第四章 -1

 午前七時五十分。

 俺は定時の路線バスに乗り込み、満員の車内で吊り革を掴む。

 朝の車内は普段と変わらぬ混雑ぶりで、いつもの俺ならケータイを弄るか居眠りするか、効率の良いスタハンの稼ぎ方法を考察するかのいずれかだが、今日は何となく顔が上を向いていた。

 ――やっぱ、昨日の夢は最高だったよな。

 さすがにコックピットの内部までは完全にイメージできなくて背に乗ることになってしまったけど、やはり戦闘機はイイ。特に垂直離陸型は男のロマンだ。低く唸るエンジン音といい、ミサイルフル装備といい、あんなモンを中世に出演させる俺は真のホラコンバカと言えるだろう。

 何よりも――ユメカの魔法と俺の知識が一体となって敵を倒せたのが最高に良い。

 あれってつまり、ユメカの願いも俺の約束も、同時に果たせたってことだよな。

 ソラエやリリンが手こずったナイトメアを、俺たちのF35が粉砕する――ちょっと反則臭いけど、今までお荷物だと考えられていたユメカが堂々と戦い勝ったのは、格別のものがあるだろう。

 それがたとえ夢であっても、ユメカが皆に認めて貰えただろう出来事は、アリエスの俺にとっても最高の時間だったと自負できる。

「って、もう心が完璧アリエスじゃん俺。いやあ、参ったなあ~」

 周囲の「何この人ぶつぶつ言ってんの」という目など気にも留めず、俺はバスの車窓に想いを馳せる。公園の緑や市街地のビル群といった見慣れた風景も、今日はなんだか違って見えた。



 八時二十分。

 いつも遅刻ギリギリの俺が予鈴前に現れたことで、非公式スタハン部員の中ではちょっとした事件となった。

「やばいぞ、今日は雪が降るかもしれない……電車止まらないだろうな」

「それどころかカプンコ本社のスタハンサーバがクラッシュしてデータが全部消えるのでは!」

「おぉ恐ろしや恐ろしや……今日はサイドワインダーの雨が降るでえ……!」

「おい貴様ら」

 教室に視線を巡らせると、夢見乃夢叶の姿はない。鞄がないことから、まだ登校してきていないようだ。このところ珍しいこと続きだな……それとも風邪でも引きやがったのか?

「それよりも那珂湊氏、聞いてくだされ! 朝からモゲベーにアクセスできないのですッ!」

 窓際の自分の机にたどり着いたところで、突然ポチョムキンに似た体形の友部芳次が俺に縋り付いてきた。暑苦しいことこの上ない。

 俺は半径一メートル以内に近づくなと警告しつつ、

「モゲベーって、スマホゲーのか。ちゃんと携帯の電池残量は確かめたのか?」

「そんな基本的なところで間違いなどせぬ! こうしている間に、今も敵チームのハイエナどもが吾輩の財宝が食い散らかしていると思うと……うおォん、居ても立ってもいられません!」

「あー、あのゲームシステム鬼畜だからなあ……」

 俺は椅子に腰を下ろしつつ、ポケットから携帯電話を取り出しアンテナの表示を確かめる。

 ……ありゃ、確かに圏外だ。

 教室の中に耳を澄ませば、携帯電話が使えないと騒ぐ女子の声があちこちで聞こえていた。

「なんだ、電波届いていないんじゃん。DOKONO仕事サボってんじゃねーの?」

 ハハハこやつめとばかりに窓を見て、市街地の向こうに視線を投げる。市街地の中央にそびえ立つDOKONOビルの屋上には、携帯電話の電波塔があるのだ。

 もしかしたら、あれが改修中とか修理中とかで、ここら一帯に電波が届かなくなっているのでは――、

「――んん?」

 俺は窓の外に目を凝らして、そして方角を間違ったのかと、二度、同じ方向を確認した。


 ――ない。

 電波塔だけじゃなくて、DOKONOビルそのものがなくなっている。


 俺は机の先に手を伸ばし、別の友達と話をしていた磯原稔の首を強引にこちらに向けさせた。

「いっ、痛い痛い、首もげちゃうよ!」

「お前の親父の勤め先どこいった? なくなってるじゃねーか」

「……はあ? 何の話?」

「だから、DOKONOビルだって。ビジネス街の真ん中の。どこ行ったんだよあのビルは!」

 俺が窓の外を指差すと、稔も友部もぽかんと口を開けてしまう。

 稔が訝しげに口を開いた。

「DOKONOビルぅ? DOKONOのビルが、昔あのへんに建ってたの?」

「昔どころか、昨日まで建ってたじゃねえか。一日で解体したとかありえないし……っていうか、稔の親父ってあそこの支部長してんだろ? どうなってんだよ一体?」

「いや……幸太が何言ってんのか分かんないけどさ、僕のお父さんの勤め先なら隣町だから」

 しれっと言われて、今度はこちらが拍子抜けした声を上げてしまう。

「ええ? いや、だって……え? お前何言ってんの?」

「それはこっちの台詞だよ。DOKONOに働いているのは間違ってないけどさ」

「大丈夫か那珂湊氏? ははあ、さては徹ゲーのし過ぎで脳が残念なことに……」

 友部の冗談も頭の中に入ってこない。

 俺は再び窓の外に目を向けて、ビルの方向を確認した。

 ――やはり無い。

 見間違える方が難しいあの特徴的なビルが、影も形もなくなっている。

 いや……それだけじゃない。もう一つ気になることがある。

 それは、こいつらまで、ということだ。

「とっ、友部大尉! 今日は何月何日何曜日だ?」

「はッ! 今日は十月二十一日金曜日でありますッ准将殿!」

 俺の質問に最敬礼を以って答える友部大尉。……間違いない、今日は昨日の次の日だ。

 なのに、俺だけが「DOKONOビルがあった」という記憶を保持している。

 俺は席を立って、片っ端からクラスの連中にビルの行方を聞いてみる。しかし予想通り、誰もがDOKONOビルの存在自体を、そもそも覚えてなんかいなかった。


 どう……なってるんだ、これ……?


 クラスの連中は突然何を言い出すのかと嘲笑しながら通り過ぎるが、俺の心中は穏やかならざるものが渦巻いている。この事実を論理的に説明できる方法が何一つ思い浮かばなかった。

「ほらほら、朝礼始めるぞ。席につけー」

 担任が教室に現れたので、俺もとりあえず席に戻るが、胸の鼓動は収まる気配がない。

 気が付くと夢見乃夢叶も登校してきていて、しれっと席に着いていた。

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