第六章 -5

 俺とソラエの乗った杖が空を飛び、画陸の駆る原付二輪が地面を走る。

 まだ太陽は顔を出していないが、既に空は白ばんできており、変わり果てた街が良く見える。建物が抉られ、人が倒れ、ナイトメアが飛び交う六玖波市の光景に、ソラエは身震いをした。

「これがあの六玖波市だって……? 夢叶の奴、随分と無茶をしてくれるな」

「ソラエ……いや、絵空はゆめかと親しいのか?」

 俺はソラエに声を掛ける。

 華奢な彼女の背中に抱き付いているのは男として何とも情けない恰好だろうが、そんなことなど意にも返さずソラエは答えた。

「私が生徒会長をしていたころからの付き合いだ。私の勉強や宿題を見てくれる代わりに、よくあいつの愚痴を聞いたものだよ。もちろん、その九割五分が君の話だ」

 常陸鴻巣凛とまったく同じことを言いやがる。

 だけどな、とソラエは付け加えて、

「それでも、君の良いところは認めている感じだった。やれ真っ直ぐな奴だとか、途中で投げ出すことをしない奴だとか、いざと言う時は根性を見せる奴だとか。他人と比べて大して秀でた特徴でもないのに、よく自慢げに言えるもんだと思ったよ」

