第六章 -6

「――これで、終りだっ!」

 数十体目のナイトメアを霧に還して、ソラエはようやく剣を下ろす。ゆめかも戦闘機を杖に戻して屋上へ。

 時計塔の陰に隠れていた画陸がこちらに近づいて、それから空を見上げた。

「終わり……と言えるのか、これは?」

 その言葉に、俺は息を呑む。いや、もしかしたら、まだ始まってもいなかったのかもしれない。

 見上げた空を埋め尽くす、何百何千という大量のナイトメア。

 多いのは戦乙女型の個体だが、よく見ればドラゴン型、大蛇型、プテラノドン型に、いつかの九嬰の姿もある。

 まさにオールスター。見たことのあるなし、大小関わらず、まさにナイトメアの集大成と言える規模の数が、この六玖波市に降り注ごうとしているのが見て取れた。

「あの数が街を覆い尽くしたら……この街は、本当に消えるかもしれないな」

 俺は顔色を悪くしながら呟く。

 確かに学校を囲っていたナイトメアは一掃されたが、それは総数の数百分の一に過ぎない。既に周囲の建物は半数以上が崩壊しており、人の声だってとっくに聞こえなくなっていた。

 滅びのカウントダウンは始まっているのだ。

「――コータ。結論は出たのか?」

 息を整えたソラエが言う。俺は下を向き、唇を噛んだ。


 夢見乃夢叶を止めれば、この現代世界が現実となり、魔法世界は夢に消える。

 夢見乃夢叶を止めなければ、この現代世界が夢と消え、魔法世界が現実となる。


 今までとこれからの人生のすべてが確定する、その転換点。

 ゆめかと共に生きるのか、ユメカと共に生きるのか。

 ここまできたら、もう、迷うことはできない。

 その、俺が選んだ選択は――、

「ゆめかを止めに行こう、コータ」

 俺の迷いを断ち切るように。きっぱりと言い切ったのは、ユメカだった。

「ゆ、ユメカ? お前、どうして……」

 俺の困惑を余所に、ユメカは何一つ迷いのない、晴れやかな表情で言う。

「だって、ゆめかは苦しんでいる。ゆめかは自分の夢が叶わないから、自分ごと、この世界を滅ぼそうとしているんだよ。それなら、夢を叶えてあげなくちゃ。困っている人や、悲しんでいる人がいるならば、それを救うのが魔法少女の役目だよ」

「それ、意味分かって言ってるのか? ゆめかを救うってことは、つまり――」

「分かってるってば、それくらい」

 ユメカは少しだけ自嘲するように、苦笑を見せた。

「ナイトメアに捕まっていたとき、私、あの子の夢を見ていたんだ」

「……夢?」

「こちらの世界で一緒に遊んで、笑って、ケンカして……そんな、何の変哲もない普通の夢」

 それは、昔の夢だろうか。

 俺たちがまだ小さい頃、本を読んだりゲームをしたりと、互いに気兼ねなく「友達」として接することができていた、過ぎ去った時間の向こうの話だ。

「あの子、子供の頃からコータのことが好きだった。すっと一緒にいたいと思っていた。でも、中学に上がって周囲の目が気になり出した頃から、コータとの間に壁を感じ始めた」

「それは逆だ。壁を感じていたのは俺の方だぞ」

「……本当に?」

 ユメカが首を傾けて訊いてくる。

 当然だ。容姿端麗で成績優秀、おまけに温厚篤実な生徒会長なんて、間違ったって俺の相手になりはしないだろう。

 だから避けた。俺みたいのが付きまとったら、ゆめかの足枷になる。

 いや、それどころか俺の方が惨めになるから――。

 って、……違うのか。

 俺の方が、あいつに近づかないようにって、壁を造っていたのか。

 この不思議な一連の騒動は、俺に原因がある――その言葉を今、改めて噛みしめていた。

「でも、あの子はその壁を乗り越える方法を模索した。まずは自分が変わろうって。少しでも望む世界に近づこうって。それでたどり着いたのがS・M・Aだった。精神的な意識改革と、夢の中でのシミュレーション。すべてはコータと一緒にいたくて始めたことだったの」

 そこで、ユメカはくすりと笑い、俺の顔を覗き込んだ。

「でも、私だって同じだよ? 子供の頃からずっとずっと、コータみたいなアリエスが欲しかったもん。だから、毎日毎日S・M・Aにお願いした。私が魔法少女になった時には、私の知らないいろんな世界を見せてくれる、私が大好きになれる子が欲しいって」

 決して共存できない二つの世界で、それぞれのゆめかが夢見た願い。

 それが、すべて自分に向けられていることに、俺は心底身震いした。

「――だから、もう私はいいの!」

 そこで、花が咲くようなユメカの笑顔。

 俺は面食らって、思わず息を呑んでしまう。

「も、もういいって、何でだよ。お前の願いは――」

「だって、もう私の夢は叶っちゃったもん。大好きなコータと仲良くなれたし、私の知らなかった世界を見せてくれた。私と最後まで一緒にいてくれるって約束も護ってくれたしね」

 それは。

 その約束は。

 ……きっと、本来の意味とは違う。

 それなのに、俺は、言葉を発することができなかった。

「だから、今度はあの子の番。私が幸せになれたんなら、あの子だって幸せにならなくちゃ」

 そう、朗らかに言う。

 何の辛さやしがらみも感じさせない、屈託のない笑顔で。

 だからこそ、俺は……天邪鬼の俺だから、訊かずにはいられなかったのだ。

「な……なんで、なんで、そんな風に笑えるんだよ? あっちのゆめかを助けちまったら……お前は消えちまうんだぞ? 何もかも、なかったことにされちまうんだぞ?」

 ――それは、ユメカの決意を揺るがしかねない残酷な言葉だったと思う。

 だというのに、ユメカは、

 表情に一つの影を落とすこともなく、言い切った。


「だって、あの子は私で、ユメカはゆめかだから。ゆめかが幸せなら、ユメカも幸せだよ」


 その言葉を聞いたソラエが、杖を携えて一歩前に出る。

 その顔は微笑すらしていた。

「それが、この夢の。――いや、ユメカの結論か」

「そ……ソラエは、それでいいのかよ? ユメカが消えたら、魔法世界も……!」

「コータ、私は言ったはずだ。ユメカの幸せが私の幸せだと。ユメカがそれを望むなら、私もそれを望むよ。……たとえ、君がユメカと違う結論を出していたとしてもね」

「が……画陸ッ!」

「詮方ない話だな。アリエスはパートナーに付き従う。ただそれだけの話だ」

 画陸さえも、その運命を受け入れる決意を固めている。腹を決めかねているのは俺だけだ。

 ……なんで、みんなそんなに平然といられるんだよ。

 なんで、そんな簡単に言えちまうんだよ。

 その決断が納得できなくて、それを受け入れざるを得ない状況が悔しくて……俺は目をぎゅっと瞑り、手を痛いくらいに握り締めていた。

「――大丈夫だよ、コータ」

 その、俺の手を優しく包み込む手がある。

 柔らかなその感触に、俺は思わず目を開ける。

 ユメカの優しげな顔が、俺の顔を覗き込んでいた。

「誰も消えないし、誰もいなくなったりしないよ。だって、これはもう夢じゃないんだから」


 ――俺の視界に、世界が広がっていく。

 空を埋め尽くすナイトメアの大群と、暗雲の空と、そして地平線の向こうに広がる青空に。

 これが夢だって、誰が信じるだろうか?


「……分かったよ。これが、最後だ」


 きっと、夢も現実もない。

 誰かがそう思ったことだけが、真実だと思った。

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