第三章 -6

「俺は一体、何をやっているんだ……」

 高揚状態が解け、一転して後悔状態に陥る俺。

 一方、その隣では未だ興奮が冷めやらないのか、頬を上気させたままのユメカが、夜空に浮かぶ数多の星々を見上げていた。

「すごいね……星、綺麗」

 ユメカの言うとおり、今日は星が見事なまでに瞬いて見えた。

 ここが地上数百メートルの、都市の光が届かない空中だからかもしれない。

 魔法の杖は、俺たちを乗せたまま静止している。

「……俺はどちらかと言うと、後で下の連中に怒られないかどうかの方が心配だよ」

 ユメカとは対照的に下を向く俺の視界には、ノイアード八万世帯の灯りが広がっている。それらの一つ一つが、S・M・Aから供給された魔力による光だというのだから驚きだ。

 上空の星々と下界の星々に挟まれた世界で、ユメカは悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。

「いやあ、絶対に怒られると思うなあ。なんたって、隣国の王子様三人をこてんぱんにして、しかもこの国のお姫様をさらっちゃったんだからね。普通なら極刑モノじゃない?」

「ぐ……おまえ、さらっと重いことを……」

 再びテンションがダダ下がりする弱い俺。

 ユメカはひとしきり笑った後、杖を跨いでいた格好から、ちょうどベンチに座るような体勢に身体を入れ替えて、再び夜空に視線を向けた。

「でも、あのときのコータ、格好よかったよ。それに……とっても嬉しかった」

 静寂の中に響くユメカの言葉。空気が薄く肌寒い場所のはずなのに、なぜか身体の芯が火照ってくるのを感じてしまう。

「ねえ、コータ。キミって、あっちの世界では人間なんだよね?」

「え? ……ああ、そうだけど。なんだ唐突に」

 あっちの世界とは、おそらくは俺にとっての現実世界のことだろう。この世界が現実であるユメカ達にとっては、あっちの世界の方が夢ということになるらしいが、その議論は今はいい。

「あっちの世界のコータは、こっちの世界のコータと同じくらい格好いいのかな?」

「ぶはっっ!」

 思わずむせ返ってしまった。

 俺は頭が痛くなるのを感じながら、苦しげに答えてやる。

「勘弁してくれよ……。こっちの俺が格好いいっていう前提もおかしいと思うが、あっちの俺が格好いいっていう想像も幻想だと思うぞ。少なくとも、こっちの俺よりは活躍してない」

「そうかなあ。私にとっては、コータは一番のヒーローだよ。強くて優しくて格好良くて、ちょっと素直じゃないところも可愛くて。そんな子が私のアリエスなんだから、本当に嬉しいよ」

 真っ直ぐに向けられる視線。

 俺はなぜかその視線に耐えられなくなって、

「……なんで、そんなに俺って評価高いんだよ」

 いつもの捻くれ心が触手を伸ばしたのか。

 俺は思わず憎まれ口を叩いていた。

「はっきり言って、これは本当の俺の実力じゃない。ナイトメアに立ち向かえたのも、さっきの連中に勝てたのも、きっとS・M・Aの魔力か夢補正のおかげなんだ。実際のあっちの俺は、学校に行って友達とダベってゲームして飯食って寝るだけのサイクルを消費しているだけの人間で、他人に誇れるようなことは何一つない。ユメカが言うほど格好いい奴じゃ、全然ない」

 そうさ。俺は単なるゲーム好きのゲーオタだ。

 自分に都合の良い夢を見ているに過ぎず、自分を格好いいように見せている空しい世界の体現なんだ。

 禁句を吐露した後の夜空は、虚しいほどに冷え切っている。無音の夜空が怖いほどだ。

「ここが――コータの言うとおり、たとえ夢の中の世界だとしてもさ」

 そうして、しばらくの無言の後。

 ユメカは、ゆっくりと言葉を選ぶように囁いた。

「私は、本当にこの国が好き。ソラちゃんもリリちゃんも、王宮のみんなも街の人も、誰一人欠けちゃいけない大切な仲間だし、それを守れるのは魔法少女だけだと思ってる」

『魔法少女』――この世界における脅威と戦う、文字通りの命がけの戦士。

 漫画やアニメで何度も見た荒唐無稽の存在のはずなのに、実際に目にすると馬鹿馬鹿しいなんて考えがすべて吹き飛んでしまう。それがたとえ夢の中の存在であったとしても、だ。

