第六章 -7(period)

 そして、俺とユメカを乗せた戦闘機は空を飛ぶ。

 目指すは直上、曇天を突き破った空の彼方。高度11万メートルの成層圏だ。

 マッハ一・六を誇る高高度戦闘が可能なF35Bだからこそできる芸当だが、

「さ、さすがに生身で戦闘機の背中に張り付くのは、む、む、無理があるってか寒いわッ!」

「これが宇宙なの? へえええ、凄い綺麗~!」

 ユメカは初めて見る藍色の宇宙に、目を潤ませて感動していた。

 まったく、ユメカの想像の中に「成層圏は寒いもの」「空気が薄いもの」という項目が欠如していなかったら、今頃俺たちは景色どころか生きてすらいなかっただろうに、暢気なものだと苦笑するしかなかった。

「コータ見て! ナイトメアの軍勢が途切れた。ここから行けるよ!」

 ユメカが指差す方向。

 そこに数体のナイトメアの姿があったが、地上で見えた数千と言う規模からは明らかに少ない数だ。

 戦闘機は若干の水平移動を経て連中の上空に静止すると、その形を杖に戻して、俺たちは二人で宇宙と大気の狭間を彷徨った。

「あ、そう言えば……ねえ、覚えてる? 約束したあの場所も、こんな風景だったね」

 ユメカが言う。約束って、魔法世界でパーティを抜け出したあの時か。

 上空に満天の星々が、下方に無数のナイトメアと暗雲が見えているこの状況は、確かに非なるが似てもいた。

「そうだな、それがどうかしたか?」

「まだあの約束は、有効だよね。最後まで一緒にいて、私を護ってくれるって」

「ああ、当然だ。最後と言わずいつまでも、その約束は護ってやるさ」

「うん。それじゃあ……私のこと、離さないでね!」

 ゆめかが杖を振り上げる。

 その光は成層圏を赤く輝かせ、最後の『創造魔法』を創り上げた。

 ――その魔法で創造したモノは、何かって?

 人類有史以来、最も速い乗り物を知っているだろうか。

 それは秒速七・九キロ、時速にして二万八四〇〇キロ、マッハ26・8という、この星の重力と自転を利用して加速する、まさに魔法を超えた規格外の乗り物の名称だった。


 スペースシャトル。


 俺たちを背に乗せた、本物よりも一回り小さいその機体は、大気圏再突入時みたいな生易しい体勢などではなく、仰角二七〇度という真っ直ぐに地面を向いたその体勢で――、

「行ッけええええ!」

 アフターバーナーが火を噴いて、宇宙船は対流圏へ突入した。

 その凄まじい風圧と耳鳴り音に必死で耐える。

 ユメカの造る乗り物は(内部構造が分からない故に)中に乗れないのが唯一の弱点だ。

 進行方向にナイトメアが迫っても、避ける余地など一切ない。邪魔するものはすべて弾き飛ばし、スペースシャトルは瞬く間に暗雲を突き破った。

「……見えたよコータ! ゆめかだッ!」

 地表が迫り、黒山の大群が迫り、そしてその中央に夢見乃夢叶の姿が迫る。

 これが、俺たちに残された唯一の作戦。

 ナイトメアが存在できない宇宙圏から、一気にゆめかのいる場所を目掛けて降下することで、数千というナイトメアとの戦闘を避けつつゆめかの元へと辿り着く、いわば一点集中、乾坤一擲の電撃戦だった。

 さすがに成層圏からではマッハ20ほどの速度は出ないが、それでもニュートンの万有引力は偉大だ。重力はあらゆるものに速度を与え、俺たちに不可能を可能にする力を与えてくれる。

「角度このまま! 一気にゆめかの元まで飛び込め――」

 言ったそばからナイトメアの襲撃を受け、機体がぐら付く。

 連中、攻撃する間もないものだから、その身を犠牲にしてスペースシャトルの落下地点へ飛び込んでくるのだ。数体くらいなら何の影響もないが、それが十体、数十体ともなると、さすがに制御が利かなくなる――!

