第五章 -4
「――っだあああ! 痛ってええ!」
シフトした――と思ったその瞬間、目の前に現れた石畳に思い切り顔を擦り付けて悲鳴を上げる。
痛みにもんどり打つ俺に近づいてきたローブの影が、やれやれと怜悧な言葉を発した。
「召喚されるとき、貴方はいつも叫んでいますね。アリエス=コータ」
「そ……その声はブリゾか。ってことは、ここはノイアードか!」
俺は前足で顔をさすりながら立ち上がる。
そこは既に見慣れた王宮魔力廠内のS・M・A部屋だ。自分の身体がアリエスに変わっていることを考えても間違いなかった。
「しかし、こちらが呼んだわけでもないのに召喚されるとは……自らの意思で来たのですか?」
「いや、ここに来る明確な意思があったわけじゃないが……それよりも! S・M・Aの夢を把握しているかブリゾ? あっちの世界で大変なことが起こってるぞ!」
「こちらでも確認しています。大量のナイトメアが街を襲っているようですね」
あくまでも冷静に、淡々と言うブリゾの態度に、俺は苛々を隠さずに訴える。
「どうなってんだよ! 今までナイトメアが現れるなんてことはなかったんだ。それが急に、しかもあんな大量に……一体何が原因なんだ?」
「私にも分かりません。そもそも、ナイトメア自体の正体も我々は把握していないのです。何処から来て何のために人々を襲うのか――それを知る者は誰もいません」
「ナイトメアが何なのかは今はいいんだよ! とにかく、あちらの世界を何とかしないと……」
「……別に良いのではありませんか?」
さらりとブリゾがそう言って、俺の表情は硬直した。
「所詮はS・M・Aが見せる夢です。S・M・Aが何の意図を持って夢の内容を改変したかは分かりませんが、現実であるこちらの世界に影響がない以上、放置しても問題ないと思います。あえて心配事を上げるとすれば、貴方たちアリエスの精神にどんな影響があるか、ですが」
「放置しても問題ない、だって……? ふざけんなよ、あっちには俺の家族や親戚、学校の友達に、それに夢見乃夢叶だっているんだぞ。そいつらを見殺しにしろって言うのか!」
俺はたまらず叫んでいた。
しかし、ブリゾの表情は変わらない。
「その方々も含めて夢なのですから、気にすることはないでしょう。無が無に還るだけです。貴方の心情も多少はお察ししますが……悪い夢を見た程度のことで大騒ぎする必要はありません」
「なッ……んだよ、その言い方! 俺にとって、あっちは、あの世界は……ッ!」
想いが強すぎて、これ以上吐露する言葉が見つからない。
俺はその場に座り込んだ。
……畜生、画陸の言う通りだよ。これは、理屈じゃねえんだ。
あちらの世界は俺の大切なものがあり過ぎる。
それがたとえ夢だったとしても、掛け替えのないものに変わりはなく、大切だからこそ失くしたくねえんじゃねえか。
ブリゾの言う方が合理的なのは理解できるが……これは、そういう理解とは別の話なのだ。
「……そういや、ガリクとアルはどうしてる。こちらに来ているのか?」
俺はブリゾと目を合わせないように訊く。
ブリゾは首を横に振った。
「こちらではナイトメアが発生しておりませんので、まだS・M・Aの中です。S・M・Aも現在、緊急メンテナンス中ですので、通常は貴方が現れることも不可能なはずなのですよ?」
「緊急メンテナンス中?」
俺はS・M・Aに向き直る。
現代世界と瓜二つのその円錐台型の構造物は、薄い光を纏わせながら、低い駆動音を唸らせていた。
「貴方が召喚される直前、魔力の精製率が急激に低下したのです。原因究明のため、しばらくの間S・M・Aの機能が制限されます。都市への供給も停止している状態ですね」
俺は窓の外に目をやる。陽の落ちたノイアードは、確かにいつもより灯りが少なく寂しげだ。
そのおぼろげな光を見ているうちに、ある当然の疑念が頭をよぎった。
「……なあ、ガリクとアルはまだあちらの世界にいるんだよな。それってマズくないか? あいつらがナイトメアに襲われたら、こちらの世界へ戻って来られなくなるんじゃないのか」
「それは――いいえ、大丈夫のはずです。あちらの世界とは、あくまでS・M・Aがアリエスの情操教育のために用意した夢の世界です。アリエスの身に危険を与えるはずがありません」
「そうか? 現に俺は、あちらのナイトメアに襲われたぜ? これってつまり、あちらのナイトメアは俺を永遠の眠りに着かせることが可能であり、同時に、俺があちらで眠れば、こちらにはもう来られなくなることの証左ってことにならないか? ……アリエスはあちらの世界での精神状態をこちらに引き継ぐんだからな」
ブリゾが黙る。
俺はブリゾの顔を真正面から睨み付けて、話を続けた。
