第四章 -4

 翌日の放課後。

 俺が待ち合わせの時間に行くと、野上原画陸は他校の中学校の正門前で仁王立ちしていた。

 校門の中から画陸と目を合わせないように出てくる女子たちの列を縫って、俺は仕方なく画陸に声を掛ける。

「……遅いぞ貴様。俺だけ高校の制服だから、目立って仕方なかったぞ」

「いや、目立ってたのは制服のせいだけじゃないかなーって」

 ここは六玖波大附属校のひとつ、三ノ宮学園中学校だ。

 元女学校であるこの学園に通うのは主に高級住宅街・三ノ宮出身のお嬢様で、昨年の共学化により六玖波市中の男子生徒憧れの聖域となっている。

 そんな名門校の放課後にむさ苦しい喧嘩番長風の男が校門前で仁王立ちしていたらそれこそ警察に通報されるレベルだと思うが、アイアンクローが怖いので俺は黙っていた。

「……で? 目的の奴はまだ出てこないのか?」

「まだだ。奴は部活をやっているリリンの下校時刻に合わせて、迎えの車を呼ぶらしい。校内は携帯電話が禁止だから、車を呼ぶには一度校門から出る必要があるそうだ。そこを押さえる」

「そんなテンプレなお嬢なのかよリリンの奴は……しかし、良く知ってたなそんな情報」

「伊達に貴様より長くアリエスをやっていない。ノイアードと六玖波市が似ていることに気づけば、夢の登場人物が六玖波市のどこにいるかを調べるくらい――む、奴が来たぞ」

 画陸は話を中断し、大股に校門へ近づいていく。その先には一人の男子生徒の姿があった。

 顔を知っているのかと画陸に訊こうと思ったが、――なるほど、これなら間違えようがない。

 見事なまでの金髪に、透き通るような白い肌。背は俺とそれほど変わらないだろうに、腰の位置は驚くほど高く、優しげに眼を細めた風貌は一目で世の男子の敵だと判断できる。

 スマートフォンを取り出したところに現れた大柄な男子高校生の姿に、その金髪野郎は一瞬ぽかんと言葉を失う。それから、後を追って現れた俺と画陸の顔を交互に見た。

「ええと……何か僕にご用でしょうか。それとも、学園にご用ですか?」

「貴様、アルだな。……リリンのアリエスの」

 画陸がそう言うと、アルは細目をわずかに大きくした。

「その目つきの悪い顔と気の抜けた顔は……もしかして、ガリク君とコータ君ですか?」

「だ、誰が!」

「気の抜けた顔だ!」

 画陸と同時にツッコんでしまう俺だった。

「これは驚きました。僕の夢の登場人物が現実に、しかも人間になって現れるだなんて……」

「……やっぱり、お前も同じ夢を見ているんだな」

「同じ夢? どういうことですか、コータ君」

 俺と画陸が、ここに至るまでの経緯を説明する。


 最後まで話を聞いたアルは鷹揚に頷いた。

「――なるほど、理解しました。つまりあの夢は単なる夢ではなく、この世界と何らかの繋がりがある代物で、そしてその変化を認識できるのはアリエス役の人間だけだということですね」

「ああ、その通りだと思うよ。……けど、随分すんなりと受け入れるなあ、お前」

「お二人がそうおっしゃる以上、僕だけ否定しても仕方ありませんからね」

 冷静と言うか、寛容と言うか……金髪君は爽やかに笑い、そして改めて俺たちに向き直った。

「そういえば、この姿では初対面でしたね。僕は下妻しもづまアルバトロス。三ノ宮学園中学の三年生です。学校に通いながら、お嬢様のお屋敷に住み込みで執事をさせてもらっています」

「い……いろいろツッコミどころが多いな。とりあえず、欧米人なのか?」

「日本とドイツのハーフですね。と言っても、ドイツには一度も行ったことはありませんが」

 住み込みで働いていると言うあたり、多少込み入った事情があるのかもしれない。

 しかし、そんな俺の心中など意にも返さず、アルはうーんと唇に手を当てつつ黙考した。

「確かに、学校の女子やお屋敷の使用人の一部を、あの夢の中で見たことがありました。でもそれは、僕の記憶を元に夢が構成されているからだとばかり思っていましたから……」

