第二章 -1
朝八時の停留所には、すでに数人の登校者や出勤者が列を作って次のバスを待っていた。
千現坂中学の制服もいれば、筑穂台や、東稜の制服もいる。スーツ姿の社会人は手元の新聞を斜めに読み、女子高生の二人組は昨日観たテレビ番組の内容について盛り上がっている。
どこにでもあるいつもの光景。
魔法世界とは何の関係もない、日常の風景だった。
「……朝日がまぶしー、ってばよ」
俺は列の最後尾に張り付きつつ、まだ目覚めきっていない頭を覚醒させるためにうーんっと伸びをする。
頭上に広がった雲一つない青空と、住宅街の向こうに見えるビル群を見回して、本日何度目かも分からない溜め息を吐き出すのだった。
――昨夜の夢は、さすがにちょっと厨二病が過ぎるだろう。
自分の夢ながらドン引きである。
まさかゆめかを魔法少女にした挙句、小動物な俺と共にドラゴンへ戦いを挑むとは。今時どこのマンガだってやってないベタ展開である。
しかもナニ、俺ってばホラコンとかスタハンとかで鍛えた技術を使って、ゆめかを勝利に導いちゃったワケ?
どんなご都合主義だよ。そりゃ確かにゲームの腕に自負はあるが、それが現実でも通用するなら俺は今頃アメリカ空軍のトップガンだ。
米軍からオファーが来ていないということは、それが通用するのは夢の中だけということで。
「最近、徹ゲー多かったもんなぁ……」
今更ながらに自分の習慣のマズさを反省する俺だった。
やがて停留場にバスが滑り込み、俺も列に従って搭乗口へ乗り込む。
この時間帯の六玖波市都市巡回バス、略してリトバスは、大学の研究者から小学生までの学生たちで一杯だ。
乗車券を取ったところで座れる椅子の空きなどなく、俺は仕方なく手近な位置のつり革を掴んだ。
――いやまあ、妙にリアルだったのは認めるけどさ。
動き出した車内に揺られ、つり革に体重を預けつつ、昨日の夢を反芻してしまう。
確かに、あの夢はいつも見るような夢と違って、やけに設定が凝っていたように思えた。
ビジュアル的な部分にしても、十八世紀あたりの西洋風の街並みといい、魔法少女の服装といい、仲間たちのキャラ付けといい……ちょっとしたテレビアニメでも作れそうな勢いだ。
特に俺なんて、イヌだかウサギだか分からない正体不明の動物だぜ。確か「アリエス」とか呼ばれていたっけな。
その設定って簡単に言えば、魔法少女モノにありがちな小動物のパートナーってトコだろう? 自分を人間のキャラじゃなくて、パートナーに設定したあたりが中々にシブい。こんな複雑な設定の夢なんて、そうそう見れるもんじゃないような気がする。
それだけじゃない。
空を飛んだ時のリアルな感覚を、今でもはっきり思い出せるんだ。
夢なんてモノは、目が覚めた後には忘れていくだけの存在のはずなのに、今でもはっきり思い出せるなんて珍しい。一体どういう精神構造が俺の前頭葉に働いたのだろう。
しかも、よりによってあの夢見乃夢叶を、ヒロイン的ポジションに置いちまうだなんて――、
「さっきから、何をブツブツ言ってるのよ」
と。思いがけない清涼な声が聞こえてきて、俺はゆっくりと視線を下げる。
俺の掴んだ吊り輪の真正面。六人掛けのシートの真ん中に、鞄を膝の上にちょこんと置いた、夢見乃夢叶の顔がこちらを見上げていた。
「……な、なんたるちーや」
「なんたるちーや? ……あっ、ちょっと。なんで逃げようとするのよ」
その場を離れようと周囲を窺ったが、あいにく他のつり革はすべて埋まってしまっている。
俺は仕方なく元のポジションに身体を戻し、ゆめかと正面に対峙する選択肢を選ぶのだった。
つーか、何この偶然。マジで気が付かなかったぞ。
「私はすぐに気付いたわよ。朝から不愉快な顔が近づいてきたなーって」
ハイ朝一番から毒舌入りましたー。俺だけに向けられる悲しい特権ですねコレ。
やっぱゆめかはこうでないと、と心中で舌を出していると、ちょっとした疑問に思い至る。
「あれ……そういや、ゆめかって確かチャリ通だろ。なんでバスになんか乗ってんだよ」
「……い、いいでしょ別に。私だってバスに乗ることくらいあるわよ」
強気だった態度が一変、なぜか恥ずかしそうに視線を逸らしてしまう。そもそも朝七時台登校が当たり前のコイツにしては、こんな遅刻ギリギリの時間に見かけること自体が稀だ。
「ははあ……ひょっとして寝坊か? で、チャリじゃ間に合わないからバスにしたと」
「なっ、違うってば! 今日はバスの気分なだけなの!」
こちらに向き直り、ムキになって頬を膨らませるゆめか。
そのときにへの字に曲がった桜色の唇を見てしまって、俺は思わず自分の顔を持っていたカバンで覆い隠した。
「……え? 何その態度」
間の抜けたゆめかの声。思いがけない俺の行動に呆気に取られているらしい。そりゃそうだ。昨日の夢でのキスを思い出しちまって顔から火が出てるからだ、なんて言えるかっつーの。
畜生どうした俺の頬筋よ。第一ありゃ夢じゃねえか。俺がキスしたのは夢の中のユメカであって、夢見乃夢叶は夢に出てきたユメカとは何も……ってあー、ユメユメややこしい!
そもそも、俺はあの時小動物の姿だったんだ。つまりアレは、ご主人様がペットにキスするようなもので、邪な気持ちは一切ない。そう考えれば完全なるノーカンと言えるだろう。
「……フー、俺の中の殺意の波動がようやく落ち着きを取り戻してくれたぜ……」
「なにそれキモい」
冷めた目で見つめてくるゆめか。そんなに見るなよ、新しい性癖に目覚めてしまうだろうが。
とにかく、あの夢のことは忘れよう。どうせ同じ夢を見ることなんてほとんどない。
今日も朝からつまらない一日が始まる。魔法も魔法少女もいない、平凡で標準な日常が。
窓の外を通り過ぎていくDOKONOビルの風景を見送りながら、俺はそんなことをぼんやりと考えるフリをすることで、ゆめかの不審者を見る目から逃れようと努力した。
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