「……お前本当に性格悪いな」

「だから、逆に分かるんだ。夢叶がここまで怒る理由がさ」

 ちらりと、俺の顔を見る。

 なぜか得も言われぬ迫力を感じて、俺は息を飲んだ。

「コータがどんな選択をするのかは知らないが、ゆめかを悲しませることだけは赦さんからな」

「そのゆめかって、一体どっちの――」

「ソラエ、幸太! きやがったぞ、凄い大群だ!」

 地上を原付で走る画陸が叫ぶ。

 俺たちは前を向いて、その数に驚いた。

 まさに大群。戦場を駆ける騎馬隊のごとく勢いで迫る戦乙女たちの姿に、ソラエは軽く舌打ちをする。

 杖の上で膝をついたソラエは、杖の柄を両手で掴み、ぼそりと一言。

「――悪いな、コータ。一瞬浮くぞ」

「浮く? 浮くって何が――おわああッ?」

 俺の言葉が終わるよりも早く、俺の足元から杖が消えた。

 空を飛んでいる最中にも関わらず、ソラエは素早く杖を足元から引き抜き、そのまま構える。

 刹那、杖は夜明けの空の色が霞むほどの光を放つ紺青の剣となり――、

「すべてを切り裂け――切断魔法ディバイドッ!」

 一振り。

 それだけで、目前に迫った戦乙女の大群の首が、一人残らず切断された。

 ソラエはくるりと一回転、元の形状に戻った杖の上に着地して、空中に投げ出されていた俺すらも杖の上へ引き寄せる。

 まさに一瞬の出来事に、俺は心臓をバクバクさせながら抗議する。

「なっ、なんだよ今のは! 一歩間違えば地面に墜落してミンチになるのは俺の方だぞ!」

「これくらい私とガリクなら普通だ。それより、今のうちに突っ込むぞ!」

 低空飛行に移行して、急激に加速するソラエの杖。低空にした理由は画陸との離隔三十メートルを維持するためだ。

 振り返れば上空にある暗雲の隙間から、幾十幾百の黒い馬が墜ちてきているのが見える。

 研究室を出る際に竜ヶ崎から受け取ったトランシーバが声を震わせた。

『マズいぞ、夢見乃夢叶が動き出した。ナイトメアと共にそちらへ向かっている』

「言われなくても見えてるッつの!」

「いや――見えたのはこちらが先だ」

 ソラエの呟きに前方を見る。

 数体のナイトメアが待ち構える先には、画陸が在籍する進学校――筑穂台学園高校の時計台が、門扉越しに見えていた。

 そして、その時計台の屋根の上で、氷のオブジェと化しているユメミ・ル・ユメカの姿も。

「一度、校舎の屋上に下りるぞ。そこから時計台へ登れるはずだ」

 杖は進行方向を変え、校舎を大きく回り込むような軌道で時計台に近づく。

 反応した数体のナイトメアが後を追ってくるが、それより先に着陸ポイントへたどり着くことに成功した。

 屋上に降り立った俺は、前方の一階分高くなった時計台の屋根を見上げる。

 ソラエは自由になった魔法の杖を両手で掴み、接近してくるナイトメアの方向を睨みながら言った。

「私はここまでだ。これ以上高度を上げると離隔三十メートルが維持できない。ガリクが登って来るまでナイトメアを引き付けておこう」

「分かった。頼むぞソラエ」

「それはこちらの台詞だよ。――後のことは君の仕事だ。私の忠告、忘れるなよ」

 俺は頷いて、走り出す。

 時計塔の外壁に張り出した鉄製のタラップに足を掛けると、背後で大きな音が木霊した。……戦闘が始まったのか。あまり時間はかけられそうにない。

 五メートル分のタラップを登り終えると、そこはもう時計台の屋根の上だ。

 決して広くないスペース。屋根は一方に傾いており、板張りなので滑りやすい。

 その中央に、氷漬けにされたユメミ・ル・ユメカの姿があった。

「ユメカ……って、なんでこいつ裸なんだよ!」

 俺は思わず目を背ける。……そういや魔法少女は、変身が解けると服が無くなっちまうんだったな。

 俺は背中に紐で括り付けていた杖を手に取り、できるだけ見ないようにして近づいた。

「裸を見ちまったことなんて、後でいくらでも謝ってやる。だから……起きろよ、ユメカ」

 呼びかけてみるが、首から下が氷の中に閉じ込められちまってるユメカは、まるで白雪姫のように目を閉じたまま動かない。

 俺はところどころから突き出たつららのような残滓を足掛かりに氷柱を登り、ユメカの頬に手を当てる。やはり、恐ろしいほどの冷たさだった。

 これが、ナイトメアに触れられた者の末路なのか。

 ――しかし、だからこそ俺には、ユメカを目覚めさせる方法がある。

 正直、何故ゆめかがユメカをここに放置していったのかは分からない。凍らせた理由も分からないし、何故この学校を選んだのかも。俺には分からないことだらけだ。

 だが、ナイトメアの役割は、触れた者を眠らせることだ。

 殺すでもなく、消すでもなく。

 ただ……眠らせるだけ。

 まるで、今まで見たものはすべて夢だったんだよ、と眼を瞑らせること自体が目的のように。

 だから、ゆめかがナイトメアを生み出した理由は、単なる暴走なんかじゃなくて、これが現実であるということを否定するために、あらゆるものを眠らせてるんじゃないかと思うんだ。

 だから、俺は――それを否定する。

 夢見乃夢叶が否定したい現実を否定する。それこそが、ユメカを呪縛から解き放つ方法だ。

「南無三ッ!」

 俺は、意を決してキスをする――ユメカの額に。

 ……しかし、なにもおこらなかった。

「な、なんでだ? 画陸はデコチューでイケただろ?」

 ツッコんでみるが、ユメカは応えてはくれない。眠った顔が不満そうにすら見えた。

「コータ! 何をしている、早くユメカを起こせ! そろそろ私一人では限界だ!」

 振り返ると、ソラエが紺青の剣を振り回し、空から迫るナイトメアを手当たり次第に斬り捨てている。しかし、湧いて出たその数は圧倒的だ。何十という黒い戦乙女が空を覆っていた。

「畜生! ああ! そうかよそうかよ、わかったよ!」

 こんなときに恥や外聞なんて気にしている俺が馬鹿だったよ!

 コイツは俺のために、危険を承知でこちらの世界へ飛んできてくれたんだ!

 コイツが俺に向けてくれている信頼や愛情に応えられないほど、俺は男を捨ててねえし、

 コイツのためなら何を犠牲にしてもいいと思ったあの感情は、嘘じゃねえ!

「だから……頼む! 目を開けてくれ、ユメカ――!」


 ――唇と、唇が触れたその瞬間。


 氷は水となり、大気となり、巨大な強い光となって、俺の視界を埋め尽くした。

「うわっ……っと!」

 そのあまりの眩さと、足場の氷が一瞬で蒸発したこともあって、俺は屋根の上に背中から落っこちてしまう。

 そして、そのまま俺の身体は屋根の上をずるずると滑り始め――、

「おいおい、ヤベえぞ! 誰か助け――」


「――コータっ!」


 光の中から差し伸べられた華奢な手が、伸ばした俺の手を掴んだとき。

 光は拡散し、その中から――俺の良く知ったドレスに身を包んだ、赤い魔法少女が現れた。

「やっと……やっと起きやがったな、このやろう!」

「うんっ! ごめんね、コータ。でも私……キミに迎えに来てもらえて、とっても嬉しい!」

 なんてストレートなその言葉。俺の方が先に赤面してしまう。

「――って、まだ滑ってる滑ってる! このままじゃ墜ちちまうって!」

「杖を貸して!」

 咄嗟に反対の手に握っていた杖をユメカに渡す。すると、杖は瞬く間に戦闘機へと姿を変え、屋根から落ちた俺たちをその背で受け止めた。

 落ちる距離に少し高さがあったので、俺は慌ててユメカを抱き起し、その身体に怪我がないかを確かめる。

「お、おい、大丈夫か? 氷漬けになってたんだ、どこか具合は、――んぐッ?」

 続く俺の言葉は、再び抱き付いてきたユメカの唇によって塞がれた。

 突然のことに、俺は頭が真っ白になってしまう。

「――これが、最後のキスかもね?」

 唇を離したユメカが言う。

 その時のユメカの表情は、嬉しいような、寂しいような、どこか達観しているような、そんな形容しがたい感情に満ちていた。

「な、なんだよ急に……どういう意味だよ?」

「えへへ、何でもないっ。それじゃ、行こっかコータ。まずはソラエと一緒に周囲のナイトメアを一掃しなきゃ。――そして」

 ユメカは黒ずんだ空を見る。

 立ち込める暗雲の中から降りてくる無数のナイトメアと、その中心で紅い光を発する人影に、まるで何かを掴むような仕草で手を伸ばした。


「もうひとりの私に、逢いに行こう」

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