第五章 -2

「――昨日のナイトメアとの戦いで、また建物が消えたことを確認しました」

 駅前のファストフード店二階席。

 この間は野上原画陸が座っていた椅子を、今日は下妻アルバトロスが陣取っている。

 今日は日曜で休みのせいか、制服ではなく執事服という恰好だった。正直、ワンコインでハンバーガーが買える店で着るような服ではないが、状況が状況なので俺も画陸も口出ししない。

 アルは胸元から折り畳みの地図を取り出して、テーブルの上に広げて見せた。

「六玖波大学を中心とした、六玖波市内の地図です。僕がアリエスになってから今日まで、ナイトメアによる被害を受けた個所をすべてまとめてみました。で、結論から言うと――」

「全部の建物が例外なく、消失または何らかの事故によって取り壊されているってんだろ」

 画陸に先に言われてしまい苦笑するアルだったが、すぐに表情を引き締めて話を続ける。

「建物の消失と同時に、そこに住んでいた、または働いていた人間がどうなったかも調べてみたんですが、やはり都合よく書き換えられていますね。元々の実家で暮らしていたことになっていたり、数年前に転勤していたり、理由は様々です。しかし、共通して誰もその変動を認識していないし、違和感も覚えていない。認識しているのは本当に僕たち三人だけのようです」

「……なぜなら、この世界は夢だから。本当に生きている登場人物は俺たちアリエスだけで、残りはすべてS・M・Aが見せる仮想物だから、誰も違和感を覚えない……ってか? くそ、それこそ冗談が過ぎるホラ話だぜ!」

 苛立った画陸がテーブルを蹴る。

 大きな音に他の席の客たちが振り返るが、不機嫌なうえにさらに険しく歪む画陸の三白眼を見て、慌てて視線を逸らすのだった。

 俺は画陸に口を開く。

「魔女ブリゾの言っていた話……冗談だと思うか?」

「ああ、思うね。冗談じゃなければ、夢の住人が勝手に語った夢物語だ。あんなファンタジーな世界が今から六千年後の世界で、しかも本当の現実世界だ? はっ、荒唐無稽もいいとこだ」

「しかし、ブリゾの話はいろいろとつじつまが合いますよね。特に、こちらの世界が改変される理由としては妥当な説明だと思います。S・M・Aの成り立ちも興味深い話でしたし」

「……貴様、あの与太話を信じるってのか」

 唸りに近い声で、画陸がアルを睨み付けた。

 しかし、アルは意に介さず話を続ける。

「幸太君の話によると、こちらのS・M・Aは人間の無意識に働きかける装置だそうですね。S・M・Aから送られる電磁パルスが『魔力』で、無意識領域の存在が『魔法』なのだとしたら、あちらのS・M・Aの機能との差異に説明が付きます。ブリゾの話の中で唯一気になったのは『あらかじめ入力されていた情報』ってところですが、その情報を元にこの夢の六玖波市が造られたというのなら、六千年前にS・M・Aを製作したのは六玖波市に住んでいた人物と言うことになります。つまり、竜ヶ崎先生は六千年前の人物と言うことに――」

 ――バン! と、画陸がテーブルを叩いてアルの話を遮る。

 そして、テーブルに身を乗り出してきたかと思うと、アルの胸倉を掴み上げた。

「御託はいいんだ。要するに、貴様はあちらの世界が現実だと、そう認めてるってことだな?」

「――――、そうですね」

 胸倉を圧迫されながら、気丈に頷くアル。

 細い目を少しだけ開いて見せた。

「正直に言うと、僕はどちらでも構わないんです。僕の幸せはお嬢様にお仕えすること。こちらが現実ならば凛様にお仕えすればいいし、あちらが現実ならリリン様にお仕えするだけです。……画陸君は、こちらが現実でなければ困る理由でもあるんですか?」

「理由だと? 当然だろう、あちらが現実となれば、今までの生活のすべてが嘘になるんだ。今まで生きてきた歴史を否定してあちらで生きていくなんて、考えられるわけがない!」

「否定するか肯定するかは関係ないと思いますよ。問題は、どちらが正しいのか。シュレディンガーの猫ならば箱の中身の決定権は僕たちにありますが、今回のケースはどちらかが現実で、どちらかが夢だという答えが既に決定している。今はそれを見極めているに過ぎません」

 アルがそう言うと、画陸は胸倉から手を放す。

 そして、そのまま自分の手を見つめた。

「それでも、俺はこちらの世界が現実だと信じている。……俺の家は両親がいないから、妹と二人で支え合って生きてきたんだ。もしもこの世界が夢だとしたら、妹の存在も消えてしまうって言うのか? 今までの苦労や思い出も、すべて嘘だったってことになるのかよ?」

「それは……」

 俺は言いかけて、二の句を継げなくなってしまう。

 ……それは俺も同じだ。今までの人生すべてが実は全部夢だったなんて突然言われて、はいそうですかと納得できるわけがない。

 しかし、アルの言葉も否定できない。あちらが現実である証拠が揃い過ぎているのだ。

 こちらの世界が変革する原因が他に存在しない以上、あちらを現実と認めざるを得ない……。

「……では、あちらの世界を否定する方法に、何か考えがあるんですか?」

 襟元を整えながらアルが訊くと、画陸は勢い込んで顔を上げた。

「あちらの世界のS・M・Aを破壊する。この二つの世界を繋いでいるのはS・M・Aに間違いないんだ。あれが無くなれば、いずれにしてもはっきりとするだろう」

「うーん、それはちょっと……最悪、僕たちが消滅してしまいますよ?」

「構うものか。こちらの世界が偽物だというのなら、あちらの世界になど未練はない」

「……いや、俺が困るっつの」

 俺が思わず発言する。

 俺はあちらの世界が夢だろうが現実だろうが、最後までユメミ・ル・ユメカを護ると約束したのだ。

 自暴自棄でその約束を反故にして良いと言えるほど、俺は男を捨ててない。

「僕も幸太君と同じで、まだ消える気はありませんね。僕はお嬢様に多大な恩があります。例え凛様が夢の存在だったとしても、僕の中にある想いは変わりませんし、それを同一存在であるリリン様に向けることに何の抵抗もありません。リリン様も僕の大切なお嬢様なのですから」

「同一存在……。そういえば、ソラエと絵空もそうだったな」

 アルの言葉に思うところがあったのだろう。

 身を乗り出していた画陸は一つ大きな息を吐いて、どっかりと椅子の背もたれに背中を押し当てた。

 ……本当に、なんでこんなことになってしまったんだろうか。

 単なるファンタジックな夢を見ていただけだと思っていたのに、それがいつしか話が大きくなって、今ではこの世界の存在と、自分の人生を否定するか否かの岐路に立たされている。

 まだたった十五年間しか生きていない人生だけど、それがすべて偽物かもしれないと通知されるのは、思った以上の苦渋だった。正直言って、知らなければ幸せだったくらいだ。

 だけど――ちょっとだけ気になるのは。

 十五年間、喧嘩しながらいつも俺の近くに居た夢見乃夢叶は、本当に幻なのかということだ。

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