第五章 -3

「……んあ」

 目が覚めると、そこは教室の中だった。

 どうやら机に突っ伏して寝ていたようで、首の付け根がずきずきと痛む。窓の外には茜色に染まった空が広がっており、どうやらまた授業中にあちらの世界へダイブしていたらしかった。

「こんな状況でも、ナイトメアは待ってくれないんだもんなあ……」

 俺はばりばりと頭を掻きながら顔を上げる。なんとなく身体がだるい。

 今もちょうどナイトメアを数体始末してきたところなのだ。あちらが本当の現実だと謳っているくせに、こちらの体力も著しく消耗するのはどういう理屈なのか。S・M・Aに文句を言ってやりたいところである。

 ……結局のところ、何もはっきりしないまま、この二重生活をずるずると続けていた。

 アリエスの身体はS・M・Aの魔力端末だ。スマホが充電しないと電池切れを起こすように、アリエスの身体も定期的にS・M・Aへ返却する必要がある。

 継続的に魔法少女へ魔力を与える必要がある以上、S・M・Aに身体を取り込まれるのは必然で、そしてまた、この現実という名の夢のなかで目が覚めてしまうのも必然と言えた。

 正直、この世界が夢だと言うのなら、こんなに頻繁に見せなくていいのにと思う。

 いっそのこと全く見なくなれば、仕方ないって割り切ることもできるのだ。

 それなのに、定期的に見せられるから郷愁が俺の心を蝕んでしまう。なんとも残酷な仕様だった。

「……行ってみるか」

 俺は呟いて立ち上がり、六玖波大学へと足を向けることにする。

 別段理由なんかない。ただ少しだけ、もう一度こちらのS・M・Aを見たいと思っただけなのだ。

 千現坂の校舎を出て理工学部研究棟へ。

 待機していたエレベータに乗り込み、ダンボールの森を抜けると、そこはもう最上階の研究室のドアの前だ。

 俺は軽くノックしてから扉を開いた。

「……え? ちょっとちょっと、何でアンタがここに来るワケ?」

 研究室の中にいたのは、夢見乃夢叶ただひとりだった。

 電源が入ったパソコンの前に腰を下ろしていたことから、何か作業をしていたらしい。

 振り返った体制のまま眼を丸くしているゆめかに、俺は軽い口調で声をかける。

「なんだ、来てたんだな。いつも誰もいないから、今日もいないと思ったぜ」

「そんなことないと思うけど――って、ああっ! そういえばこの前、ここに勝手に来たそうじゃない。竜ヶ崎先生に聞いたわよ。一体どこから私の秘密を知った!」

「なんだか悪の秘密結社の構成員みたいな台詞だな」

 俺は苦笑した。

「最初に教えてくれたのは常陸鴻巣だよ。ここでの研究についてとかは、竜ヶ崎教子が勝手にくっちゃべったけど」

「常陸鴻巣って――あんた、リリちゃんと知り合いなの?」

 リリちゃんという呼び方にどきっとする。

 が、表面上は平静を保ったまま部屋に侵入した。

「元生徒会長同士なんだってな? お前があんなお嬢サマとお友達だなんて知らなかったぜ」

「ゲームばっかりやってるあんたと違って顔は広いのよ。それに、同じ筑高を目指す者同士でもあるし、あの子にはいろいろと相談にも……って、何でこっち近づいてきてんのよ!」

 なぜかゆめかは、慌てて両手を身体の後ろに隠した。しかし、縦シューで鍛えられた俺の動体視力は、その手に携帯電話が握られていたことを把握している。

 俺はわざとらしく近づいて、

「なんだ、誰かとメールでもしてたのか? ずばり、愛の告白メールだと俺は見た」

 そんなわけないでしょ、と反応が返ってくるものと期待していたのだが、予想に反して、ゆめかは顔を赤らめて俯いてしまう。

 あれ……ひょっとして的中しちまったのか。

「で、今度は誰からなんだ?」

「……この前の野球部の人。なんか、私の友達がメアド教えちゃったみたいで……」

「ああ、あのときのエース君? すげーな、あんな振られ方したのに根性ある奴だ」

 あの手の男は振られりゃ次へ、という性格だと思っていたが、ここまで固執するということは本気なのだろう。

 その熱は当の本人にも伝わっているらしく、ゆめかは珍しく照れた様子で、

「や、思った以上にメールの内容、熱くてさ。どう返事書こうか困っていたの。この前は言い過ぎたところもあったし、それに……ちょっとだけ、こういうの凄いなあって思って」

