうだね」


というわけで、安心のコミニュケーション能力を持っていた少女がうまいこと人当たりの良さそうな女性をつかまえてくれたおかげで無事にアイドルスクールにたどり着いた2人。


 道中、互いに自己紹介を交わした。

 少女の名はライラ・アシュテルテ。歳はセレナと同じ17。桃色のショートヘアと小柄な体が特徴である。本人は身長が低いことを気にしているようだ。セレナと比べると、髪の長さや胸のボリュームなども相まって、年下に見えてしまう。

 そして、なにより、セレナが驚いたのは、彼女が領主の家の娘であるということ。


 領主とは、各国にある制度で。王家が国の重要拠点となる街や村へ直々に指名された者で、税や規則を作って管理(皮肉を込めて“支配”と呼ぶ人もいる)している。

 魔王侵攻よりも前、国同士で領土や資源をめぐって争っていた時期からある制度で、戦争の心配がひとまずなくなった現在も王家の力を示す意味も込めて、領主制度は残っている。また、この制度には再び戦争がはじまる可能性を少なからず危惧しており、互いにけん制する意味も隠されている。


「両親も私みたいな末っ子で役立たずな人間はいらないみたいで、アイドルになるって言ったら、すんなり受けて入れてくれたんだ」

 自虐気味に、でも、笑顔で語るライラ。王家や領主は男性に重きをおく考えを特に重視している。そのため、家を継ぐのは男性である。領主の家系は権力もあるため、女性は良いところに嫁ぐ必要もなく、場合によっては邪魔者扱いされ、絶縁されてしまうこともある。そんな風に女性はかなり軽視されているのが、身分の高い家系の現状である。

「じゃあ、立派なアイドルになって、家族のみんなに見せてあげないと!ライラさんが出来る子だってことを」

「そうだね。せっかく入学するんだから、上を目指さないと!」

 などと、お互いのことを話しているうちに目的地であるアイドルスクールに到着した。


「広いですね。施設もいろいろありますし」

「あれが校舎。あの丸いのはホールかな?もしかして、向こうにあるのはプール?」

「これが、学校…」

 中心に時計台が聳え立つ木造校舎は年月を感じる造りになっている。少しペンキが色あせた赤く塗られた屋根はどこか趣きがある。校舎から離れた場所には缶詰のような形をした円柱状の建物。窓も少なく音が漏れないよう金属など丈夫な素材を外壁に使っているあたり、ライブなどを行うためのホールとみられる。さらに、屋外ではあるが、プールも備わっており、後2ヶ月もすれば生徒たちの癒しの場になること間違いなしである。

 ほかにも、大小様々な建物があり、見ているだけで好奇心と期待感をそそられる。

「なんだか楽しみになってきたね!」

「はい!」

 2人は高まる気持ちを抑えながら、敷地の中へと入っていくのだった。



「さて、今期も多くの女生徒諸君がこの門戸を叩いてくれた。世の中もあちこちでアイドルとなったうら若き乙女たちが活躍してくれて、私も嬉しさで胸がいっぱいだ」

 半円形のホール内は100人を超える女子たちで席を埋めている。客席の中央にある同じく半円のステージ上には一人の男性が立ち、これから入学する女子たちに祝辞を述べている。

「私は男だが、この世界における女性たちの活躍を望んでいる。まぁ、どこに隠れた目や耳があるかわからないので、深く話すのはここで控えておこう」

 すらりと伸びた背に黒いスーツがよく似合っている。年齢は30代ほどか。

「君たちの中から多くのアイドルが誕生するように私たちも全力で君たちをサポートしよう。この半年間、たゆまぬ努力を積み重ねて、仲間とともに切磋琢磨して頑張ってほしい」

