第五章 -5(period)
「こーめーそぉ~」
光が視界を覆っていたのは、ほんの一瞬。
光から抜け出した先に迫っていたのは、馬に跨った漆黒の女騎士の姿だった。
「アルトランスうう――ッ!」
ユメカが叫んで、杖が槍に変化する。
槍は一息に女騎士の躰を貫き、そのままの勢いで研究室の窓から外へ飛び出す。
女騎士が霧散すると、そこに広がった景色にユメカが声を上げた。
「うわあ……ここが、コータの世界なの?」
――そこは、夕陽に赤く染まった近代的な都市の空。
今突き破った研究棟の窓も、隣に佇む千現坂の校舎も、遠くに見える繁華街のビル群も――。
すべてが数分前と変わらない。
……数百のナイトメアに襲われた、六玖波市の上空だった。
「ああ、そうだ。――戻ってきた。俺は、戻ってきたんだ――んがくん!」
感動の台詞の途中で杖が揺れ、急激に数メートル落下する。
俺は舌をがぶがぶ噛みながら、慌てて杖にしがみ付いた。
「なっ、何してんだユメカ! しっかり飛べって!」
「だってえ、コータ重いよ! 杖折れちゃうよ!」
ユメカの顔が俺の目線と同じ高さにあることに気づいて、俺は自分の身体を見下してみる。
そこにあるのは、千現坂の学生服に包まれた俺の身体だ。フワモコの体毛にも覆われていない。
アリエスとは違う、正真正銘の人間の身体だった。
「おおっ、なんで? ……って、ああそうか、こっちに戻ったから身体も元に戻ったのか」
「そ、それはいいからあ、早く下りてよお! 重くて落ちちゃうってば!」
「ば、馬鹿言うなこんなところで下りられるか! 杖を戦闘機に変えればいいだろ!」
ユメカが杖に魔力を送り、F35Bを出現させる。
戦闘機の背でようやく人心地のため息を吐き出す俺。
ふと隣を見ると、俺の顔をまじまじと見つめているユメカの顔があった。
「な、なんだ? 俺の顔に何かついてるか?」
「……それが、コータの人間の姿なの?」
あ……そういやユメカがこの姿を見るのは初めてなんだっけ。
俺は急に気恥ずかしさを感じてしまって、思わず学生服の襟をかき集めてしまう。
「な……なんだよ、幻滅したか? 悪かったな、お前のパートナーがこんな冴えない奴で――」
「ううん。思っていたよりずっと……私好みの顔してるよ」
「はあ? それどういう意味だ!」
「おおっと、ゴメン。もっと話していたいけど、あいつらがそれを赦してくれないみたい」
ユメカが戦闘機の背に立ち上がり、周囲を見遣る。
俺も視線を巡らせると、中空には文字通りの黒山の人だかり集まっていた。
もちろん、馬に跨り殺意の篭った目でこちらを見つめるそいつらが、単なる物見遊山で集まってきたはずがない。俺たちを手厚い歓迎で持て成そうと、手にした武器を握りしめて俺たちの隙を窺っている。
「まずいな、囲まれた……ユメカ、いけるか?」
「大丈夫、任せて。今日の私は――誰にも負ける気がしないッ!」
ユメカの咆哮に呼応して、F35Bがすべてのミサイルを発射した。
周囲に咲き乱れる爆発の火花。
その煙を掻い潜って次々にナイトメアが突撃してくる。
F35Bは迎え撃つように急発進、刃と化したカーボンFRP製の翼をその身に叩きつけて、突撃してきたナイトメアを両断した。
「まだまだァッ!」
エルロンとエアブレーキを用いた急速旋回で不用意に近づく連中を巻き込みつつ、機銃の乱射で片っ端から墜としていく。サイドワインダーも再び投下して、空を業火で焼き尽くした。
「いいぞユメカ、そのままだ。なるべく大きく動いて速度を維持するんだ!」
本当は、F35Bにはミサイルは八発しか積載できないのだが、これは言わない方が賢明だろう。
