第六章 -1

「――幸太。おい、那珂湊幸太! 目を覚ませ!」

 頬を思いっきりひっぱたかれた痛みで、俺は最悪の目覚めを体験した。

 もう一つ最悪を重ねるならば、目覚めて最初に見たのが野上原画陸の顔だったことだろうか、

「同じ起こされるんなら、できれば二次元のお姉さん系巨乳美少女がよかった……」

「まだ寝ぼけていやがるのか? 今度は平手じゃなく拳の方が良さそうだな」

 俺は慌てて身体を起こし、自分の置かれている状況を確認した。

 ここはどうやら、千現坂中のとある一教室のようだった。

 部屋内の掲示物から、おそらくは一年生の教室だろうと推察できる。千現坂の教室棟は四階建てて、一年生の教室はその最上階。窓の外では既に太陽が沈んでいたが、水平線付近はまだ茜色に染まっていた。

「あれから、どれくらい経った……? ゆめかとユメカは? あれからどうなったんだ?」

 次第に意識がはっきりしてきて、先ほどの場面が頭の中で一通り再生される。

 ナイトメア、夢見乃夢叶とユメミ・ル・ユメカ。

 そしてあの言葉の意味――。

 俺は僅かな頭痛を感じて蹲った。

「大丈夫ですか? 外傷はないようですが、まだ無理はしない方が良いと思いますよ」

 教室の隅から金髪の少年が近づいてきて、俺の顔を覗き込む。

 俺は大丈夫だと首を振った。

「アル、か……。画陸も、無事だったんだな」

「ええ、なんとか。ヴァルキュリアに見つからないように、ここまで来るのは大変でした」

「ヴァルキュリア? それって、あの馬に乗ったナイトメアの名前か?」

「……仮称だがな。今までの傾向を鑑みて、アルが勝手につけたんだ」

 ヴァルキュリア――北欧神話に登場する、戦死者の魂を神の国へと運ぶ女神の名前か。命を刈り取るという部分では、冗談と笑えないほどピッタリなネーミングかもしれない。

「それで、その戦乙女共は今はどうしている? まだ人を襲い続けているのか?」

「そんな生易しい状況ならよかったんだがな。……その窓から見てみろ、きっと胸糞悪くなる」

 画陸に言われて、俺は覚束ない足取りで窓に近づく。

 そして、外の光景に我が目を疑った。

「なんだ、こりゃ……」

 ――一言で形容するならば、バグったRPGの街並みである。

 今までは整然と並んでいたはずの家々が歯抜けになり、近くにあったスーパーが丸ごと消滅。繁華街に建つ高層ビルは、階の途中からその上が無くなっている。

 道路も途切れ、車は放置され、街からは人の気配が消え去っていた。

「太陽が沈んでからは、こんな状況ですよ。戦乙女たちは人だけでなく、建物も襲い始めたのです。もちろん、夕方からの突発性昏睡病報道は継続されていますが、建物の消失については報道されていません。――まるで、この状態が当然だとでも言うようにね」

「これじゃまるで、六玖波市そのものを消失させようとしてるみたいじゃねえか」

「実際、そうなのでしょう。戦乙女も今となっては、人より建物を優先的に攻撃しています。あちらの世界を主とする彼らにとって、こちらの世界は『いらないもの』なのかもしれません」

 ――こんな世界はいらない、と言ったゆめかの台詞を思い出す。

 あのナイトメア共を造り出しているのは彼女なのだ。それはつまり、ゆめかがこの状況を望んでいるということで――。

 俺はふらりとよろめいて、近くにあった机に手をついてしまう。

 その拍子に、からんと何か棒のようなものが倒れる音。俺が机の下を覗き込むと、そこには見慣れたものが落ちていた。

「これ……ユメカの、魔法の杖じゃねえか」

 頂部に十字架と赤い宝石が設えられた、シンプルにして可憐な一メートル長の魔法の杖。拾い上げてみると、思ったよりも重い感覚に驚かされる。

 杖を見て、画陸が声を発した。

「貴様と一緒に空から落ちてきたものだ。……どうやら、貴様はそいつのおかげで助かったらしいな。その杖に乗って降りてこなかったら、貴様は今頃潰れたトマトみたいに地面に這いつくばっていたところだ」

 ……戦闘機の魔法が消失したとき、ユメカはナイトメアの集団に囲まれていた。

 魔法が消えても杖は残る。あの時ユメカも杖を掴み直していれば、いくらか抵抗もできたはずなのだ。

 だが、ユメカはそれをしなかった。

 墜ち往く俺を助けるために、あえて、杖を残したのかもしれない。

「……ふざけやがって。俺が杖を持ってても、なんの意味もないじゃんか……」

 俺は魔法の杖を握りしめ、自分の無力さに歯ぎしりする以外になかった。

「なあ、そろそろ話してくれないか。なぜ魔法世界のユメカの杖がこちらにある? 貴様はどこから墜ちてきた? この状況を、貴様は何処まで知っている?」

 画陸が険しい表情で言う。……思えば、この唐突な状況は当事者の俺でさえ理解に苦しむところがある。

 俺は自分の記憶の整理の意味も込めて、今までの経緯をかいつまんで説明した。


「――つまり、このナイトメアを操っているのは夢見乃夢叶で、ユメミ・ル・ユメカは夢見乃夢叶に捕えられた……そういうことか?」

 画陸の言葉に俺は頷く。

 捕えられた……か。確かに、そう表現することもできるかもしれない。もっとも、ナイトメアに触れられた者は二度と目覚めないというのが定説なので、仮に助け出せたとしてもユメカが目を開けてくれるかは疑問だが――。

