第三章 -2

 友部の決死の行動の隙に窓からの脱出を果たした俺たちは、一網打尽にされるのを避けるため解散した。あーあ、しばらくあの部室は使えないな。今後は支部(ファミレス)で活動せざるを得ないだろう。ドリンクバーで粘ると店員に嫌な顔されるから行き辛いんだけど。

 兎にも角にも、今日の部活はお開きに違いない。俺は肩に掛けていた通学バッグを担ぎ直し、人目の付きにくい校舎裏ルートを選んで校門を目指す。西の空の太陽はすでに傾き始めていた。

「……っと」

 もうすぐ中庭というところで話し声が聞こえて、俺は思わず立ち止まる。さすがにもう友部は俺たちの存在をゲロってるだろうから(奴はそういう男だ)、現行犯を押さえられるわけにはいかない。俺は校舎の壁に張り付いてじりじりと抜き足しつつ、中庭の様子を伺った。

「――なあ、ホントに頼むよ。いいだろ? 付き合っている奴いないって知ってるんだよ」

 先に見えたのは、背の高い男子生徒。確か隣のクラスで野球部の、えっと、なんだかって名前のエース君だ。向かい合った女子に懇願するような面持ちのまま詰め寄っている。

 そして、交際を申し込まれているらしい女子の顔は――、

(……ああ、やっぱり)

 予想通りと言うか、なんというか。

 俺は得心して独り頷く。

「だから、ごめんなさい。受験も控えているし、私そういう気が全然なくて……」

 優しげな声色で答えた夢見乃夢叶は、長い髪を揺らしながら頭を下げた。

「じゃあ、せめてメアド交換してよ。俺のこと、少しずつでも知って欲しいからさ」

 などと切り口を変えて迫るエース君。断られているのにめげない奴だ。

 ゆめかはいつもの猫被りを崩せないのか、困ったようにあれこれと理由をつけて躱そうとしている。

 幾度かの応酬の後、エース君は少し苛立ったように語気を荒らげた。

「メールくらい、いいじゃんかよ。それとも何、もしかして好きなヤツでもいるんじゃ――」

「いないわ」

 即答。

 そのあまりの間髪入れずっぷりに、エース君が一瞬呆気に取られる。

 ゆめかは眉根を寄せいつもの朗らかな相貌を崩し、一歩エース君にずいと迫ると、唸るように囁いた。

「アンタがどこそこのどなた様か知りませんけどお? 私に言い寄るつもりなら、一つだけ覚えておくことね」

「な、なんだよ……?」

「私は、アンタみたいなしつこい男が一番嫌い」

 ド直球。

 完全にバットをへし折られ、魂が後頭部から飛んでいくエース君。

 ゆめかはぷいっと踵を返し、彼に背を向けて歩き出す。……ってヤバ、こっち来るぞ。

 隠れようと思ったが、それよりもゆめかとの邂逅が早い。

 ゆめかが校舎の角に飛び込んできたところでばったり遭遇。ゆめかは一瞬まぶたを瞬かせた後、足早に俺に近づいた。

「……見てたの?」

 開口一番に冷徹な言葉。目に怒気が篭っていて少し怖い。なるほど、こんな目で見られりゃエース君だって百年の恋も冷めるのかもしれない。

 俺はゆめかの背中越しに、ふらふらとグラウンド方向へ消えていくエース君の背中を確認してから、ため息交じりに答えてやった。

「ああ、たまたまな。毎回毎回、断るのもご苦労なこって――」

「見てただけなの?」

 俺の嘲笑を遮って、ゆめかがぴしゃりと言い放つ。……見てただけなのって、そりゃどういう意味だ。

「いや……変なトコ見て悪かったよ。でも偶然だから仕方ねえだろ? それに、俺がしゃしゃり出る必要もなかったじゃんか。お前、こういうの断るの慣れてるワケだしさ」

「慣れてる、なんて……本ッ当バカ!」

「痛ッ!」

 バカ、と同時に鋭い蹴りが飛んできた。俺のふくらはぎにクリーンヒットして完全に面喰う。

「おま、ローキックって、コンボの出だしかよ! 小Kのダメージも馬鹿になんないんだぞ?」

「うっさい、黙ってろゲームバカ!」

 続けざまに2ヒット目を放った後、ゆめかは俺の横を通り過ぎて大学棟の方向へと歩いて行ってしまう。

 俺は声を掛けようと口を開きかけたが、その背中が話しかけるなと言っているみたいに見えて、伸ばした手を力なく下ろすのだった。

「な、なんなんだよマジで……」

 蹴られた足がじんじんと痺れている。大して痛くなかったはずなのに、だ。

 夕暮れに赤く染まる大学の校舎を遠くに見ながら、俺はいつまでもその場に佇んでいた。


  ◇◆◇

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