本日数十発目のミサイルを打ち出したユメカは、肩で息をしながら背後の俺に叫んだ。
「でも、数が多すぎるよ。地上で人々を襲っている奴らにまで手が回せそうにない!」
やはり魔法少女一人では、数百ものナイトメアを撃退するのは限界があるか。
もう百は撃滅したはずなのに、次から次へと湧いてきやがる。
これほどの数が、一体どこからやってくるんだか――と上空に広がる暗雲を睨み付けたとき、俺はその答えに気が付いた。
「ユメカ、上だ! 上に広がる暗雲の中心。あそこから、ナイトメアが湧いてやがる!」
今までなぜ気が付かなかったのだろう。ナイトメアが出るときに決まって現れる、上空の分厚い黒雲。その渦を巻く中心から、今も数体のナイトメアが降下してきているのが見えていた。
「じゃあコータ、あの雲の中にナイトメアを送り込んでいる原因があるってこと?」
「一か八かだ。あの雲の中に突っ込むぞ。元を絶てば勝機が見える!」
ユメカは頷き、戦闘機のエンジンに火を入れた。
赤い尾を引いて上昇していくF35B。
往く手を遮る敵を撃ち落とし、耳鳴りがするほどの急激な上昇に耐えて、F35Bは雲の渦中へと突入する。
視界を遮る雲海を突き抜けると、その先に魔力の紅い光が見えてきた。
「ユメカ、あれだ! 対空ミサイル全弾発射。正体を見極めるのは撃ち落とした後でもいい!」
「了解ッ……くらええっ!」
ユメカが魔力に反応したミサイルが、すべて一直線に目標へ向かって飛んでいく。
三発ほどが周囲の女騎士の躰に遮られたが、残りの五発は間違いなく直撃コースに乗っていた。
だというのに――。
紅い光に着弾したその瞬間、ミサイルは消失した。
「何ッ?」
突然のことに俺は目を見開く。
その消え方は尋常じゃなかった。爆発しても効かない……ならまだ納得もできる。だが、今のは違う。明らかに、着弾前に「消えた」のだ。
それはまるで、DOKONOビルが消えた日みたいに、あっけなく――。
「コータッ! 接敵するよ! もうすぐ相手の顔が見えるっ!」
ユメカが叫ぶ。
なおも上昇を続けるF35B。
紅い光との距離は瞬く間にぐんぐんと縮まり、
そして……俺たちは、その紅い光の正体と対面した。
「――なッ?」
「――えっ?」
俺とユメカが声を発したのは、ほとんど同時。
――当然だ。
紅い光を発していた正体は、俺たち二人が世界で一番よく知っている姿だった。
「ゆめ……か……?」
俺の呟きが、空しく暗雲の中に木霊する。
俺たちの目の前の空間に浮かんでいたのは、夢見乃夢叶。
長い黒髪に、特徴的な結い紐付きのヘアピン。千現坂の青いブレザーの制服を着込んだその恰好は、数十分前に俺の目の前で消失した時そのままで。
今、俺の隣にいる魔法少女とまったく同じ顔をした女が、俺たちの前に立ちはだかっていた。
「お前、本当に夢見乃夢叶か? なんで? どうなってる? こういうことなんだッ?」
俺は錯乱して叫ぶが、ゆめかは空に浮いたまま何も言葉を発しない。
次に口を開いたのは、俺の隣の方のユメカだった。
「どうして、私がもう一人いるの? それに……ナイトメアが飛び出してくるココにいるってことは、もしかして――」
「ふっ、ふざけるな! そんなことがあるわけがねえ!」
ユメカの二の句を、俺は思わず遮ってしまう。
そうさ、そんな馬鹿なことがあるもんか。
ゆめかが、ナイトメアを造り出していたなんて――。
「――そうだよ。みんなみんな、幸太が悪いんだ」
ぽつりと、紡がれる言葉。
夢見乃夢叶はゆっくりと眼を開き、俺の顔を睨み付けた。
「俺が悪い……だって?」
「そうだよ。分かってないの? こうなったすべての原因は、幸太にあるってことを」
「な――」
