第六章 -3

 ――S・M・Aが放つ光の洪水に呑み込まれたかと思うと、そこは既に別世界だった。

「うわっ! なんだ急にッ?」

 凛々しくも麗しい少女の声に目を開くと、そこにいたのはいつもの軍服を着込んだソラエの姿。他にもソラエの部下らしき、数名の女性軍人の姿もある。

 俺はなんとかその場から立ち上がると、隣でまだ朦朧としている小動物姿のガリクに呼びかけた。

「竜ヶ崎の言ったとおりだ。現代世界のS・M・Aには、俺たちを眠らせる機能がある!」

「ああ……眠りは即ち無意識活動の一環だから、だったか。くそ、信じられない気分だぜ……」

「ガリクと、コータ? どうなってるんだ、今日はまだ君らを召喚した覚えはないぞ?」

 突然目の前に現れた俺たち二匹の姿に、ソラエは目を白黒させている。俺はここがノイアード城内ではなく、白塗りの壁と石畳に囲まれた深夜の路地であることに気が付いて声を上げた。

「ここは何処だ、ガリク?」

「おそらく、城下の商業街……現代で言えば更場のあたりだ。まずいぞ、城から大分離れてる」

「当たり前だ。今は緊急事態につき特別な仕事の最中だ。君らと遊んでいる暇はないんだよ」

「緊急事態だと? 何があった?」

 ガリクが訊くと、ソラエは周囲の目を気にしながら俺たちに顔を寄せ、小さい声で答えた。

「……ユメカがいなくなった。私たちはそれを捜索している」

「その件で俺たちが来たんだよ!」

 俺が叫ぶと、ソラエは目を大きく見開いた。

「何ッ? ユメカの居場所を知っているのか?」

「説明は後だ。とにかく今は時間がない。大至急、城の王宮魔力廠まで飛んでくれ!」

 俺が言うが早いか、ソラエはガリクを抱き寄せてその額にキスをする。

 たちまちソラエを青い光の渦が包み込み、次の瞬間には凛々しい青のドレスに包まれた魔法少女の姿へと変身を遂げる。ソラエは杖を地面に置いてその上に乗ると、俺たちに向かって気炎を吐いた。

「二人とも乗れ! 一直線に城へ向かう!」

「ええっ? ちょっと待て、デコチューで変身できるの? なんで俺の場合は……」

「ごちゃごちゃうるさい! いいから乗れ!」

 ソラエに頭を掴まれ、強引に背中に担がれる。

 ガリクが乗ると同時に杖は浮上。そこから加速時間を飛び越え、一気に最高速へ迫る勢いで杖は建物の屋根の上すれすれを疾走した。

「部下の人たちには何も言わなかったけど、大丈夫なのか?」

「いらん心配をするな。それより、どういうことだコータ? 事情を説明してくれ」

 ここまできて何かを隠し立てする必要もない。俺は今までのことを掻い摘んで説明する。


「――魔法世界に現代世界だと? しかも、コータの選択によっては、このノイアード自体が消滅する可能性があるとは……それこそおとぎ話じゃないか。それを私に信じろと言うのか?」

 訝しい顔で俺を睨むソラエ。当たり前の反応だと思う。

 だが、俺は否定しなかった。

「嘘じゃない。すべて本当のことなんだ。今は半信半疑かもしれないが、協力してほしい」

「……それで? 君は現代世界のゆめかと、こちらのユメカ。どちらを選ぶつもりなんだ?」

「………………決めてない」

「決めてない、だと?」

 杖のスピードが若干鈍る。

 ソラエの視線が鋭く突き刺さってくるのを俺は自覚していた。

「ふざけてるのか? もしそんな中途半端な気持ちで私に協力を仰ごうとしているのなら――」

「ふざけてなんかねえよ! こんな重要な決断、簡単にできるわけがねえだろうが!」

 俺の本気の叫びに、ソラエは多少面食らったような顔をした。

「そりゃ、確かにユメカは俺が護ると約束した大切な奴だよ。その想いに嘘はねえ。でも、夢見乃夢叶は十五年間、俺とずっと一緒にいた奴なんだ。そんな奴をユメカのためなら犠牲にできる――なんて、誰が言える? 優柔不断だろうが何だろうが、そんなのはできねえんだよ!」

