第四章 -6

 次に俺の眼に映ったのは、至近距離に近づくユメカの顔だった。

「な――ごむうう!」

 問答無用でキスをされ、ユメカの身体は強い光に包まれる。

 その魔力の輝きが部屋中を満たしたおかげで気付いたが、ここは王宮魔力廠の最上階、S・M・Aが鎮座する召喚の間だ。

 見下ろした俺の身体が青いフワモコに包まれているので間違いない。

 俺の背後にS・M・Aがあることから、俺は現実のコレに引きずり込まれて、夢のコレの中から現れたらしかった。

「――変身完了! 魔法少女ユメカ、ここに推参ッ!」

 魔法少女のドレスに身を包み、魔法の杖を振りかざしたユメカが、ヒーローショウよろしく高らかに叫んでびしっとポーズを決める。

 俺はぶっちゃけそれどころではない。立ち上がって歩き出そうとしたところを、背後からユメカの両腕に抱きかかえられた。

「ちょっと、どこへ行っちゃうのコータっ!」

「離せユメカ! 俺には調べなきゃならないことがあるんだ。お前に構っている暇は――」

「ナイトメアが現れたの! お願いコータ、力を貸して!」

 振り返って見上げれば、そこにはいつもより真剣な顔が。俺は唇を食いしばって、

「そっ……そういうことは早く言え! 現場はどこだ、かっ飛ばすぞ!」

「がってんだ!」

 魔法の杖に二人で飛び乗り、初めから全速力で部屋の外へ飛び出す。

 そこは街が一望できる高度数十メートルの上空だ。

 夕陽に染まるノイアードの情景を見下ろして、俺は息を漏らした。

「やっぱり、画陸の言う通りだ……。ノイアードは六玖波市を模倣している」

 駅前の繁華街、かつて通った小学校、友達とよく遊んだ公園に、特徴的な形の交差点……。そんな現実世界のランドマークが、このノイアードでも踏襲されている。

 ビルが建っていた場所には塔が、家電量販店が建っていた場所には市場が、という違いこそあれど、自分の街の特色を見紛うことはない。

 ノイアードは、疑いようもなく六玖波市だったのだ。

「コータ? どうかしたの?」

「いや……なんでもない。それより、ナイトメアは何処だ? ソラエとリリンはどうしてる?」

「二人は先に戦ってるよ。ソラエはの西の集団で、リリちゃんは東。私たちは北の担当!」

 どうやら、今回は複数現れたらしい。

 視線を巡らせれば、王宮を中心とした東、西、北の各市街地上空に暗雲が立ち込めているのが分かる。現代で言えば更場、三ノ宮、そして俺の家に近い天王座だ。

 いずれも住宅地に近い場所。早く敵を倒さねばやっかいなことになる。

『現在、王国軍による市民の避難誘導中です。敵をできるだけ下へ落とさないよう願います』

 ユメカのポケットから魔女ブリゾの声。

 俺は眼下の大通りを逃げていく人々を見ながら呟く。

「落とさないように……ってことは、今回のナイトメアは空を飛ぶ幻獣か?」

「居た! コータ、二時の方向!」

 ユメカが杖を傾けて方向を調整する。

 暗雲立ち込める視界の先に、敵の姿が見えてきた。

 今回のナイトメアは、遠目から見れば鳥類である。

 しかし、近づくほどにその異様さが分かる。

 長大な翼に羽はなく、鋭く尖った嘴に角のような鶏冠。躰の色がナイトメア特有の暗色であっても、その怪物の名前は間違えようがなかった。

「マジかよ……これ、プテラノドンじゃねえか……!」

「ぷてらの、どん? それがこのナイトメアの名前なの? どんな神話に出てくるの?」

「神話じゃねえ。八千年前に実在していた最古の翼竜……恐竜だ!」

 俺がそう言った瞬間、背後からとんでもない速度で迫り来るプテラノドンの集団。その数は十匹は下らない。

 ユメカが杖を翻してなんとか激突を回避するが、体長七、八メートルの巨体がいくつも追い抜いて行くその恐怖は計り知れないものがあった。

「くッ、旋回してまた来るか? 一度距離を取ったほうが――」

「あ……コータ、見て!」

 ユメカの指差した方角を見る。

 プテラノドンの集団は俺たちに目もくれることなく地上に降下し、その速度を維持したまま逃げ惑う人々に激突していく。その先に建物があろうが壁があろうがお構いなしだ。

 すべてを破壊し、貫いて、地上に阿鼻叫喚を築いていった。

「ふざけやがって……! ユメカ、戦闘機だ! 『創造魔法』で蹴散らしてやれ!」

「駄目だよ、ミサイルなんか撃ったら下にいる人々が巻き込まれる。接近戦で叩かないと!」

 戦闘機のミサイルなら自動追尾できるだろう――と思ったが、俺はその言葉を飲み込んだ。

 実際の戦闘機なら当然のようにできる弾道誘導だが、これはあくまで「ユメカの想像する戦闘機」でしかない。ユメカがホーミングの原理を理解し「ミサイルは真っ直ぐ飛んで爆撃するもの」という認識を改めない限り、ミサイルは真っ直ぐにしか飛ばないのだ。

