第三章 -3
夢の中には、いつもの風景が広がっていた。
ノイアードは王宮を中心とした市街地と、それらを取り囲む城壁によって構成されている。城壁の外には農場や牧場、山や川といった場所も存在するらしいが、なにしろ広大な魔法都市だ、行動範囲が王宮周辺しか許されていない俺たちにとっては世界の外も同じだろう。
俺を乗せたユメカの杖から見渡せるのは、欧州風の街並みと真っ青の晴天だけだ。
――この夢を見るのは、これで何度目なんだろうな。
俺はすっかりお馴染みとなった小動物な身体を見下ろしながら、ぼけっと眼下を望んでいた。
『はい、そこで高速旋回!』
杖にぶら下げた魔導無線機から響いた声。それに反応してユメカが舵を切る。
視界が揺れたかと思うと、そのまま世界は九十度に傾いて、俺の身体は遠心力に従って杖から放り出された。
「おおぅおお?」
「コータ、危ないッ!」
ユメカが空中で素早く方向転換。螺旋を描くように降下しつつ、俺を落下地点に回り込んでキャッチする。身体が胸の谷間に埋まる感触。俺は嬉し……いや生きた心地がしなかった。
「もー、何やってんのコータ。飛行訓練中に杖から手離しちゃ駄目だよ」
「す、スマン。助かった……。それにしてもお前、杖の操縦上手くなったなあ」
と俺が言うと、怒っていた顔をふにゃりと溶かして「でしょ?」と微笑むユメカ。さっき俺に蹴り入れやがった女と同一人物かと疑いたくなるような笑顔だ。……いや、実際同一人物ではなく、そもそも俺の勝手な空想だからこそ見られる表情なのかもしれないが。
それとも、何か。俺があのとき正しい選択肢を選んでいれば、蹴りではなくて、こんな笑顔を見られる可能性も存在していたとでも言うのだろうか。
(……それじゃ、どうすれば良かったんだよ)
「え? 何か言った?」
ユメカが俺を杖に戻しながら訊いてくる。いいや何でもない、と俺はかぶりを振った。
『二人とも集中しなさい。――次は高々度飛行。アリエスは手を離さないよう』
若干怒気の篭った魔女ブリゾの声が無線機に響く。
ユメカは下っ腹に力を入れ、杖の切っ先を太陽の方向へ定めると、後部の十字翼を大きく広げて一気に加速した。
「……っ」
爆発する重力加速度。
俺は四肢に力を入れて杖にしがみつき、襲い来る大気の圧力に耐える。
空が急激に近くなり、やがて雲すら突き抜けると、杖の速度は一息つくように軟化した。
いつもの空より、一段高いその光景。街の屋根や王宮が小さく見えるほどの高度だ。
しばらく絶景に浸っていた俺たちだったが、唐突にユメカが手を伸ばしてきたかと思うと、俺の頬の皮を横に引っ張ってびろーんと伸ばした。
「ほあっ? はにしやはる!」
「コータ、何か悩んでる? 眉間にシワ寄せちゃって、怖い顔してるよ?」
……図星を刺されて、俺はむっつりと押し黙る。
ユメカは一通り俺の頬袋を堪能した後、おもむろに手を放して、まるで誰かさんの真似をするように男っぽい口調で言葉を発した。
「それじゃあ、どうすれば良かったんだよう」
「なっ! ……聞いていたのかよ」
振り返って見上げたユメカの顔は、なんというか、慈愛とか懇篤に満ちた表情で、
「話して楽になることがあるなら、遠慮なく話してほしいな」
臭い台詞を吐いていいなら、青空を背に宙を舞う天使のように見えてしまった。
……いやいやいや。何を言ってるんだ俺。これは夢だぜ、夢に相談なんかできるかっつの。
そもそも、このちょっとした悩みの原因はお前とまったく同じ顔をしたヤツのせいなんだ。当の本人とほとんど同一人物のヤツに悩みを打ち明けるとか、シュールにも程があるだろう。
しかし――ユメカのこの小首を傾げるような仕草は、犯罪的過ぎる。これが数多の男子生徒が勘違いをしてしまった原因だろう。……くそ、俺にその視線を向けるなっつーの。
「べ、別に、大した話じゃないけどよ」
……話すつもりはなかったのに、ツンデレ的なイントロから語り始めてしまう意志の弱い俺。ユメカが聞き上手なのも手伝って、しばらくの間、夕方に蹴りを入れられた出来事を一通り話してしまっていた。まあ一応、相手がゆめかであることは伏せておいたが。
「――ということがあっただけだ。思い返してみると、本当に悩むような話じゃないな」
夢の中で夢の住人に現実世界の話をする――これほど非現実的な話はない。話している途中で自分でも気づいて、ほとほと呆れ返ったほどだ。
だがユメカは最後まで黙って俺の話を聞いた後、うーん、と一声唸ってから顔を上げて、
「それはコータが百パー悪いよ!」
頬を膨らませながら怒られた。
「な、何でだよ。俺はただあの場に居合わせただけで、何も悪いことなんてしてないぞ?」
「それでも、見てたんなら助けて欲しいって思うのが普通だよ」
「そんなことねーよ。あいつは強い奴なんだ。現に一人でどうにかできたわけだし」
「そんなことなくないよ。その子、コータの幼馴染みなんでしょ? 親しい人が近くにいたのに助けてくれなかったなんて、他人が助けてくれなかった以上に傷つくと思う」
「う……」
杖上で迫るユメカの顔は恐ろしいほど真剣で、俺は思わず身を引いてしまうほど。いくつか反論を用意していたはずなのに、それらはあっという間に頭の中から霧散してしまった。
「とにかく、その子を傷つけたのは事実なんだから。今度
