第四章 -5

「それじゃ今日はここまで。日が低くなってきたから、帰宅部は気を付けて帰れよ――」

 担任がそう言うのを合図にして、教室中が解放感に沸き立った。

 いつもの俺なら連中と同様に背筋を思いっきり伸ばすところだが、今日はそういうわけにはいかない理由がある。

 俺は机の中の整理をするフリをしながら、机の列の最後尾にいるはずの夢見乃夢叶を捨て眼で見た。

 ――凛の言う通りだ。ゆめかは素早く鞄に荷物を詰め込むと、誰よりも早く教室を出て行ってしまう。俺も急いで鞄を担ぎ上げて、ゆめかの後を追うことにした。

「随分早歩きだな……」

 廊下を歩くゆめかの速度は、後を尾けるのも一苦労なほどだ。声を掛けて一緒に目的地へ行ければ早いんだろうけど、ゆめかは俺に「研究」を隠したいようだし、どこへ行くのか問い質しても梨の礫に終わる気がする。このまま気づかれずに後を尾けるのが賢明だろう。

 昇降口で外履きに履き替え、中庭を通って六玖波大学へ。

 千現坂中学校は天王座キャンパスの敷地内に建っており、一応はフェンスで区切られているものの、通り抜けできる門がいくつも点在しているのが特徴だ。ゆめかは通用門の一つから敷地に入り、多少古ぼけたコンクリート校舎の中へと消えていく。

 俺は隠れていた物陰から顔を出し、素早くコンクリート庁舎へと近づくと、ガラス張りの出入口には「理工学群研究棟」と書かれた看板がぶら下がっているのが目に入った。

「なんだか、怪しい感じのする建物だな……」

 一応周囲を見回してから、正面玄関のガラス戸を押し開けて侵入する。

 小さな玄関ホールの先には左右に廊下が二本。正面に上下へ続く階段と、そしてエレベータがある。エレベータはちょうど動き出した後で、ゆめかはこれに乗ったらしい。

 エレベータが最上階である七階で停止したことを液晶表示で確認してから、俺は昇降ボタンを押し込んだ。

 一階に戻ってきた昇降ボックスに乗り、八階のボタンを押す。

 十数秒の上昇の後に開いた扉の先は、大量のダンボールとスチールラックで埋め尽くされたエレベータホールだ。

 もはやホールなのか物置なのか分からない雑多な空間を進んでいくと、突き当りに「ジークムント」と書かれたステッカーが張り付けられた扉を発見した。扉の表札の管理者欄には竜ヶ崎教子と書いてある。

「……ここだな」

 こんこん、とノックを二回。……しばらく待つが、返事はない。

 ドアノブを回してみると鍵がかかっていなかったので、俺は思い切って扉を開けてみる。

 扉の先は、やはり雑多な空間である。広さは教室の半分と言ったところか。

 壁際はすべて本棚が占拠し、床にはダンボールやら本やらコピー紙の束やらが散在していて、正直足の踏み場もない。不規則に並べられたデスク上にある数台のパソコンは電源が付けっ放しになっており、時折カリカリとハードディスクの回る音が聞こえていた。

「あれ、おかしいな。この部屋しかないと思ったけど……」

 部屋の中には、ゆめかどころか人の姿はない。照明は点いていたので、誰かがいるのは間違いないはずだ。

 部屋の中を少し歩くと、奥にもう一つ扉があった。この先だろうか。

 扉に手をかけ、俺はゆっくりと開いていく。

 その部屋の内側が明らかとなったとき――俺は一瞬、頭の中が真っ白になった。

 薄暗い部屋。

 低く唸る駆動音。

 壁や床を縦横無尽に這う、幾多ものケーブル類。

 そして、部屋の最奥で赤銅色の仄かな光を放つ、巨大な機械のシルエット。

 既視感……なんてレベルじゃない。

 これは、だ。

 夢の世界の、王宮魔力廠の奥で見た光景――それが、現実のこの場所に再現されていた。

「なん、で……これが……?」

 俺は愕然と呟いて、その機械に近づいていく。

 円錐台型の形状に、つるりとした固い材質。表面に刻まれた意味不明のアルファベットも俺の記憶に忠実に再現されており、隣にノートパソコンが置かれた台がある以外は、何から何まであの夢と瓜二つだった。