切断魔法ディバイドッ!」

 そのとき、空の向こうから放たれた青い閃光が、行く手を遮る連中を撃滅した。

 それは文字通りのレーザービームだ。光に触れたナイトメアは面白いように地に墜ちていく。

「ソラエ!」

 高速で過ぎる風景の中、ソラエが剣を振り、青い閃光を懸命に放つ姿が見て取れる。しかし、ソラエの切断魔法も万能じゃない。

 周囲のナイトメアを次々と撃ち落としていく閃光だったが、一瞬の隙に近づいたナイトメアがシャトルに激突、落下地点が大きく傾いた。

「しまった! ユメカ、角度を変えろ! このままじゃ全然違う地点に墜ちちまう!」

「り、了解ッ! 一瞬だけど、速度が落ちるよッ!」

 ユメカがシャトルのエアスラスターを操作して、ブレーキを掛けつつ落下速度を調整する。

 それを見逃す連中ではない。大蛇や九嬰を始めとした大型のナイトメアがシャトルの周りを取り囲み、一斉にこちらを飲み込もうと襲ってきた。

「くそッ、ここまでか――?」

 だが、救世主はもう一人いた。


圧力魔法プレッシャー――ッ!」


 周囲に広がる金色の光。

 その光を受けた大型のナイトメアは、まるで反発し合う磁石のように、俺たちを中心として弾き飛ばされる。

 声の聞こえた方向に振り返ると、シャトルから少し離れた空の中に、金髪の少年と緑色のドレスに身を包んだ魔法少女の姿が見えた。

「……まさか、リリンか!」

「まったく。やっぱり私がいなければダメなようですわねン」

 リリンはこちらに近づきながら両手を広げ、再び圧力魔法を展開する。

 俺たちを食い千切ろうと迫るナイトメアは、リリンの魔法の前に手出しできない。そのうちに青い魔法に撃ち落され、俺たちを遮るものは何もなくなっていた。

 俺はいつの間にかシャトルに取り付いていたリリンと、そしてその背後のアルに叫ぶ。

「お前ら、こっちの世界には来ないって……!」

「ええ、僕もそう思っていたのですけどね。状況を把握したお嬢様が――」

「それは、ユメちゃんが戻ってくるときの話ですわン。第一、世界が消えちゃうのにあっちで待っていても不合理でしょう? だったら私は、ユメちゃんのために全力を尽くす。ユメちゃんが叶えたい想いを護ってみせる。――それが、親友である私の役目ですわン!」

 リリンは先行し、魔法の壁で道を造る。ソラエの閃光も止むことなく継続中だ。

 そうしているうちに、シャトルは既にゆめかの顔が見えるまでに近づいている。

 ナイトメアを周囲に何重にも張り巡らせた夢見乃夢叶は、俺たちを見上げながら声を張り上げた。

「どうして――どうして来るのよ、幸太ああッ!」

 その眼は狂っている様子などなく、むしろいつものキレたときのゆめかと同じだ。

 俺はシャトルにしがみ付いていた手を離し、風圧で髪が乱れることも構わずに叫んだ。

「うるせえ! そこまで行くから、ちょっと待ってろ!」

「そう言って……あんたは、私のところに来てくれたことなんてなかった! 私がどんなに話しかけても、一緒の時間を過ごそうとしても、全然相手にしてくれなかったじゃない!」

「それは、お前が――」

 言いかけて、先ほどの俺の罪を思い出す。……確かに、あいつを避けていたのは俺なんだ。

 俺が言葉に詰まっていると、ゆめかは両手を胸に押し付けて、想いの丈を吐露していた。

「だから幸太なんて嫌いなのよ! 言い訳する男は嫌い! しつこい男はもっと嫌い! でも、あんたのことが好きな私が一番嫌い! だから壊すの。全部なかったことにする! あんたが好きだって気持ちも、そんなことでウジウジしてる私も、全部全部壊してやるんだッ!」

 ――全部。

 全部、全部、何もかもを、なかったことにする……だって?

 完璧に身勝手なその物言いに、さすがの俺もブチ切れた。


「ふッ……ざけんなよこのやろうッッ!!」


 それは、俺の中で最大級の咆哮だ。

 主張していたゆめかも、びくりと震えて俺を見た。

「全部ぶっ壊すだって? 冗談じゃねえ! ここに辿り着くのに、どんだけ俺が――俺たちが、苦労してきたと思ってるんだ! そりゃ望み通りの展開じゃねえのかもしれねえけどよ、お前が造った夢のおかげで、俺はいろんな人に出会えたし、いろんなことに気づくことができたんだ。それをなかったことにする? 風呂敷拡げた本人が、勝手に畳んでんじゃねえよ!」

「いっ……いいじゃない! だってこれは私の夢よ? 好きに弄って、好きに見て、好きに止めたって私の勝手でしょ!」

「もうお前だけの夢じゃねえ! 俺の夢と、俺たちの夢だろうが!」

 自分でも、まったく何を言ってやがるんだろうなと思うほどの物言いだった。

 だけど、ここに来るまでに体験したこと、感じたこと――それがたとえ夢であったとしても、俺の財産に違いはないんだ。それを否定することは、俺を否定することと同義だった。

 俺は、俺の信念を貫き通す。

 その想いに二言はないし、それができないほど男を捨ててない。

 だから、ゆめかにもその想いを大切にしてもらいたいと思う。

 自分が作り上げた世界が、嘘ではないと肯定して欲しかったのだ。

「だいたい、俺に言いたいことがあるのなら、なんで直接言わなかったんだよ! S・M・Aなんか頼らず、思うままの気持ちを俺にぶつけてくれば良かったんだ。そうすれば、こんな遠回りする必要なんか――」