 民間人が地上にいると戦闘機が手出しできないのは、どの時代でも同じらしい。

 俺は歯ぎしりしながら、目の前で蹂躙されていく街を見下ろすことしかできなかった。

「……接近戦はそれこそ駄目だ。あの速度で駆けてく化け物だぞ、当てる方が奇跡に近い」

「でも、じゃあどうすれば……! このままだと住宅街に突っ込んじゃうよ!」

 ユメカに言われて、俺は顔を上げる。

 確かにこの大通りが途切れた先は、多くの住宅が立ち並ぶ天王座だ。現実世界とは違う建物ではあるけれど、住宅地の一角に俺の家が見えていた。


 ――って、ちょっと待てよ。


 現実世界でDOKONOビルが消失した時、磯原稔の父親は隣町で働いていることになっていた。……当然だ、無くなったビルで働ける道理はない。夢世界の影響で現実世界が変化したことを受けて、つじつまが合うように稔の父親の環境が改変されたのだろう。

 いや――勤め先が変わるくらいなら、まだいい。

 もしもこの夢世界で、

 現実世界での俺の家は消失する。当然、別の家に住んでいたことになるのだろう。

 そうなると、俺の今まで生きてきた十五年間はどうなる? 住む場所が変わったら通う学校も変わる? 近所だからこそ親しくなれた夢見乃夢叶との思い出は、どのように変化するのだろうか?

 世界のつじつまの合わせ方は、本人だけじゃなく周囲全体に影響する。稔の父親の勤め先が変わったことを友部が不審に思わなかったように、他人の記憶すらも改変してしまう。


 ゆめかや、友人や、学校のみんな――家族や親戚の関係すらも、変わる可能性があるのだ。


 ――漠然とした恐ろしさに、俺は全身が総毛立ったのを感じた。

 なんだよこれ、こんなのただの夢じゃない。こちらの世界の事実こそが俺に直結する危機だ。

 こちらの世界での結果の方があちらの事実より上位だなんて、これじゃどちらが現実か分からないじゃないか。

 現にこちらの世界の人間たちは、九嬰によって塔が破壊されたことを覚えている。時系列で起きた事実を正しく記憶しているんだ。

 都合よく事実が書き換えられても気にすらしないあちらの世界なんて、客観的に見ればまさしく「夢の世界」で――、


「あちらの世界の方が――夢の世界?」


 思わず口に出た呟きにハッとする。

 ……おいおい、何を考えているんだよ那珂湊幸太。あちらの世界の方が夢だなんてあるわけない。こんなファンタジー丸出しの世界の方が現実であるわけがないだろう?

 俺はぶんぶんと首を思い切り振って、雑念を吹き飛ばした。

「もう待てない! コータ、ナイトメアに突っ込むよ!」

 ユメカが叫ぶ。

 止める暇もあればこそ、俺たちを乗せた杖は鋭い角度で連中の背後に接近した。もう四の五の考えている場合じゃない。

 腹を決めて、俺はユメカに指示を飛ばす。

「なら、網だ! 奴ら全部を封じ込めるくらいの巨大なやつで足を止めろ!」

「網? う~ん、じゃあこれでっ!」

 ユメカの杖が赤く輝き、瞬く間に変形する。

 変化したものは網ではなく、城壁に取りついているような巨大な鉄の大砲だ。俺たちを乗せた大砲は、敵に狙いをつけると一気に点火した。

「ふぁいあーッ!」

 爆発音を上げて大砲から飛び出したのは、四方に重しを付けた巨大な網だ。

 その面積は大通りと周辺建物をすべて巻き込むほどの巨大さで、敵の翼を一網打尽に絡め取る。網の重しはそれぞれ建物の壁や道路の石畳に突き刺さり、プテラノドンたちは根こそぎ大通りに墜落した。

「住民は?」

「大丈夫、いない時を狙ったから!」

 叫ぶなりユメカは杖に再び魔力を送り、いつかの巨大槍に変化させる。

 今度の槍は、ちゃんと俺の理想通りの「煌明槍アルトランス」だ。先日紙に描いて見せた形を忠実に再現させたらしいユメカは、金色に白の装飾で彩った槍の矛先を地上でもがく連中に向け――、

「これで、トドメだ――ッ!」

 落下の勢いをそのままに、網の上からプテラノドンの胸へと突き立てた。

 黒い夢は断末魔と共に霧散する。

 それを見た他の連中も暴れ出すが、網に絡まって動くこともままならない。地上に降り立ったユメカは自分の背丈の数倍もある槍を担ぎながら、

「どう、コータ? 私も強くなったでしょう?」

 まるで修学旅行の集合写真を撮るときのようなピースサインを、俺に見せつけたのだった。

「あ、ああ。逞しくなったのは結構なことだ。……が、油断してると危ないぞ」

「へ……うっひゃああ! まだ残ってたんだった! こンのおおお!」

 背後でもがき始めた恐竜たちへ突撃していくユメカ。

 アルトランスは俺とユメカが初めてナイトメアを撃破した思い出の武器だ。想像力がそのまま創造物の威力となる創造魔法において、「この武器なら敵を倒せる」とユメカが想っている以上、その武器はユメカの膂力とは関係なしに敵を倒すことができる。そういう意味では、これ以上に信頼のおける武器はなかった。

「こっちはなんとかなりそうだが、問題は……」

 俺はユメカの姿に背を向けて、住宅街の方向を睨み付ける。

 見たことのない、見慣れた街の景色に、俺は背中がざわついていることを感じていた。

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