「凄い? 何が?」

 俺が訊くと、ゆめかは顔を上げて、少しだけ柔らかく表情を崩した。

「自分の想いを素直に言葉にするのって、結構難しいことだと思うんだ。それが簡単にできちゃうんだから、なんか凄いなあって」

 単に言い馴れているだけだと思うけど。リア充のメールなんて、普段から上っ面だけの言葉を並べているに決まっている。本気度が低ければどんな二枚舌だって演じられるというものだ。

「ね、……ねえ、幸太?」

 ゆめかが俺の名を呼んだことに驚く。

 俺のことを「幸太」って呼んだの、二、三年ぶりくらいじゃないだろうか。本当に俺のことを呼んだのかと一瞬疑ったほどだ。

「あんたは……この人みたいに、本気で人を好きになったこと、ある?」

 ……まさに、藪から棒という言葉がぴったりの質問だった。

 俺はゆめかの真剣な眼差しから逃れるように目を逸らして、頭を掻く。

「な、何だよ急に。変な話をしやがって」

「いいから答えてよ。正直に、本当の気持ちで」

 なぜか押し迫るように訊いてくるゆめか。

 俺は逡巡して、赤く染まる窓の外に視線を逃がす。

 本気で人を好きになったこと、か。

 そんなの、正直今まで意識したこともない。

「でも――そうだな。ひとりだけいるよ、そういう奴」

「え……?」

 真っ先に思い浮かんだのは、ノイアードでのパーティの夜。

 満天の星と幾千の街の灯りに挟まれた闇の世界で約束を交わした、一人の魔法少女。

 悲しいことも、辛いことも、嬉しいことも、すべてを一緒に経験しようと言ってくれた――、


 ユメミ・ル・ユメカの輝くような笑顔だけは、今でも俺の記憶からは薄れていなかった。


「そいつはたくさんの重責と葛藤を背負っているはずなのに、本当にいい顔で笑うんだ。そいつを護りたいと思ったことは嘘じゃないし、そいつのためなら俺のすべてを賭けたって構わないと思える。この気持ちが何なのかと訊かれれば、それは好きってことなのかもしれないな」

 ちょっと照れ臭いけど、それは嘘偽りのない俺の本心だった。

 まあもっとも、同一存在であるゆめかにこんな話をするのは噴飯モノだとは思うが――。


「なに……それ」


 しかし。

 俺の話を聞き終わったゆめかの顔は、見て取れるほど愕然としたものに変わっていた。

「ん、どうした。なんか変なこと言ったか俺?」

「それって、つまり。……私じゃないってことでしょう?」

 低い声。

 いつもキンキン声で怒るこいつにしては、珍しい音域で言葉が返ってくる。

「……お前じゃないって、何がだ?」

「だって、それってつまり、――――ってことじゃない。それじゃ、――――は一体何だったの?」

 眼を伏せ、自分に聞かせるように言うゆめか。

 言葉が途切れがちなせいもあって、正直何の話をしているのか分からない。

 ただ、少なくとも俺の問いに答えている様子ではなかった。

「だって、思うじゃない。最近また――――だからさ、そうなのかなって。それなのに私ってば、一人で意識して、一人で勘違いして……それじゃ、それじゃ私は……」

 ぶつぶつと一人で言い続けている。明らかに様子がおかしい。

 俺はゆめかに手を伸ばして、その肩に触れようとした。

「おい、大丈夫か。一体何の話を……」

「――ッ、もういい!」

 差し出した手を、乱暴に叩き落される。

 それと同時に立ち上がったゆめかの両目には、強い拒絶の意思と、涙が溢れていた。

「こんなの違う! 確かに望んだのは私だけど、こんな結果を望んでいたわけじゃない!」

 そのあまりの剣幕に、俺は絶句してしまう。

 そして、ゆめかは、


「どうして、こうなるのよぉ……っ! あんな世界、夢見るんじゃなかった!」


 そう言い残して、S・M・Aのある部屋へと駆け込んで行ってしまう。

 俺は突然のことに、一瞬呆けてしまう。

 だが、すぐに我に返ってゆめかの後を追った。

「お、おい、ゆめか! あんな世界だと? それは、一体どういう――」

 スチール製の扉を開いて部屋に踏み込んだとき、俺はまたもや目を丸くする。


 その部屋の中に、ゆめかの姿はどこにもなかった。


 十数畳ほどの空間とはいえ、正面に鎮座するS・M・A以外、何もない場所なのだ。押入れもなければ窓もない。隠れる場所が一切ない空間から、ゆめかの姿だけが消失していた。

