第六章 -2
「竜ヶ崎……? こちらの世界のS・M・Aを開発したっていう、千現坂の――六玖波大の先生か」
これが初対面となった竜ヶ崎教子の顔を、じろじろと睨みながら画陸が言う。
しかし、対する竜ヶ崎は別段臆する様子もなく、教壇に肘を掛けたまま首を振って見せた。
「あー、正確には私は助手で、あのゼミの代表も私の上司なんだけど……まあ、説明が面倒だからいいか。研究室の管理責任者も、一応は私ということになっているんだし」
「それより、先生にはいろいろと訊きたいことがあるっスよ」
俺は竜ヶ崎に一歩近づく。
竜ヶ崎は俺の顔を見て、少しだけ楽しそうな笑みを浮かべた。
「万年居眠りの那珂湊が質問だって? 珍しいこともあるもんだ。明日は雪かな」
「茶化すなよ。あんたは今、俺たちのことを『アリエス・トリオ』って呼んだよな。ブリゾの格好もそうだ。あちらの世界を知ってなければその発想は出てこない。つまり、それは――」
「お察しの通りさ。私は君たちの言う『あちらの世界』を観測している。こいつを使ってね」
竜ヶ崎は教壇の上にノートPCを開いて置き、スリープ状態から復帰させた。
「これはいつもS・M・Aに接続させている端末だ。夢見乃夢叶がデータを入力するときにもこいつを用いる。今回の研究データがすべて詰まった、言わばパンドラの箱ってとこかな」
「僕たちがあちらの世界で何をしてきたかも、そのパソコンに記録されているんですね」
アルが訊くと、竜ヶ崎は頷いて説明を続けた。
「S・M・Aの目的は、人間の無意識を解析することだ。対象者の無意識に電磁パルスを送り、脳内物質と電気信号の移り変わりを観察する。それが最終的に意識の改革に繋がるかどうかが研究課題の一つだが、この研究をはじめて間もなく、予期していなかった副次効果が露見した」
「副次効果……夢を見る機能のことか?」
俺の問いに、竜ヶ崎は再び首肯する。
「そうだ。S・M・Aは深層意識の閾値を変動させることで、対象者の望む夢を見せることが可能だった。いや、正確には『無意識で望んでいる夢』だな。簡単に言えば、一種の変身願望。なりたかったのになれなかった理想の自分。それを、意識せず見ることが可能になる」
「変身願望……つまり、ゆめかは魔法少女になることを、無意識的に望んでいたのかよ?」
「多分な。普段は大人びて見せているくせに、ギャップの激しい奴だよ」
呆れるように竜ヶ崎は言うが、俺はほんの少しだけ、あいつの気持ちが分かる気がした。
生徒会長という肩書や、友人知人にしっかり者として見られることの重責、そして好きでもない人間から迫られる不安が、夢見乃夢叶という個人をいつも雁字搦めに縛っていた。
だから、あいつは俺にだけは本音をぶちまけた。
不満を口にし、時には理不尽を吐き出して、そうやってあいつはあいつなりにストレスを解消していたんだ。
つまり、あいつにとって、俺はそういう存在なわけで。
俺が相手をしなくなったから――その鬱積した感情が、そちらへ向いたのかもしれなかった。
「とにかく、夢見乃夢叶はその点に着目した。彼女の本来の目的は『自分を変えること』だったが、S・M・Aが夢を見せることを知った彼女は、夢の中に自分の理想の世界を構築することで、変身願望を満たすことに執着した。それが、あの魔法の国の正体ってわけだ」
「魔法少女とか、魔法とか……そういうのは、きっと俺の影響なんだ」
子供の頃から、あいつは魔法とか神話とか、そういう神秘的なものが好きだった。
俺もそれ系のゲームが大好きだったから、二人でよく一緒に遊んだものだ。
ゆめかの無意識下には、その欠片が残っていたのかもしれない。
「そういや君は幼馴染みだったな。ならば、なぜナイトメアが出てくるのかも分かるだろう?」
「ナイトメアが出てくる理由? いや、それは……」
「――演出ですね」
アルが、ぽつりと言葉を発した。
「夢叶さんが望んだのは魔法少女が活躍する世界なのですから、戦う対象がいなければ始まりません。あの世界には、適当な敵役が必要だった。それが、ナイトメアというわけです」
「ご明察」
竜ヶ崎はぱちぱちと数回拍手をして、アルの先を引き継いだ。
「とにかく、あの世界はご都合主義がまかり通る世界なんだよ。一国の姫になって、魔法少女という人に誇れる仕事をして、大好きな人たちに囲まれて暮らす。それが彼女の理想なんだろう。案外、現実世界と変わらない生活な気がするのに、なんとも贅沢な話だが」
「……それでは、魔法世界に絵空や常陸鴻巣凛、その他友人なんかが出てくるのは……」
「もちろん、
「な、なるほど……」
帰ってきた答えに、画陸は腕を組んで考え込む。
生徒よろしく、アルが続いて手を上げた。
「そこまでは理解できました。……ですが、それはあくまで当初の設定の話ですよね」