「無理だよ! だって……幸太は、私のこと嫌いだもん!」

 髪をかき乱してゆめかが叫ぶ。

 その眼には、いっぱいの涙が溢れていた。

「はあッ? ちょっと待て、いつ俺がお前のこと嫌いだって言った?」

「言ってないけど、分かるもん! 私がいくら好きでも、幸太が嫌いなら意味ないじゃない! だから、私だってあんたのことが大嫌いよ! 嫌い嫌い、大ッ嫌い!」

 ゆめかの叫びに呼応して、周囲のナイトメアが俺たちに迫る。

 ソラエとリリンがナイトメアの猛攻を防ぐが、そろそろゆめかに近づき過ぎていて、接近するのはこれが限界だった。

「コータ、行って! ゆめかの願いを叶えてあげて!」

 背後でユメカが叫ぶ。

 俺は一度だけユメカに振り返って、頷いて。

 そして、シャトルの上から飛び出した。

 空を浮く感覚。自由落下は思った以上の速度を以って、俺の身体を締め付けてくる。

 咆哮と共に襲い来るナイトメア。

 しかし、シャトルを再び戦闘機に変形させたユメカのミサイル攻撃と、リリンの圧力魔法が俺を包んでナイトメアの侵攻を食い止めてくれる。俺はそのまま大気の中を滑空して、ゆめかへと近づいて行った。

「だから、来ないでってば! あんたのことなんか、好きでもなんでもないんだからあ!」

「あーっ、もう、うるせえうるせえうるッせえええっ!」

 なんだそのテンプレートなツンデレ台詞は! こんな世界存亡の戦いをしかけた張本人が、よりにもよって三流ギャルゲーの台詞だと? もっとラスボスらしく胸を張れってんだ!

 結局のところ、この騒動ってゆめかのツンデレ話ってことじゃねえか。

 なんつー規模のでかいツンデレだよ。病んでナイトメアまで出すくらいだからヤンツンデレか? 畜生、豪華すぎて涙が出らあ。しかもそのお相手は、何を隠そう俺と来ているから溜まったモンじゃねえ。

 それならそうと、もっと早く言ってほしかった。

 俺にだって、いろいろと都合とか心の準備とかイロイロあるんだからよ!

「なんで私に構うのよ? 私のことが嫌いなんでしょ? それならもう、放っといてよ! 私はもう嫌なのよ、好きでいるのが苦しいのなら、もう人を好きになんかなりたくない!」

「お前は、空前絶後の馬鹿だろう?」

 俺のその言い方に、ゆめかは一瞬ぽかんと口を開いたが、すぐに瞳に炎を宿して顔を上げた。

「だッ、だッ、誰が空前絶後の馬鹿よ! 万年補講組のあんたにだけは言われたくないわよ!」

「そういう意味じゃねえ! どうして危険を承知で、俺がこんなとこまで来たと思ってんだ!」

 そうさ。始めから結論は出ているんだ。

 ゆめかとユメカを選べと言われて、どうして俺があんなにウジウジ悩んだと思ってる?

 そうして悩んで結論も出てないのに、どうしてここまでお前に近づいたと思ってるんだ。

「お前のことが嫌いだったら、最初から悩むはずなんかねえだろうが!」

 ゆめかと同じ高度に達した瞬間、俺はゆめかを抱き寄せた。

 二人の顔が近づいている。

 華奢な身体。風に揺れる長い髪、涙の浮かぶ濡れた頬。

 そうさ。――こいつが望んだ願いなんて、あっけないほど単純なことなんだ。

 竜ヶ崎の言った通りさ。ゆめかとユメカは同一存在。自分の理想の世界として、魔法世界が誕生した。そこは魔法少女が悪と戦い、大切なパートナーと一緒にいられる理想の世界だ。

 そこでの主人公は、魔法少女がゆめかで、パートナーが俺で。

 ゆめかは、ユメカを通して、俺に「それ」をすることを夢見ていたんだ。

「それ」が何かを言う前に……ところで一つだけ気になることが。

 魔法少女に変身する際、なんでガリクはデコチューで良くて、俺だけがデコチューじゃ駄目なのか?

 その理由はたった一つだ。


「魔法少女に変身する」ことではなく、変身するための過程こそが、ゆめかが望んだ夢だから。


 ――ああ、だから俺はギャルゲーは嫌いなんだ。

 こんなの俺のキャラじゃない。俺はホラコンとスタハンに命をかける生粋の硬派なゲーオタなんだ。

 だから、こんなのはこれっきりにして貰いたいぞ。……頼むからな。

「やっぱ馬鹿だよな、お前」

「な、何を――、っ?」

 だって、馬鹿以外の何物でもないと思うぞ。

 俺とキスしたいってためだけに、あんな壮大な夢を作り上げたってんだからさ――。


 俺とゆめかの唇が触れた、その瞬間。


 時空は、大気は、宇宙は、――世界は。


 すべてが淡い泡沫となって、霧散した。

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