「やはりこれは異常事態なんだ。あちらの世界は、もう単純な『S・M・Aが見せる夢』という存在じゃなくなっている。少なくとも、あちらの世界の状態がこちらの世界のS・M・Aに影響を与えているのは間違いない。緊急メンテナンスもそれが原因なんだろう?」
でなければ、タイミングが合い過ぎている。あちらの世界でナイトメアが現れたのは五分以上前なのだから、時系列的に見ても、あちらの異常事態が先なのは明らかだった。
「それに、ゆめかが……夢見乃夢叶が言ってたんだ。あんな世界、夢見るんじゃなかったって。この言葉が何を意味しているのか……そして、画陸とアルを助けるためにも、俺はもう一度あの場所へ戻る必要がある。あの世界を、これ以上ナイトメアの好きになんかさせるもんか!」
「お待ちください。正気ですか? 貴方はあちらではただの人間。ナイトメアが視認できるだけの一般市民なのですよ? あの大量のナイトメアを前に何ができるというのです」
「――それなら、私も行くよ」
突然響いた第三者の声。
部屋の扉の方を見ると、そこにはドレス姿のユメカが立っていた。
「ユメカ? お前、どうしてここに……」
「私はコータのパートナーだもん。コータがこちらに来たことくらい分かるよ」
「それより、姫様……今なんとおっしゃいました? 私も行くとはどういう意味です」
迫るようなブリゾの言葉に、ユメカは臆することなく答えた。
「だって、コータの世界がナイトメアに襲われているんでしょう? なら助けに行かなきゃ」
「しかし、アリエス=コータの世界とは、実在しない夢の世界なのですよ。助けを求める人々でさえ、S・M・Aが造り出した夢幻の存在です。そんな世界を助けに行っても――」
「ナイトメアと戦えるのは魔法少女だけなんだよ? そこがたとえ夢の世界だったとしても、助けを求める人がいるのなら助けたい。コータが護りたいと言うなら護りたい」
そう言いながら、ゆめかは俺を抱え上げ、自然な仕草でキスをする。
部屋に満ちる光の爆発。
その爆発が静まると、俺の前には魔法少女に変身したユメミ・ル・ユメカが立っていた。
「ねえブリゾ」
ユメカは自然な表情で、ブリゾに語りかける。
「私は単に、ソラエやリリちゃんと一緒に戦いたいためだけにこの道を選んだわけじゃないんだよ。私の大切な人と、その世界を護るために――私は、魔法少女になったんだ」
ブリゾは一瞬絶句して、次に諦めたような表情を浮かべる。
ユメカは俺の身体をぎゅっと引き寄せて、今までで一番魅力的な笑顔を見せた。
「だから、行こうコータ! キミの世界へ。キミの大切なみんなを助けに!」
「し……しかし姫様、どうするのです。行くにしても、その所在はS・M・Aの中なのですよ。夢の中に入れる魔法など聞いたこともないですし、そもそも人間の行ける場所ではありません」
ブリゾの言葉はもっともである。
アリエスの俺でさえ、S・M・Aの中で眠ることでしかアクセスできない場所なんだ。生身の人間であるユメカがおいそれと行ける場所ではない。
だが、しかし。
「大丈夫大丈夫! コータが行けるんだから、私も行けるって。要はS・M・Aの中にあるんだよね? それならS・M・Aの中に入っちゃえばいいんじゃない!」
「え……S・M・Aの中に入っちゃえばって、お前。そんな単純な問題じゃ――」
俺が言うのも待たず、ユメカは魔法の杖を振る。まるで箒を払うような軽やかさで。
それだけ――たったそれだけのことで。
赤い魔力の光に包まれたS・M・Aは、その金属の表面に大きな両開きの扉を出現させた。
「……は?」
抜けた声を発したのはブリゾだ。
扉はひとりでにその口を開き、中に詰まった七色の光を放出させる。
そのあまりの眩しさゆえに扉の先を見通すことはできないが、ユメカは再び杖を振って四枚の翼を出現させると、俺を抱きかかえたまま杖に跨り、その石突を扉へと向けた。
「ち、ちょっと待ってください! S・M・Aを変化させた? 馬鹿な、そんなこと不可能です。魔力の源泉がS・M・Aである以上、S・M・Aを造り替えるなんてできるわけがない!」
明らかに当惑して叫ぶブリゾに、俺は苦笑を浮かべながら言ってやった。
「ブリゾ。……これが、ユメカの魔法なんだよ」
こいつが信じれば、すべてが変わる。
それが無理難題だとしても、想像の前に常識は無力だ。
それこそが『創造魔法』――『想像』を『創造』する、唯一無二のユメカの魔法だった。
「それじゃ、行くよコータ! しっかり掴まってて!」
「ああ、頼む! 絶対に、このままじゃ終わらせねえ――!」
俺たちを乗せた魔法の杖は赤い光をアフターバーナのように輝かせて、扉の中へと突入した。
◇◆◇
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