「ゆめかは間違いなくこの部屋に入ったよな? 消えちまうって、どうなってんだよ!」

 俺は思わず叫ぶが、帰ってくるのは反響した俺の声と、低く唸る機械の駆動音のみ。まるで始めから誰もいなかったように、S・M・Aは淡い光を放ち続けていた。

「それに、あんな世界って……もしかして、あの世界のことを指しているのか?」

 もしそうならば、ゆめかはあちらの世界のことを認識していたことになる。

 アリエスではないゆめかが認識していたとなると、ブリゾのS・M・Aに関する説明の信頼性が瓦解する。それどころか、今まで俺たちが積み上げてきた仮説そのものがひっくり返る可能性があるのだ。

 だがそうなると、なぜゆめかだけが認識しているのかという問題が出てくる。他の魔法少女の原型である絵空や凛は、あちらの世界を認識していないのだ。

 もしかして、ゆめかだけが特別なのか?

 それともS・M・Aが見せる夢の、バグの一種とでも言うのだろうか――?


『――えー、ここで臨時ニュースが入りました』


 急にそんな声が聞こえてきて、俺は驚いて振り返る。

 音源は、ゆめかが先ほどまで座っていた場所のパソコンモニターだ。テレビチューナーに接続されていたらしく、そこには生放送を流す夕方のニュース番組が映っていた。

『本日先頃から茨城県六玖波市の各地で、急に人々が倒れ込む事例が発生しているとのことです。現場の折本記者? 状況を伝えて貰えますか?』

 六玖波市という単語に、俺はS・M・Aの部屋を出て画面に近づく。

 映像はスタジオから市立病院の玄関前へと切り替わり、マイクを持ったレポーターが慌ただしく状況を説明した。

『こちら六玖波市から中継です。今日の午後四時三十分ごろ、つまり今から五分ほど前からですが、六玖波市の各地で数十人規模の市民が突然倒れるという通報が消防本部に入りました。そのうちの約半数がここ六玖波市民病院に搬送されていますが、全員に目立った外傷はなく、医師はここ数か月中に六玖波市で頻発している「突発性昏睡病」ではないかと見て――』 

 そう説明するリポーターの後方上空に、とんでもないものが浮いているのを俺は見た。

「な……なんだ、あれ……!」

 一言で説明するならば、馬に跨った女騎士である。

 刀身の短い剣と盾を持ち、鋼鉄の鎧に身を包んだ長髪の女性が馬の背に跨っている。

 あんな中世騎士が現代にいること事態も異常だが、それ以上に異常なことは、その馬が空を駆けていることと、その女騎士と馬の色が――ドス黒い暗色に染まっていることだった。

「ナイトメアだと? そんな、どうして! ここはノイアードじゃねえんだぞ?」

 俺はモニターに齧り付いて叫ぶが、当然、その声が届くはずもない。

 女騎士のナイトメアは空中で剣を振りかざすと、一気に下降して折本リポーターの背中を強襲。

 まさにカメラの目の前で背中を斬られ、リポーターはその場に崩れ落ちた。

『折本記者? 折本さん、どうしました? 中継を続けてください。……折本さん?』

 スタジオのアナウンサーがしきりに声をかけるが、リポーターは動かない。カメラには慌てたスタッフが彼に駆け寄る様子が映っていたが、誰一人として女騎士には注目していなかった。

「こいつら……まさか、ナイトメアの姿が見えていないのか?」

 もしそうなら、彼らには突然リポーターが倒れたように見えたのだろう。つまり、今報道にあった集団昏睡の原因は、このナイトメアということになる――、

「――えっ、な……今!」

 しかし、衝撃はこれで終わらなかった。

 倒れたリポーターを映し続けるカメラの端に、彼を襲ったナイトメアとは別のナイトメアが、集団で空を駆けていく映像が映ったのだ。

 今の集団は三体ほどだったはずだ。

 すると、現れたナイトメアの数は合わせて四体――?