 男性のスピーチに会場上から拍手が集まった。


 生徒たちは学校内を一通り案内された後、教室に戻ってきた。幸運にもセレナとライラは同じクラスになった。

「あの話していた人が学校長ですよね。アイドルの養成学校だから、女性なのかなって思っていました」

「さすがに国運営の学校だから、女性がトップってことはないでしょ。たしか、あの校長、元領主だったよ。今は息子さんに家督を譲って、王家からの依頼でこのスクールの校長をやっているんだって」


 このアイドル養成学校「バルディアス・スクール」は王立学校である。つまり、王家=オーランド国が運営する学校であり、所属する教師や講師は基本的に国の関係者となっている。校名の「バルディアス」は現国王の名前である。


「王立だけど、そこまで国や王家からの指示はないから、型にとらわれない実践的な指導が売りなんだって。ほかの街にも似たような私営のアイドルスクールはいっぱいあるけど、やっぱり国が運営しているのは大きいよね」

 最近では大きくなるアイドルブームに乗っかって、地方の街にもアイドルランクを取るため、アイドルとして活躍するための学校は開かれているが、中には充実しているとは思えない指導、生徒たちを怪しい商売に引き込む講師、金だけもらって雲隠れする経営者など、悪行をはたらく学校も多々存在している。

「そういう意味では、信頼度は一番かもしれませんね」

「ただ、風の噂によると、結構レッスンが厳しいって話も聞いたことあるんだけどね…」

「まぁ、そこは学校だから仕方ないですよ」

「それもそうだね。あっ、それと丁寧な口調で喋らなくていいよ。同い年なんだし、もう少し気楽な感じでいこう」

「うん、わかった。ありがとう、ライラ」

「これから半年間、改めてよろしくね、セレナ」

「こちらこそ、よろしく!」

 2人は友情の証として、互いに握手を交わした。


「はーい、みなさん。席に座ってください」

 すると、教室に一人の女性が入ってきた。足元近くまであるロングスカート、上は淡いピンクの服に白のブラウス。滑らかな長い髪と柔和な表情が加わって、清楚な大人の女性としての雰囲気を全身から感じさせる。

「入学おめでとうございます。これから半年間、あなたたちのクラスを担当する、マールです。よろしくお願いしますね」

 深々とお辞儀。その清らかな佇まいと態度にセレナは『こんな大人になりたいなぁ』と憧れの念を抱いた。

「半年後、この学校を卒業すると同時にみなさんにはアイドルランクの取得試験を受けてもらいます。普通はEランクかFランクを取得してから少しずつステップアップして行きますが、この学校のような国に認定された学校の場合、Dランクを取得することも可能です」


 アイドルランクはS~Fまである。ランクを上げる方法は二通り。アイドル活動を重ねて知名度や人気を上げ、国や都市が主催するライブやイベントなどで成果を残し、それが認められた場合と、定期的に実施されるランクアップ試験で合格すること。後者は基準が評価員の判断に委ねられてしまい、明確な判断基準も実は決まっていないため、合格はかなり厳しい。

 ランクは上位を保有するほど、待遇が良くなる。具体的には、より大規模な大会に参加できる。他国や地方のイベントに参加する際の旅費などが支給される。国公認として大きく宣伝されやすくなる。都市や大きな街の長や領主、権力ある団体などに所属することができるといったものである。


 特に『所属』は重要で、当然ながら資産のある人物や大規模な団体の所属になれば、様々な面で待遇が良くなり、アイドルは将来安泰な地位と資産を手に入れることができる。

 そのため、その最低基準となるDランクを手に入れるチャンスが早々に与えられるのは彼女たちにとって、大きなアドバンテージとなる。

 

「そのためにも、この学校で半年間がんばってくださいね。それと、ご存知だと思いますが、この学校は全寮制です。週末は自由行動ができるので外出などもできますが、それ以外は無許可での外出は禁止ですよ。寮については夕方にお話しします」