「おーい夢見乃、来ているか? 久々に豆から挽いてみたから、ぜひ試飲をだなー」

 唐突にそんな声が聞こえたかと思うと、背後の扉から一人のシルエットが入室してくる。

 その人物は壁のスイッチを押して部屋の照明を灯すと、先にいた俺を見て目を丸くした。

「……って、あれ、那珂湊幸太じゃん。こんなところで何してる?」

「げえっ、竜ヶ崎教子っ!」

 反射的にそのへんに置いてあった辞書で殴られる。マジで目玉が飛び出るかと思った。

「先生を呼び捨てにするんじゃありません」

「す、スンマセン教子先生……いや、でも、ちょっとあの聞きたいことがっ!」

「その前に、どうして那珂湊がこの部屋にいる? 一応は部外者立入禁止なんだけどな」

 竜ヶ崎教子……先生は、千現坂の教壇に立つときと同じ、スーツに白衣という恰好のまま近くの椅子に腰を下ろした。先ほどから手にはコーヒーカップが握られており、琥珀色の液体がなみなみと注がれている。

 俺は上昇した心拍数を抑えるように、一度深呼吸してから答えた。

「ゆめかを追ってきたんです。今日もこっちに来ているみたいだったので」

「ああ、そう。あのお姫様も、この研究のことを君にだけは話していたのか。まあ、論文の盗難を防ぐための部外秘なんて、中学生の君らには心配のいらない話だものな」

 ゆめかがほとんど誰にも、このことを話していない理由はそれか。俺は意を決して訊いてみる。

「あの、この機械って……もしかして、これがゆめかが手伝っている『研究』ですか?」

「そうだよ。――まあ、君になら教えてもいいか。学会の予行演習だ」

 ズズ、と竜ヶ崎はコーヒーを啜ると、威勢よく立ち上がって機械の前に進み出た。

「こいつの名前は、通称『S・M・A』という」

 ……があん、と頭を殴られたような衝撃。

 だが、俺は耐えて先生の話に耳を傾ける。

「ウチの教授が付けた名称もあるんだが、対外的にはSubconscious Motion Affecterの頭文字だと説明している。我がゼミが総工費一千万円をかけて開発した傑作だぞ」

「サブコンシス・モーション・アフェクター……? って、どういう意味です?」

「ふむ。そうだな、直訳するのは難しいが『無意識に影響を与えるもの』ってところかな」

「無意識に、影響を与えるもの?」

 気分が乗ってきたらしい。竜ヶ崎はさながら授業中のように、歩き回りながら説明をした。

「そもそも『意識』とは人間が思考活動の結果として物事を認識する精神領域のことだが、意識せず身体が動いてしまうことがあるように、思考活動とは関係なしに物事を認識する精神領域もまた存在する。それが『無意識』だが、S・M・Aはその無意識に影響を与える機械だ。人が無意識状態の時に発する電気信号を解析し、別の信号に組み替えることができる」

「別の信号に組み替えるって……人間の考えをコントロールできるってことか?」

 俺が訊くと、竜ヶ崎は首を横に振って否定した。

「そこまでの強制力はないよ。無意識はその名の通り意識のない精神領域なので、マインドコントロールのように考え方が変わるわけじゃない。嫌いだったピーマンが嫌いじゃなくなったり、意味の分からなかった抽象画が理解できたり、その程度の無意識傾向が変化するだけだ。だが、その傾向と境界条件の閾値を解析するのがS・M・Aであり、私たちの研究なんだ」

 はっきり言って、意味が分からない。

 そんな俺の顔を見て、竜ヶ崎はにやりと笑った。

「少し難しく言い過ぎたな。つまり、一種の毒電波だと思えばいい。S・M・Aが発する毒電波は、本当に人間の脳に影響を与えるのか? そういうのを調べているってワケよ」

「……なんだか、いきなり話が胡散臭くなったな」

「いやいや、これって結構世界中で研究されている分野なんだよ? 例えばサブリミナル効果ってあるじゃない。上映中の映画に何の関係もないコーラの映像を混ぜることによって、客がコーラを飲みたくなるっていう現象。あれも人の無意識に干渉する一種の方法だ。S・M・Aは電磁パルスと人の意識、そしてそれによる影響を記録する機械だと思ってくれていい」