「い――いや……まさかっ!」

 俺はモニターから離れて窓へ駆け寄る。

 夕陽の反射するその窓を開け拡げ、地上八階のこの場所から見渡せる街の風景を目にしたとき、俺は知らずの内に絶叫していた。

「う……嘘だろおっ?」


 六玖波市の上空が、大量の女騎士の黒い姿に埋め尽くされていた。


 否、上空だけじゃない。電柱の上に、民家の屋根、国道上に至るまで、ありとあらゆるところに女騎士が存在している。

 ある者は空を飛び、ある者は地上を闊歩し、ある者は人々を襲っている……そんな光景が、夕陽の沈む水平線の向こうまで、延々と続いているのだ。

 その総数は十や二十なんてものじゃない。おそらくは数百、下手をしたら千を超えるほどのナイトメアが、六玖波市を覆っていたのだった。

「冗談じゃない! なんだこの数ッ! ノイアードでも見たことねえぞこんなのッ!」

 俺は絶叫するが、この非現実的な光景が消えることはない。

 街はパトカーと消防車、そして救急車が発するサイレンの音で溢れ返っており、繁華街では火の手も上がっているようだ。

 その光景はこの街の最期を暗示しているようで、俺は背中に冷たいものが流れるのを感じた。

「そ……そうだ、画陸っ! あいつにも連絡を……!」

 俺は携帯電話を取り出しダイヤルするが、すぐに強制的に切れてしまう。この切れ方は混線時特有のものだ。この地域は電信網が発達しているから、こういうことは普段ないのだが――、

「ッ! そうか、DOKONOの電波塔が無くなったから……。ええい、くそっ!」

 俺は携帯電話をポケットに押し込み、再び街を注視する。

「どうすればいい? 警察か、自衛隊を呼んだ方が――ってああ、駄目だ。普通の人間には連中は見えないんだ。呼んだって戦えないし、そもそも襲われている認識すらない!」

 これはどんなチートだよ。一方的に侵略してくる敵に対して、人類は抵抗することすらできないなんて。

 これじゃ、俺以外には何の抵抗もできないと言っているようなもので――、

 ――いや、違う。

 いるじゃないか。ここに唯一、奴らを見ることができて、その危険性を認識している人間が――。

「俺が、なんとかするしか、ないって言うのか?」

 呆然と呟いたその時、窓のすぐ外で何かが動いた気配がした。

 俺は窓を閉め、そこから離れる。一瞬遅れて、女騎士の駆る馬が凄まじい勢いで窓に激突。

 女騎士は強引に研究室内へ侵入し、部屋中にガラスの破片をまき散らした。

「うわああっ! 畜生、俺にどうにかできるワケねえじゃんかよ!」

 俺は隣のS・M・Aがある部屋へ飛び込んで、閉めた扉に鍵をかける。スチール製だからある程度は丈夫だろうが、身の丈三メートルもありそうな巨体馬に蹴り上げられたら一溜りもないだろう。

 俺はS・M・Aに接続されたノートパソコンに取り付き、手当たり次第にキーを叩いた。

「な、何かないのか一発逆転できそうなものは! ここは夢の中なんだろ? なら都合のいいもんが何かあってもおかしくないだろ! 頼む、頼むよ! 俺はまだ死ぬ気はないんだ!」

 ユメカとの約束は始まったばかりだし、この部屋から消えたゆめかの行方も分かっていない。それに、まだ世界の謎も掴んでいないんだ。こんな中途半端な所で消えられる訳がない!

 パソコンの中に【S・M・A緊急起動シークエンス】という項目を見つける。

 エンターを押すと、いくつかのポップアップに注意書きが表示されるが、それを読んでいる時間などない。そのまま「はい」と「同意する」を数回繰り返すと、最後にある一文が表示された。


【我々は夢と同じ物で作られており、我々の儚い命は眠りと共に終わる】


「シェイクスピアの演劇『テンペスト』の台詞か? なんで今、こんなときに……」

 そう呟いた俺だったが、このたった三十四の文字の羅列に、激しい既視感を覚えた。

 この文章、つい最近読んだことがある気がする。

 ええと、それはどこだったか――、

 バキン、と凄まじい金属音がして、スチール製の扉がくの字に変形した。扉が破られるのも時間の問題だ。

 俺は文字には構わず、ひたすらエンターキーを叩き続ける!

「もう夢でも現実でもいい! 俺を……俺の眼を、醒まさせてくれ――ッ!」

 ――そのときだ。

 S・M・Aの巨体が甲高い音と共に眩い光を発したかと思うと――


 俺の意識はS・M・Aが発する電磁パルスに導かれ、別の世界へとシフトした。


  ◇◆◇

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