「貴様はどう思うんだ? あの夢の結果がこの現実に影響を与えていると思うか?」

「……そういえば、こんな話があるのをご存じですか?」

 画陸の問いに何かを思い出したらしいアルは、握りっぱなしだったスマートフォンを操作して、インターネットの地域版新聞のサイトを俺に突き出して見せた。

「なんだこの記事……『原因不明の昏睡状態続く、六玖波市で二十例目』――?」

「この六玖波市で時折発生している奇病の記事です。夜眠ったまま朝目覚めない、という人がここ数か月で二十人以上報告されています。元々似た症例にナルコレプシーやアルツハイマーがあるせいであまり全国的に報道されていませんが、六玖波市ではちょっとした社会問題になりつつあるようですね」

「これって、まさか……夢の中でナイトメアに触れられた人間ってことか?」

「確定とは言えないが、いろいろな部分で符合するな。だが、そうなると――」

 画陸がアルを見る。

 アルは静かに頷いて、

「ええ。夢の中の住人は、現実の人間と同一人物か、もしくは意識を共有する人物ということになります。ちょうどオンラインゲームの中のアバターのような感じでしょうか」

「そして、夢の中での状態が、現実の身体にフィードバックしている……というわけか」

 二人のやり取りに、俺は慌てて口を挟んだ。

「じ……じゃあなんだよ、夢の中のユメカは、現実の夢見乃夢叶と同一人物なのかよ?」

「ゆめゆめうるさいぞ。まだ確定ではないと言っている」

 画陸が言う。

 アルは再び頷き、話を続けた。

「仮にその説が正しいとなると、彼らは夢の中での記憶を忘れている、もしくは記憶だけはフィードバックできない仕様ということになります。記憶とはすなわち人格や意識ですから、そういう意味では厳密な同一人物とは言えないかもしれません。……うーん、難しいですね。なぜあんな夢が存在するのか、ますます分からなくなってきました」

「だけど、俺たちだけは記憶を保有しているだろう? これってどういう理屈なんだ?」

 俺の問いかけに、アルが口を開きかけたところで、別の声が背後から飛び込んできた。

「――あら、アル。珍しいですわね。他校のお友達?」

 校門からひとりの少女が現れる。軽くウエーブした長髪と、気の強そうな吊り目が印象的な美少女だ。

 こちらも見ただけですぐに判る。夢の中でリリンと呼ばれる魔法少女の、現世の姿に違いなかった。

「お嬢様。申し訳ありません、まだお車の手配ができておりません。少々お待ちを」

「そう、分かったわ。お急ぎなさい」

 ぺこりと頭を下げたアルに対し、慣れた様子で言葉を返すリリン。いかにもいいトコのお嬢様と言った風体だ。

 アルが電話をかけている間に、リリンはこちらへ改めて向き直った。

「初めまして、ですわよね。私、三ノ宮学園中学三年C組の常陸鴻巣ひたちこうのすりんと申します」

「常陸鴻巣? あの、お山のてっぺんの?」

 俺は思わず声を上げてしまう。

 リリン――本当の名前は凛と言うらしい彼女は頷いた。

「その通りですわ。同じ三ノ宮なのに学校が遠いから、通うのも不便していますの」

 冗談なのか本気なのか分からない笑みを凛は浮かべる。ちなみにここで言うお山とは六玖波山ではなく、三ノ宮の郊外にある小高い丘のことだ。

 十年ほど前、とんでもない金持ちがクソでかい洋館を建てたと有名になったことがあるが、その金持ちの名前が常陸鴻巣だった。子供の頃、その洋館でいつかバイオハザードごっこをしたいと思っていたから記憶に残っている。