 電磁パルスと人の意識、か。

 なんとも取り留めのない話に、俺は首を傾けた。

「で、ゆめかはここで何の手伝いをしているんです? まさか機械弄りじゃないんでしょ?」

「彼女はだよ。この実験の記念すべき第一号のね」

 竜ヶ崎はS・M・Aの隣に置かれたパソコンに近づいて、そのモニターの背をぽんと叩いた。

「一日一回、S・M・Aの発する電磁パルスを受けながら、このパソコンに自身に関するデータを入力してもらっている。趣味嗜好に心理テスト、意識に関する調査など云々」

「被験者……って、おっかない言葉だな。大丈夫なんですか、それ」

「電磁パルスが身体に害がないのは科学的に証明されているよ。一応、定期的に健康診断も受けて貰っている。それに、これは彼女が自ら志願したことなんだ。強制したつもりは一切ないぞ」

「へえ……あいつから言い出したんスか」

「ああ。理由は知らないけどさ。コイツの唯一の副作用に惹かれるトコでもあったのかねえ」

「副作用? 副作用なんてあるんですか?」

 一瞬背筋が凍ったが、竜ヶ崎のニヤついた表情から察するに、深刻なものではないらしい。

 竜ヶ崎はコーヒーをぐいと喉の奥に流し込んで、S・M・Aに刻まれたスペルを指差した。

「ここに書かれているの文章が、S・M・Aの副作用にして真の名前。ラテン語なんだけど、那珂湊読める?」

「英語も読めねえのにラテン語なんて無理でしょ。……それで、なんて書いてあるんです?」

 このとき。

 なぜか俺は、嫌な予感がしていて、

「正式名称、ソムニウム・ウンドゥス・アプラテス。そして、その意味は――」

 次の言葉を聞いたその瞬間に、何かの一つの答えが見つかったような感覚に襲われた。


夢の世界を見る装置Somnium Mundus Apparatus、さ」


 ――「夢の世界」を見る装置。

 それってまんま、ノイアードの世界のことじゃないのか?

「夢も無意識から生まれるものだからな。当然、無意識の傾向が変化すれば、見る夢も必然的に変化する。逆に言うなら、S・M・Aが発する電磁パルスとは――っと失礼、電話だ」

 隣の部屋から電話のベルが鳴り響いたので、竜ヶ崎は会話を中断して部屋を出ていく。

 部屋にひとり取り残された俺は、ふらふらとS・M・Aに近づいて、その固い表面に手を着いた。

「夢の世界を見る装置、だって?」

 この装置の影響を受ける実験にゆめかが参加しているのなら、あの夢を見ているのはゆめかだってことになる。ってことは、俺たちが見ている夢の正体とは、ゆめかの見ている夢だってことになるのだろうか。

 ――だとすると、おかしいことがある。

 ひとつは、なぜゆめかの夢を、俺たちが見ることができるのか。

 俺がこの部屋に入ったのは、今がはじめてだ。当然、S・M・Aの影響を受けているわけでもないのに、なぜアリエスに選ばれた俺たち三人だけが、他人であるゆめかの夢を見ることができるんだ?

 それに、当の本人であるゆめかは、ノイアードのことなど微塵も気にかけている様子はない。つまり、ゆめか自身はあの夢を認識していない。どうして俺たちだけが、その夢を見ていることを認識していて、ゆめか自身が認識していないのだろうか。

 いいや、疑問はそれだけじゃない。

 夢の結果により変化する現実に、アリエスだけがそれを認識できるという現実。

 現実を模倣する夢世界と、そして両者に存在するS・M・Aの符合――。

「……わからない」

 わからな過ぎる。

 想定を超えた事実の連続に、頭の中がショートしてしまいそうだ。

 これは本当に現実なのか。

 それとも現実こそが夢なのか――。

 そのとき。

 ――ずぶ、と。


 突然、S・M・Aに触れていた俺の手が、沈んだ。


「……な」

 驚いた時には、もう遅かった。

 まるで水の中に落ちるように、俺の手はずぶずぶと金属の中に溶けてしまい、俺の身体は一瞬のうちにS・M・Aの中に取り込まれてしまう――。

「これは……本当に、現実なのかよ――!」


 俺の叫びは、誰もいなくなった研究室の中に沈殿した。


  ◇◆◇

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