「……はい」
反転攻勢を許さぬ決着。これだから女は強い、と今更ながらに思い知らされる。
俺が素直に頷いたことに満足したらしいユメカは、破顔して俺の頭をわしゃわしゃと撫で始めた。
「よしよし、さすがコータ。いい子だね」
「っておい、俺は子犬じぇねえんだぞ。撫でんなっつの!」
「あはは、ゴメンゴメン。そういやS・M・Aの夢の中では、コータは人間なんだっけ」
ユメカの口から現実世界がS・M・Aの見せる夢だと言われると、それはそれで傷つくものがある。
俺は目を三白眼に歪ませつつ、とりあえずの反論を試みた。
「だから、俺にとってはあっちが現実なんだって。……証明はできないけどさ」
「前にもそう言ってたよね。あっちの世界って、こっちの世界より現実感のあるところなの?」
現実感……現実感ね。改めて言われてみると、現実感ってなんだろうな。
経験の蓄積が現実感の正体なのだとしたら、この世界で体験したことだって立派な現実だ。夢と現実に区別する手段がないのなら、どちらが夢だなんて断定することはできないだろう。
それでも、千現坂での生活が夢ではないと確信できる理由は、とどのつまり。
「あっちの世界は、俺が今まで十五年間も生きてきた場所なんだ。家族も友達も、学校もゲームも、いろんな思い出だってあるあの世界のことを、夢だなんて思えるはずがねえんだよ」
結局、これに尽きるんだよな。
何の証明も根拠もないけれど、俺の内側にある様々なモノが、今までの現実を肯定している。これらの形のない記憶こそが、唯一の確かな証拠なんだ。
俺のそんな独白に感じ入ることでもあったのか、突然、ユメカが身を乗り出して訊いてきた。
「学校……? コータ、あっちの世界では学校に通ってるの?」
俺は大きく頷いてやる。
「おうよ。六玖大附属千現坂中学校。ちゃんと人間の通う学校だぜ? 成績はちょっとアレだが」
「学校って、同じ年代の人たちが二、三十人は通っているんでしょ?」
「二、三十人って……千現坂には三百人は通ってるぞ。ウチのクラスだけでも二十五人いるし」
「ええっ、そんなにいるの? へえぇ……」
ユメカが目をキラキラさせながら感心している。
そういや前々から疑問に感じていたことだが、ユメカたちが学校へ通っているところを見たことがないな。
「もしかして……この世界って、学校ないのか?」
「ううん、一応はあるよ? でも特定の職業に就く人が通う修道院がほとんどで、王族の私やソラちゃんたちの勉強は家庭教師が看てくれるから。学校なんて行ったことがないんだ」
……そうか。世界が違えば、文化も違う。俺が当たり前に送ってきた生活は、こちらの世界の住民にとっては未知の経験なのだ。ましてやこいつはお姫様、浮世離れは当然と言えた。
「ねえ、もっといろいろあるんでしょ、コータの生まれた世界の話。私、もっと聞きたいな!」
ユメカは俺を抱え上げ、楽しそうに笑顔を向ける。
へそ曲がりの俺は逆に訝しんで眉を寄せ、
「な、なんだよ急に。第一、俺の世界はS・M・Aの見せる夢なんだろ。実在しない妄想の類の話を聞いて、一体何が面白いってんだ」
「面白いよ。――ううん、ただ面白いだけじゃなくて、その世界に行ってみたいとさえ思う」
清涼な声。俺を見据えるユメカの顔に、揶揄するような素振りは微塵もない。
「コータ、はじめてのナイトメア戦のときにいろいろ言ってたよね。えっと……確か、すたはん? ほらこん? あとあれも覚えてるよ、こーめーそうアルトバイエルン!」
「……アルトランスな」
「そういうのを聞いたときに思ったんだ。コータはいろんなことを知っている。私の知らない世界を知っている。こんな子が私のパートナーなんだって、本当に嬉しく思った」
その曇りのない瞳は、俺の心を射抜くほどに美しくて。
「こんなにいろんなことを経験しているコータが生まれた場所が、ただの夢だなんて思えないんだ。だから私は信じられるよ、その世界が実在することも、コータがそこで作った思い出も」
こいつを一生守ってやりたいとさえ思わせるような、そんな笑顔で俺に微笑んだ。
「だから私、もっとコータのことを知りたい。その夢が、夢でないことを証明するために」
「――はは、何言ってんだよ」
馬鹿じゃねえの。そっちこそ夢の住人のくせしてさ、俺の世界が在ることを信じるだって?
でもまあ……悪くない。
悪くねえよ、ユメミ・ル・ユメカ。
たとえこの世界が現実で、俺の世界が夢だったとしても。
俺はおまえのアリエスであることを、一生の誇りにできるとさえ思っちまったよ。
「――いいだろう。望むなら、俺の世界のすべてを教えてやる。千現坂中購買部の裏メニューからスタハンのオススメ狩場まで、俺の世界が夢でないってことを骨の髄まで教えてやるッ!」
「はいッ! よろしくお願いしますコーチ!」
『あー、ユメカ姫・コータ組。盛り上がっているところ恐縮ですが……』
そのとき、無線機からブリゾの声。
『訓練中であるということをお忘れになりませんように』
……この数十分後、王宮に帰った俺たちはブリゾの説教が意外と粘着質であることを知るのだが、それはまた別の話である。
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