俺は、眼を見開いて絶句する。
ゆめかは俯いて、自分に語り掛けるように言葉を続けた。
「そりゃあ確かにね? 幸太は幼稚でずぼらで口が悪くて、ゲームばっかりしてるような最低最悪な駄目野郎だけど。それでも、私にとっては特別な人で、一番近い男の子で」
唐突にこそばゆくなるような話が始まる。
なぜこの場面でそういう話が出てくるのか、俺にはまったく理解できない。
しかし、ゆめかの表情は苦虫を噛み潰したようなものに変化した。
「だから、何かが変わりたいって。だけど、何も変われなくて。ただ一緒にいるだけじゃ駄目だって。――何かが変わらなきゃ駄目だって。それで、S・M・Aに賭けたんだ」
「S・M・A……? 竜ヶ崎が造った方の、S・M・Aか?」
しかし、ゆめかは俺の問いに答えることなく独白を続ける。
「S・M・Aは夢を造り、夢を見る。――別にきっかけじゃなくてもよかったの。ただ、こんな世界があってもいいかなって。昔読んだおとぎ話や数々の神話、漫画やゲームに出てくる世界の中で、ただ何かが変わったものを視たかった。――違う自分と、違う幸太を視たかった」
――おいおい、それは。
その台詞は。
あの世界の前提を、根底から覆す発言に、他ならないんじゃないか――?
「変わって欲しい世界と、変わらなくていい世界。そして、無意識の変革を促すS・M・A。最初はただの好奇心だった。上手くいけば儲けもの、それくらいの気持ちだったのに――」
ここで、ゆめかは俺を見て、
「なのに――夢の中の私を好きになるなんて、反則じゃない!」
周囲を巡る暗雲の壁から、何百と言う数のナイトメアを出現させた。
「な……ッ! ゆめか、やはりお前が……!」
俺はゆめかに話しかけようとするが、凄まじい突風に遮られて言葉が届かない。なのに、あいつの言葉だけはこちらに聞こえているのはどういう原理だと苦虫を噛んだ。
「私が望んだのはこんな世界じゃない。ただ、いつか変われたらそれで良かった。ほんの小さな変化で良かったんだ。それなのに……どこで間違っちゃったの? ほんの少しの希望と、ほんの少しの錯覚と、ほんの少しの恋しささえも紛らわせない夢だったの? それなら私は、そんなのいらない。アンタだけが変わる世界なんて、そんな夢はいらないのよおォッ!」
ゆめかの絶叫を皮切りにして、数百のナイトメアが一斉にこちらへ襲い掛かる。
ユメカは必死にミサイルで応戦するが、その数は先ほどまでの戦闘とは比べ物にならない物量だった。
「コータ、無理だよッ! 一度引こう!」
「駄目だ! あそこにゆめかがいるんだぞ? あいつを残して行けるかよ!」
俺は戦闘機から身を乗り出して、すぐそこにいるゆめかの腕を取ろうとする。
だが、あと数メートルが届かない。
俺は揺れる翼にしがみ付きながら、それでも必死に手を伸ばした。
「ゆめか、俺の手を取れ! お前の話は何が言いたいのかわかんねーんだよ! 言いたいことがあるなら、こっちにきてしっかり話せ!」
あと数メートルが、数センチに。もう届く距離だ。俺はぎりぎりまで身を乗り出して――、
【
突然、足元の戦闘機が、消失した。
「――ッッ!」
声にならない悲鳴と共に、俺の身体は宙に投げ出される。
遠ざかる視界の中、俺を見下ろす夢見乃夢叶と、何百というナイトメアの集団に呑み込まれながら、落ちていく俺に向かって手を伸ばし続けるユメミ・ル・ユメカが映っていた。
「コータあッ!」
「ゆめかっ! ユメカあああ――ッ!」
最後に叫んだその台詞が、どちらのゆめかを指していたのか、遂に自分でも分からなかった。
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