「……いいや、そうだよな。ユメカは俺のせいで捕えられたんだ。俺が助けに行かないと」

 右手に掴んだ杖を握り締めながら呟く。

 ですが、とアルが横槍を入れた。

「助けるにしても、あの暗雲の中にまで行く手段がありません。僕たちに魔法は使えませんし、空を飛ぶ手段もない。それに、ユメカさんの目を覚ます方法も考えませんと」

「それだけじゃない。夢見乃夢叶を止めないことには、この世界は消失してしまうんだ。対抗手段を見つけなければ、俺たちの家族や友人もこの世界ごと消失するぞ」

 画陸の言うとおりだ。

 俺は、もう一度ゆめかと向き直る必要があるのだろう。

 おぼろげだが、ゆめかの言いたかったことは理解しているんだ。あとは、俺がそれをどうやって受け入れ、処理するか。物理的な問題もそうだが、心情的な問題も山積していた。

「ふむ……ここで我々が取れる選択は二つのようですね」

 黙考していたアルは顔を上げ、俺たち二人を交互に見回した。

「一つは、幸太君の行動を再実践する方法です。この世界のS・M・Aから魔法世界へと行き、リリン様とソラエさんをこちらへ連れてくるのです。二人の力でユメカさんを助け出し、夢叶さんの動きを封じれば、この騒動は収まります。消失した建物が元に戻るかは不明ですが」

 妥当だな。創造魔法で作った扉がまだあれば、それを利用することができるだろうし。

「……アル。二つ目は何だ?」

 画陸がアルを睨みながら言う。

 アルは少しだけ言い辛そうに、だがきっぱりと発言した。

「こちらの世界を放棄して、あちらの世界で暮らす。これが最も危険の少ない選択肢です」

 沈黙が教室を支配する。怒りを吐露するかと思われた画陸も黙ったままだった。

 ……分かっている。

 きっと、画陸だって分かっているんだ。

 既にこちらの世界は修復不可能なほどに傷つけられているし、もしかしたら、俺の家族や友人たちは、とっくにナイトメアによって永遠の眠りに着かされているかもしれないんだ。

 俺たちの世界は、もう取り返しのつかないところまで変わってしまっている。

 これ以上自分やエソラたちの身を危険に晒してまで、この世界を救う必要があるだろうか?

「――いいんだぜ。別に」

 俺は目を伏せたままで言う。

 画陸とアルがこちらを向く気配がした。

「これは、どうやら俺が巻いた種らしいんだ。俺はこの運命から逃れられないが、お前らは違う。ゆめかと向き合う必要なんてないんだ。だから、お前らが魔法世界に避難しても――」

「……ふざけるなよ、おい」

 ぐいっと、胸倉の服を引っ張られる。

 顔を突き出した画陸が恐ろしい形相で睨んでいた。

「俺が貴様みたいなヘタレ野郎を放って逃げ出すような腑抜けに見えるのか? それに、俺はまだこの世界を諦めてないし、絶望もしていない。一人で勝手に結論を出すな」

「が、画陸……お前……」

 俺の胸倉から手が離れ、俺は椅子に座り込む。

 画陸は窓の外に映る暗雲を見上げた。

「それ以前に、腑に落ちないことが多すぎるだろう。第一、なぜ夢見乃夢叶がナイトメアの親玉なんだ? こちらの世界は――現実か夢かの議論は置いておいても、魔法や超常現象などとは無縁の世界だったはずだ。それが、こうも急に変革したのは何故だ?」

「それは――」

 言われてみれば、論理的な理由は思い当たらない。

 なんとなく、ゆめかが原因だというのは分かっているのだが、どうしてこの世界がこうも変わってしまったのかは――。


「――そうか。……そういうことですか」


 そのとき、アルが何かを得心したように呟いた。

「この推論が当たっているとするならば……これは、とんでもないことですよ……」

 驚愕を通り越して、呆れすらしているようなその表情。

 俺は得も知れぬ不安を覚える。

 それは画陸も同じだったようで、焦ったようにアルへと詰め寄ろうとした。

「なんだ。一体何が分かったって言うん――」

「――へえ、さすが三ノ宮の優等生。アリエス・トリオの中なら一番に気づくとは思ったけどね」

 画陸の言葉を遮ったのは、教室の教壇側の扉を開けて入ってきた人物だった。

 その人物は頭から足の爪先までをすっぽりと覆う紺色のローブに身を包み、顔を目深に被ったフードで隠している。片手にはノートPC、もう片手には哲学書と言ったアンバランスな小物を持ち歩いていたが、その恰好は俺たち三人が良く知る人物とそっくりだった。

「ま、まさか、魔女ブリゾか? どうしてこちらの世界に……!」

 画陸が驚愕して言うが、俺にはそいつがブリゾではないことくらい察しがついていた。そういや、この二人って同じ声色だったんだな。口調が全然違うから今の今まで気づかなかった。

 俺は椅子から立ち上がり、教壇の前に立ったそいつへ声を掛ける。

「何の真似っすか、

「お、今日はちゃんと先生と呼んだな那珂湊幸太。いつもそれくらい素直だと可愛げもある」

 そいつは自らの身体からローブをはぎ取ったかと思うと、裏返して再び背中にかけ直した。どうやらリバーシブルだったらしい。紺色の布地の裏側は、ナイロン製の白地だった。

「――さて。最後の審判だな、諸君」

 スーツに白衣姿と、いつもの格好をした竜ヶ崎教子は、眼鏡の端をくいと押し上げた。

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