「当初の設定? どういうことだ、アル?」
俺は驚いてアルに訊く。竜ヶ崎は黙ったまま答えない。
それを見て、アルが口を開いた。
「考えてみてください。話は最初に戻りますが、これはあくまで夢叶さんだけが見られる夢のはずです。……いえ事実、当初は夢叶さんだけの夢だったのでしょう。ですが、今では僕たち三人が夢の世界を認識している。なぜ、僕たちまで夢叶さんの夢を見られるのでしょうか」
……そうだ。結局のところは、ここにすべてが帰結してくる。
俺たち三人が、共通してゆめかの夢を見る原因。
これが解決しないと先に進めない――。
「――その答えは簡単だよ。この世界が、夢叶と幸太の夢だからだ」
竜ヶ崎は、そうあっけらかんと答えた。
俺と画陸は、その言葉の意味が理解できなくてしばし固まる。唯一アルだけが「やはり、そうですか」と呟いていた。
「意味が……わからん。もっと分かりやすく説明してくれないか?」
「なんだ、ガリク君。もうこれ以上易しく説明なんかできないぞ。そのままの意味だからな」
「そのままの意味って……どういうことだよ、先生ッ!」
俺が勢い込んで言うと、竜ヶ崎は肩をすくめながら答えた。
「だから、そのままの意味だって。私たちが今いるこの世界自体が、夢なんだ。だから、なんでもアリがまかり通る。私たちは結局のところ、夢の世界の住人なんだよ」
そう言われても……やはり、意味が理解できない。
アルが俺に近づいてきて言及した。
「つまりですね、ここは誰かが見ている夢なんです。ここでこうやって僕たちが考えて、話し合っていること自体、誰かがベッドの中で眠りながら見ている夢なんですよ」
「は? ……夢? あちらの世界が夢なんじゃなくて、こちらの世界が……夢?」
「正確には、あちらの世界もこちらの世界も、みんな夢です。夢の中で見る夢の、さらにその中で見る夢。それがこの世界であり、僕らであり、ナイトメアであり、夢叶さんの夢なんですよ」
夢。
夢。
――夢という言葉が頭に響く。
突然足元が無くなったような、覚束ない感覚。
そこに竜ヶ崎が追い打ちをかける。
「補足しよう。君たちは魔法世界での私――ブリゾと名乗る魔女から、こちらの世界とはS・M・Aの中で眠っている間に見る夢だ、と教えられたはずだ。つまり『現代世界』=『魔法世界のコータが見る夢』ということになる。だが一方で、こちらの世界で眠ると魔法世界の夢を見ることも知っているな。これが『魔法世界』=『現代世界の幸太が見る夢』の定義だ。では、那珂湊幸太がこの二つを連続して観測した場合、この世界はどうなる?」
魔法世界で眠った俺は現代世界の夢を見て、その現代世界の中で眠った俺は魔法世界の夢を見る。そしてまたその中で現実世界の夢を見て、そこで眠るとさらに魔法世界の夢を見て……。
夢の中で見る夢の、その中で見る夢の夢。
夢の中で夢を見る限り、俺は永遠に夢を見る――。
「……ということは……ここは、夢なのか……?」
俺の浮ついた呟きに、竜ヶ崎が頷いた。
「だから、そう言ってる。ここは現実でもなんでもない。君が見ている夢の中だよ」
「そんな馬鹿な……だって、ここは現実と何も変わらないし、俺は今、間違いなくここにいる。それに魔法世界で意識が途切れたら、必ずこちらの世界で目が覚めるんだ。あのベッドの中で目が覚める感覚はなんなんだ? あれこそ現実に戻ってきているという証拠じゃないのか?」
「現実世界で目が覚めたとき、実際にはその瞬間から魔法世界の君は眠り始めているんだ。逆に君が魔法世界に召喚されたときは、現代世界の君は机に突っ伏して眠っているという訳さ」
「そ……それじゃあ現実の俺は、今も『本当の現実世界』で眠り続けていて、ずっと夢の中で夢を見続けているって言うのか……?」
「そうだ。たった数時間の睡眠で数十年分の夢を見ることがあるように、君が夢の中で夢を見ている時間は、『本当の現実世界』の君にとっては刹那のことだろうさ」
あまりにも突拍子のないことを突き付けられ、それが現実なのかと疑ってしまう。
竜ヶ崎は未だに取り憑かれたような顔をしているらしい俺に、ノートPCの画面を見せつけた。
「現実感という感覚が、現実と何も関係がないことはあちらの世界で経験しただろう? この夢を見ているのが『ゆめか』と『こーた』であることは、このPCに記録されたS・M・Aのログから確認できる。二人の無意識の信号パターンを今も観測し続けているからな」
「夢叶さんだけでなく、幸太君の脳波も拾っているということは、彼も被験者なのですか?」
アルがそう訊くと、竜ヶ崎は曖昧に頷いた。