 決めてない――ではなく、決められない。

 その吐露した言葉に一分の嘘すら許してはいない。

 そんな俺の言葉を聞いたからか。ソラエは少しだけ不満げな表情を和らげて、前を見た。

「優柔不断には優柔不断なりの理由がある、か。……いいだろう。それで、私の役割は?」

「まずはユメカを助け出す。王宮魔力廠のS・M・Aに、現代世界へ繋がる扉があるんだ。そこから現代世界へ行き、ユメカを助け出して――その後のことは……その時だ」

「そりゃ立派な作戦だね。そういや、もう一匹のアリエスはどうした?」

「アルならリリンのところへ直接飛んだよ。アリエスには魔法少女と繋がる機能があるからな。アルとはS・M・Aの前で落ち合うことになってて――」

「おい、コータ。前を見ろ!」

 ガリクの声に向いた先。

 建物の屋根の上で待ち構えていたのは、深夜を緑の光で切り裂く魔法少女――、

「リリン? なんでこんなところに?」

「申し訳ありませんが――ここを通すわけには行きませんわよン?」

 そう言って、リリンは杖に集約させていた魔力を開放する。

 その瞬間、おびただしい量の光が辺りに降り注ぎ、俺たちを乗せたソラエの杖の切っ先は急激な重力に下を向く。

 そのまま俺たちの身体は屋根の上に墜落。凄まじい圧力に、屋根の上から動けなくなってしまった。

「ぐっ! リリン……君はッ!」

 ソラエが苦しそうな声を上げるが、リリンの魔法の圧力は変わらない。

「アルから話は聞きましたわン。合理的に考えるなら、ここは行かないのが上策でしょう」

「……なんだと?」

 屋根に縫い付けられたままのソラエが低い声で唸る。

 リリンは高圧的な態度を崩さずに、

「だって、何もしなければあちらの世界は消滅し、ユメちゃんはこちらに返ってくるそうじゃないですか。ならば、何もしないのが合理的で正しい判断ですわン。それなのに、貴方は自ら無駄な危険に飛び込もうなんて……だから脳筋って言われるのよッ!」

 リリンの叫びに呼応して、押し潰す重力が強くなる。

 しかし、ソラエの想いは折れなかった。

「冗談じゃない! 私はユメカの剣にして盾だ! あいつが異世界の戦いに赴き、捕らわれたというのに、私は何も知らなかった……。こんな想いは二度と御免だ。合理的かどうかなんて知るもんか。捕まっているのなら助け出す! それが、あいつの剣としての私の役割だ!」

「ッッ! これだから脳筋は――」

「――はい、そこまでですよ、お嬢様」

 そんな、軽い声が耳元で響いたかと思うと。

 リリンの杖と服装が淡い光に包まれて、次の瞬間には霧散していた。

「え、服が霧散って……ひ、いやああああああ!」

 自分のあられもない姿に、魔法も忘れその場にしゃがみ込むリリン。

 なんとも眼福……じゃなくて、どうして変身が解けた?

「三十メートル離れてしまえば、魔法少女も恐るるに足りず……というところですかね」

 足音もなく、屋根の上に金色のアリエスが降り立つ。

 その姿を見たリリンが声を荒げた。

「アルっ! 貴方、いつの間にかいなくなったと思ったら……!」

「申し訳ありませんお嬢様。でも、自ら嫌われ役になる必要はないのですよ?」

「……嫌われ役?」

 俺が訊くと、リリンはふて腐れた顔でそっぽを向いてしまう。

 代わりにアルが答えた。

「引き返すことができる、という選択肢があるのです。確かに現代世界は失うことになりますが、魔法世界での絆や思い出もまた、掛け替えのないもののはずです。もしもあちらの世界で我々全員がナイトメアに敗れるようなことがあれば、ユメカ様はひとりでこちらの世界に帰還することになる――それは、この世界が残るより嬉しいことでしょうか?」

 俺は、確かに思い出す。

 こちらで過ごした日々が、大切なものとして胸の中にあることを。

 だが、それがあるからこそ、俺は立ち向かわなければならない。

 今まで積み重ねてきた努力や、人々との絆が、強いものであることを証明するために――。

「愚問だね。――魔法少女は、人々に夢を与えるのが仕事だぞ」

 ソラエは転がっていた杖を拾い上げると、身体を隠しているリリンを見ながら言い切った。

「そしてその夢の終わりは、いつもハッピーエンドって相場が決まっているものだ」

「……フン。だから妥協したくないと……? ソラエらしい物言いですわねン」

 リリンがぼそりと呟いた。

 ソラエはくすりと微笑むと、再び浮力を取り戻した杖に飛び乗る。もちろん、俺とガリクも便乗だ。

 唯一残ったアルが、屋根から俺たちを見上げて言った。

「僕はお嬢様と共に居ます。もしかしたら、現代世界には戻れないかもしれません」

「ああ、構わないぞ。この戦いは強制じゃない。自分の居場所は自分で決めていいんだ」

 俺が言うと、アルは頷いて、リリンの傍へと走り寄る。

 それを見ながら俺たちは、杖の高度をぐんぐんと上げて、城の一番高い塔へとその石突の先を向けた。

「ソラエもガリクも……本当に良いのか?」

「問題ない。私の居場所は、ユメカの傍だ」

「俺も構わん。元より、ソラエが行くならば俺も行かねばならないだろう」

 無愛想で目つきの悪い小動物のくせに、ガリクの忠臣ぶりもアルに負けないものがあった。

 では、俺はどうだろう?

 ユメカのために、全てを投げ出せる覚悟ができているだろうか?

「それを証明するためにも……俺は、やっぱり行かなきゃならないんだな」

 城の塔の最上階。

 S・M・Aの待つ王宮魔力廠を見上げなら、俺は呟いた。


  ◇◆◇

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