「友達が通っている修道院で働くための学校もこんな感じで厳しいって言ってた。うー、私としてはもう少し緩いといいんだけどなぁ」

 小さな声でライラが話しかけてくる。

「はい。ライラさん。ちゃんと聞こえてますから、あまり油断しすぎはいけませんよ」

「はっ、はい!すみません!」

 教室内からクスクスと笑い声が聞こえる。

「うぅ~、恥ずかしい…」

 セレナは顔を抑えるライラの肩をそっと叩いて、気持ちだけでも慰めた。


「では、早速ですが、みなさんには軽く運動をしてもらいます。この学校のレッスンの尺度を測るのにもちょうどいいでしょう」

 そういうと、一同は教室を出され、向かい側にある更衣室へと案内された。今期は一クラス約20人、全5クラスあり、他の女生徒たちも同じように更衣室へと案内されていた。

「ロッカーにみなさんの名前が書いてあります。自分のロッカーを見つけたら、中にある服に着替えて、外に集まってくださいね」

 言われたとおりに自分の名前が書かれたロッカーを開けると、中には上下に分かれた一着の服が入っていた。

「これは…」

 茶葉のような少し濃い緑色の衣服。上下ともに袖と裾が長く、特別な装飾もないシンプルなつくりになっている。

「動きやすそうではあるから、運動用の服かな。とはいっても、この時期に長袖は暑そうだよね」

 布もやや厚く、これで運動をしたら間違いなく汗をかく。女生徒たちは気乗りしない様子で指定された服を着ていた。



「うわ~。外に出ただけで汗かいてきたよ。何するんだろううね?いきなりダンスの練習とか?」

 外に集まった女子たちが暑さにうな垂れながら雑談をしていると、


「おい、おまえら。服着替えて集まるだけにどんだけ時間かけてるんだよ」

 威圧感たっぷりの低い声にその場にいた全員の話し声が一瞬で止む。なんと、その声の主は先ほどの上品な服とはうって変わって、セレナたちと同じ緑色の運動服を身にまとったマールだった。

「はぁ、さっきもそうだが、やっぱり気が緩んでやがる…。いいか、ここは学校だ。どう学ぶかは自由だが、規則がある。それはしっかり守れ」

 たしかに、セレナたちが入学前に受け取った書類には、『授業中の過度な私語は禁止』と記載されていた。

「今回は初日だから許してやるけど、次からはガンガン厳しくいくからな」

 しかし、そんなマールの注意もセレナたちの耳にはあまり入ってこなかった。私語は禁止と言われたので、誰一人として口にしないが、鋭い目つきでこちらをにらみつけ、地の底から呻るような低い声を放つ人物が、先ほどまで教室で朗らかに喋っていた人物と同じだとここにいる誰一人理解できず、困惑していたからである。


「じゃあ、まずは手始めに単純で簡単なところからいくとするか。よし、今から西にある隣町まで走って戻って来い」

 その言葉に全員がざわつく。王都から西は大平原が続くため、一番近い隣町でも片道で15km程度はあるからだ。登り道もあり、楽な道のりとはあまり言えない。

「さすがにないと思うけど、日没までに帰って来れなかったら、今日の飯は抜きな。後、寮じゃなくて教室で雑魚寝だから。そのくらいやらないと、お前たち本気出さないだろ?」

 あまりにも挑発的な口調だが、マールから感じる有無を言わさぬ迫力に誰も反論しなかった。

「よーし、さっさと準備運動済ませとけ。10分後にスタートだ」

 

「なんか、とんでもない所に来ちゃったみたいだね」

「みたい、だね…」

 あっという間に意気消沈する2人。それは他の生徒たちにも当てはまっていた。戸惑いの色を隠せずに体を動かす者。早くも学校への愚痴をこぼす者。途中で脱走しようか画策する者。

「走る、しかないよね…?」

「が、がんばろうね」

 不安が高まる2人の気持ちとは裏腹に、時計の針は無慈悲にも地獄のはじまりを知らせるのだった。

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