「おそらく『本当の現実』のいつかの時点で、那珂湊がS・M・Aに触れてしまったんだろう。そもそも最初に構築された夢は、S・M・Aの中にデータとして保存されているものだ。夢見乃はS・M・Aに触れることで夢を見ていた。その夢の内容はS・M・Aの中にデータとして保存されていたが、那珂湊がS・M・Aに近づいたことで、S・M・Aが電磁パルスを介して那珂湊にそのデータを送信してしまった。そこからこの夢の連続が始まったと考えられる」
「つまり、夢叶さんは『夢の創造者』であり、幸太君は『夢の観測者』というわけですね」
「おい……その説明だと、俺たちはどうなる? 夢を認識しているのは幸太だけじゃないぞ?」
画陸が険しい表情で言うが、竜ヶ崎の答えは端的だった。
「もちろん『夢を夢と認識することができる』という設定の、夢の住人だ。観測者はあくまで那珂湊幸太ただ一人。『アリエスは二つの世界を行き来できる』という設定に基づいて配役された存在に過ぎない。おそらく、那珂湊のアドバイザーとして夢見乃が設定したのだろう」
その説明に、画陸は愕然と言葉を失っている。
こうやってモノを考え、喋り、一緒に行動できる人間でさえ『夢の住人』という言葉で片付いてしまう真実に、俺は恐怖さえ覚えた。
「――さて、那珂湊。ここからが本題だ」
竜ヶ崎教子は改めて俺に向き直り、薄暗い教室の中で哲学書を開き始める。
「今まで私が話してきた内容は、あくまでもこの『現代世界』が起点――本当の現実の世界観だと仮定した時の話だ。しかし、真の現実を確かめる方法が存在しない以上、あちらの『魔法世界』が真の現実で、『現代世界』が創作の可能性もある。つまり、今までの論争に逆戻りだな。『現代世界』と『魔法世界』の、一体どちらが本当の現実なのか――?」
「そ……そうだ。それが一番知りたかった。俺は六玖波市で生きていた人間なのか? それとも本当にS・M・Aから生まれたアリエスという存在なのか? 先生ならそれを知って――」
「いいや。それを決めるのは、那珂湊、お前だよ」
突き放すような竜ヶ崎の声に、俺は僅かに肩を震わせた。
「決める? なんだよ、決めるって」
「今、S・M・Aのログを解析しているが、この量が半端じゃなく膨大でな。正直に言って、現代世界と魔法世界のどちらが起点世界なのか分からないんだ。……まあ、それも詮無い話だよな。人間、いくら目が覚めても『そこが本当に現実なのか』なんて判断できない。目が覚めたという夢を見ているだけだと指摘されればそこまでだ」
余談を挟みつつ、竜ヶ崎は事実だけを羅列した。
「だから、観測者である那珂湊自身が『こちらが現実世界だ』と決めるしかない。それによって『現実』は固定化され、現実ではない世界から君は『目覚める』ことができる」
「……夢から、醒める……ってことか」
俺の呟きに竜ケ崎は頷いた。
「そうだ。ただし、夢から醒めたその瞬間、その夢は消滅することになるけどな」
「――え?」
何か、重要なことを聞いた気がしたが、その意味をすぐに理解することができなかった。
「現代世界が『現実』だと決めれば魔法世界は消滅し、魔法世界が『現実』だと決めれば現代世界は消滅する。当然の帰結だ。……それはつまり、現実世界を選べばユメミ・ル・ユメカが、魔法世界を選べば夢見乃夢叶が『夢』として、世界と共に消えるということだ」
ユメカと、ゆめか。
どちらかが、消える――?
「具体的に言おう。夢見乃夢叶は現在、自分が造り出した存在であるはずのユメカに那珂湊を取られたと思い込み、変われなかった自分を否定するため、自分の世界である現代世界を壊そうと暴走している。夢見乃を止められなかった場合、この現代世界は消滅し、夢見乃自身も消滅するだろう。一方、捕えられているユメカは現代世界との因果関係がないため、放っておいても消えることはない」
「……夢叶さんを止めた場合は?」
と、アル。
竜ヶ崎は短い黙考を挟んで、
「夢見乃を止める――つまり、那珂湊が夢見乃を選べば現代世界は維持され、そこが現実として固定される。夢見乃はもう夢を見る必要がなくなるわけだから、魔法世界は消えるだろう」
そこまで結論付け、まだ放心している俺の顔を真正面から睨みながら、竜ヶ崎は言った。
「分かるか、那珂湊幸太。結局のところ、夢見乃夢叶とユメミ・ル・ユメカ――そのどちらかを選ばなければならないんだ。それによって、二つの世界が変革する。君の人生に登場する人物も変わるし、世界観も変化する。その決断を―君の一存に委ねたい」
人が、
物が、
世界が変わる瞬間が、
今、俺の手の中に握られていた。
「さあ、那珂湊幸太。君はどちらのゆめかを選ぶ? どちらの世界を肯定する? その選択で、これまでの人生とこれからの人生のすべてが転換するぞ。さあ――どちらを選ぶんだ?」
◇◆◇
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