 この世界で起きていることは、まるで本当に起きていることであるように。

「でも、私ひとりじゃ何もできない。王子様の手さえ振りほどけない私なんだから、きっとこの先もみんなに迷惑をかける。力が足りず、くじけそうになるときが来ると思う」

 そこまで言って、ユメカは長い髪をなびかせながら、俺に向き直った。

「でも、その時にコータがいてくれたら心強いな、嬉しいなって。キミがいつも私の傍にいてくれたら、それだけで私は頑張れるなって。今は心の底から、そう思えるんだ」

 そして、ユメカは月明かりに照らされた顔に、花が咲くような笑みを浮かべて見せた。

「だから、改めてお願いするね。――コータ。私と一緒に、この世界を守って。楽しいことも悲しいことも辛いことも、全部全部。これから一緒に経験していこう?」

 美しく咲き誇るユメカの笑顔。

 その輝きは、空の星よりも、地上の瞬きよりも輝いていた。


 ――こいつを夢見乃夢叶の代わりとして見るのは、もうやめだ。


 こいつはユメミ・ル・ユメカであって夢見乃夢叶とは違う。無鉄砲で不器用で天然でおまけにキス魔で、それでいて一生懸命で真面目で優しくて、眩しいくらいの笑顔をするヤツなんだ。

 一国の姫と魔法少女という重すぎる二足のわらじを履きながら、誰に不平を言うでもなく、ただひたすらに、真っ直ぐに、自分の大切なものを守ろうと努力している。

 そんなやつが、俺を好きだと。

 その理想のために力を貸して欲しいと、言っているんだ。

 ここがたとえ夢の中だって、その信頼を無下にできるほど俺は男を捨ててない。

「……そこまで言われて、首を横に振らない奴はいねえよ」

 俺はそう呟いて、苦笑した。

 どうせ、もう十数回と見ている夢なんだ。てことは、この夢は今後もしばらく続くんだろう?

 それならば、この夢が続く限りは、こいつを守ってやってもいいかなって――そう思った。

「あ……ありがとう。大好きだよ、コータっ!」

「おおっと、でもキスは勘弁な! そういうのは十八歳になってから――」


 ――ドォン、と大気を震わせる振動音が辺りに響いて、俺たちの話は中断された。


 音の発生源に視線を向ける。王宮からほど近い、市街地の中心部。新宿の高層ビルのようにそびえ立っていた背の高い塔が、音を立てて崩れ落ちていく姿を目撃した。

 塵芥をまき散らしながら消えた塔の背後に残ったのは、九つの頭を持つ巨大な怪物。

 その姿は躰から首が生えているというよりは、九つの首が一つの躰で繋がっていると言うべきだろう。龍に似た頭と長い首は躰よりも明らかに長大で、昔の映画のキングギドラを髣髴とさせる。だが、その色は黄金ではなく漆黒だ。

 ユメカのポケットから魔導無線機が鳴り響いた。

『ユメカ様、どこにいらっしゃいますか。市街地でナイトメアが発生した模様です』

「……うん、ブリゾ、見てるよ。私たちの街を、めちゃくちゃに壊そうとしている」

 ユメカの眼に光が宿る。

 それは、自分の大切なものを守りたいという意志の炎だ。

『お説教は後です、今すぐ王宮へお戻りください。魔法少女としての使命を果たされますよう――』

「ねえブリゾ? 魔法少女の使命を果たす代わりに、一つだけお願いがあるんだけど」

『なんですか、こんな時に?』

「アイツをやっつけたら、お説教は後じゃなくて、できれば免除がいいなあ、って」

 一瞬、通信機が無言になる。絶句しているのかもしれない。

 だが、すぐに返信があって、

『良いでしょう。ただし、絶対に勝つこと。それが条件です』

 俺とユメカは顔を見合わせ、どちらからともなくハイタッチをする。今一番の後顧の憂いが絶たれたのだ、これで俺たちに負ける要素はなくなった。

 ユメカは杖に跨り直し、俺も四肢を突っ張らせる。

 二人の魔力に呼応して、杖が光を放つと、

「――いくよ、コータ!」

「おうさ!」

 その掛け声とともに、俺たちを乗せた魔法の杖は王宮へ向かって飛翔した。

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