「それにしても、アルバトロスに他校のお知り合いがいるとは知りませんでしたわ。学園と屋敷の往復しかしない子だと思っていましたから。お二人とはどこで知り合ったの?」

「え? ええと、今お知り合ったっつーか、夢の中でお知り合ったっつーか……」

「……夢の中?」

 俺の答えに、凛が訝しげに眉を寄せる。

 画陸がその会話に割って入り、強引に話を逸らした。

「そういや、こちらも名乗っていなかったな。俺の名は野上原画陸。こっちは那珂湊幸太だ」

 そう言いつつ、凛の眼をじっと見つめる画陸。どうやらこちらの名前を教えて、反応を確かめているようだ。夢の記憶が少しでもあれば、何らかの変化はあるだろうという算段らしい。

 きっと無駄だろうという俺の予想を裏切り、果たして凛に変化がある。

 凛は「えっ?」と小さな唇を丸くして驚きの表情を作ったかと思うと、ずいと俺の前へと顔を突き付けてきた。

「貴方……ひょっとして、テレビゲームとか好きじゃありません?」

「ああ、一億と二千年前から愛してるけど」

「それじゃ、貴方が夢見乃さんの言っていた幸太君ですのね。千現坂の制服だったから、もしかしたらと思っていましたの」

 にっこりと微笑んでそう言う凛。

 俺は驚いて、思わず彼女に近づいた。

「リリ――常陸鴻巣は、夢見乃夢叶のこと知ってるのか?」

「ええ。彼女、この間まで千現坂の生徒会長だったでしょう? 私も以前は三ノ宮の生徒会長をしていたのだけど、他校交流会の時に知り合って。それ以来、大切なお友達のひとりですわ」

 ……全然知らなかった。改めて、俺はゆめかのことを何も知らないんだなと思い知らされる。

「夢ちゃん、よく貴方のことを話すから、どんな人なんだろうと私も気になっていましたのよ」

「お、俺のことを? あいつ、何だって言っているんだ」

「そうですわね、九割くらいは悪口かしら。……あ、そうそう。絵空さんも知っていますわよ」

 今度は、画陸の方に向かって言う。

 画陸は口を真一文字に結んだまま、首肯した。

「……やはりか。絵空も筑穂中の生徒会長だったからな。そうではないかと思っていた」

「おいおい何だよ。いろいろ繋がってきたじゃねえか……!」

 俺は思わぬ展開に身震いして言う。

 ゆめか、絵空、凛の三人が知り合いと言うことになれば、彼女らが「魔法少女役」であることも何らかの意味があるのだろう。

 当然、そのことに気づいた画陸は俺に無言のアイコンタクトを送って、再び凛に口を開いた。

「少し変な質問をするが。君ら三人の間で、最近何か変わったことはないか? 普段と違うことならば何でもいい。誰かが気になることを言っていた、みたいなことでもいいんだ」

「変わったこと、ですの? ――いえ、特には……最近はお互いに忙しくて、なかなか会えませんし。強いて言うなら、夢ちゃんに最近会っていないのが残念ですわね」

「忙しいって、何がそんなに忙しいんだよ。別に受験勉強がって意味じゃないだろ?」

「……絵空は受験勉強で忙しいぞ。あいつ、元生徒会長のくせに成績は中の下だからな」

 なぜか画陸が呆れたように言う。

 凛も同意して、

「電話しても、毎日塾で勉強漬けで死ぬ死ぬって言ってますわ。その点は、私と夢ちゃんは大丈夫なんですけど、夢ちゃんは研究の方が忙しいみたいですから。少し心配ですわね」

「……研究?」

 訊き慣れない言葉に俺は声を高くする。

 言った本人である凛も逆にびっくりした様子で、

「あら、那珂湊さんはご存じじゃありませんの? 六玖波大学の院生ゼミの研究を手伝っているって話。学会が近いからって、ここ最近は毎日研究室に通っているらしいですわよ?」

「研究って……あいつ中三だぜ? 一体、何の研究だよ?」

「さあ、私も詳しくは。でも、千現坂の科学部全員でお手伝いしているという話ですから、きっとクラブ活動の一環なんでしょうね」

 ――稔の話を思い出す。

 確かに、最近は大学の方で部活動をしているという話だった。

 それが単なる部活動なのか、それともゆめか自身の特別な理由によるものか判らないが――、

 その話を聞いて、俺は何となく、不安になったのは事実だった。

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