第二章 -3

 ――ぼんやりとした視界の中、誰かが俺に駆け寄ってくる光景が見える。

 その人物は少し乱暴に俺の身体を抱き上げると、その薄紅色の唇を俺の顔に近づけて――、

「……ッ、むほあぁッ!」

 何語だか分からない言語を吐き出しながら、俺は三メートル後方へ飛び退いた。

「ああっ? なんで逃げるの、コータっ?」

 聞き慣れてるのにちょっと違う、でも知っているその声に、俺は反射的に反論した。

「逃げるに決まってんだろ、馬鹿ゆめかっ!」

「えーっ、なんでよぅ」

 ようやく視覚の回復した俺の目の前に立っていたのは、残念そうな顔をした夢見乃夢叶。

 いや……赤いチェックのワンピースに紺青色のジャケットなんて服装は、千現坂の制服とは似ても似つかない恰好だ。かといって現代の流行とも少し違う、どことなくクラシックな出で立ちは、――姿は違えど、あの夢の登場人物を髣髴とさせるに充分で。

 はっとして周囲を見回すと、そこは市街地の大通りのようだった。

 俺は交通を妨げるように道のど真ん中に立っていたようで、背後には無数の馬車が居並び、足元は石畳。通りの両側にはロマネスク建築の建物がひしめくように林立している。

 歩道上ではラフな服装からモーニングまで、様々な恰好で彩られた紳士淑女の一般市民が一様に大通りの向こうの空を凝視しており、俺も彼らの視線の先を目で追うと――、

 よく晴れた空の一角に立ち込めた暗雲の下。

 数十メートル級の塔に巻きついた巨大な黒蛇と、二人の魔法少女が、崩れゆく建物の瓦礫と共に踊っていた。

「ま……またこの夢か!」

「私のこと呼んだ?」

 ひょい、と近づいてきたユメカの無邪気な顔が、非現実な光景を俺の視界から遮る。いや俺は「夢か」と言っただけで「ゆめか」と言ったわけじゃなく、というかお前は確か「ユメミ・ル・ユメカ」とかいう夢見乃夢叶とはまた別の夢の住民であって――あー面倒くさい!

「どうして一度ならず二度までも、同じ夢を見てるんだよ俺はッ?」

 小動物に変わってしまった自分の姿形を見下ろしながら、俺は絶望的に声を荒らげた。

「夢じゃないってば。あ、でも、またコータと会えたのは夢みたいに素敵なことだけどねっ?」

 聞いてもいない感想を喜色満面に言われても、こっちはまったく嬉しくない。

 つーか、どうして連続で同じ夢を見るかなあ。幸太クンは呪われてしまったのか?

「……あれも、ナイトメアなんだよな」

 目の前のユメカから距離を取って、黒く染まった空を仰ぐ。

 ここから二百メートルは離れているだろうか。高層タワーにへばりついた超ド級の巨大蛇は、狂ったように長い尾を振り回し、周囲の建物をことごとく破壊している。

 その大木の幹よりも太い躰を這うようにして接近飛行を続ける青と緑の彗星は、ソラエ、そしてリリンとかいう魔法少女に違いなかった。

「うん……現れたのはあの一匹だけだけど、昨日のナイトメアよりずっと強い」

 ユメカも振り返り、その光景に息を呑む。

 そういや、この夢って昨日のドラゴン戦の続きなんだな。テレビアニメじゃあるまいし、まさか自分の夢に続編があるとは恐れ入る。

「黒い竜の次は黒い大蛇ね……まるでヨルムンガンドだな」

「ヨルムンガンド?」

 ユメカが首を傾げる。このテの物語は夢叶も好きだったはずだが、夢のユメカは違うらしい。

「北欧神話に出てくる、世界を取り囲む巨大蛇だよ。確か最後には地上に現れて、神々と戦うって怪物だ。あいつがヨルムンガンドだとすれば、昨日の竜はファフニールかな」

「へええ……コータって、意外と博識なんだね」

「フッ、伊達にメガテンの悪魔辞典はコンプリートしていないからな」

「じゃあ、その知識と技術を今回も私に貸してねっ!」

 虚を突いたユメカの両手が俺の側頭部を鷲掴みにし、自分の唇へとえらい勢いで引き寄せる。

 間一髪、四本の脚を突っ張ってユメカの顔面を踏みつけると、顔を歪ませたユメカが唸った。

「ぐぬぬ……! だから、なんでブロックするんだってばーっ!」

「するわ! 純情な男子捕まえて強引に唇を奪おうとするなんて、お父さんが見たら泣くぞ?」

「私も魔法少女に変身して、みんなと一緒に戦いたいの! だからちゅーするしかないの!」

「いやその理論はおかしい! 第一、キスしないと変身できないのかよ?」

「うん、必須!」

 顔を踏まれたまま、思いっきりイイ笑顔で返答される。さすがの俺も絶句した。

 その隙を見逃さず、俺の脚のつっかえを押し返して顔面を突き出してくるユメミ・ル・ユメカ。今まさに男(雄)女がキスしようって場面なのに、蜜月の雰囲気は微塵もない。これが色事に見えるヤツは目医者に行ったほうがいい。そんくらい、ユメカの目はマジだった。

「さあちゅーするからね! 暴れるな観念なさい! 大丈夫大丈夫、優しくするからっ!」

「嘘つけハァハァ言ってんじゃん! 俺にもこここ心の準備ってモノが……ちょ、らめえぇ!」

 唇同士があと一センチというその瞬間――、


切断魔法ディバイド!」


 鋭い叫び声と共に、空の向こうから、形容しがたい音が耳を劈いた。

 その音にユメカは振り返り、俺も彼女の頭越しに垣間見る。音源は疑うまでもなく巨大蛇の方向だろう。

 だがそこに映っていた光景は、俺の想像のはるか斜め上をいっていた。

 大木よりも太い蛇の首が、見事なまでに両断されている。

 それを成したのは、青の魔法少女のソラエ……だと思う。

 空中に浮かんだ彼女は、普段はスケボーのように乗りこなしているはずの魔法の杖を手に取って、切断部に振り下ろしていた。

 頭無き躰が痛みにのたうち、その巨体をくねらせソラエに襲いかかる。それを見たソラエは杖を再び大上段に構えて、渾身の力を込めて袈裟に斬った。

 ――これが、本物の「魔法」ってヤツなんだろうな。

 本来は鈍器でしかないはずの、身の丈一・五メートル程度の杖の一振りで。

 身の丈五十メートルはくだらない蛇の巨体が、まるでバターのように斬り捨てられた。

「トドメですわんッ! ――『圧力魔法プレッシャー』ッ!」

 見計らったように現れた黄緑の魔法少女・リリンが、杖の上から閃光を纏った右手を振りかざす。たったそれだけの動作で、蛇の頭は見えない力に押し潰されて爆散した。

 後には、悪夢の姿を失った黒い霧が残るのみ。

 その光景を目の当たりにした観衆から大歓声が上がって、ユメカはがっくりと肩を落とした。

「ふええ……終わっちゃったよう」

 力の抜けたユメカの手からするりと抜けて、俺は石畳に舞い降りる。

 空を仰ぐと、千切れ始めた暗雲の隙間から差し込む光が二人を照らしており、その姿は天使のように神々しかった。

「つっ……強えーじゃん、あの二人……」

「でっ、でも、あたしも一緒に戦えば、もっと早くやっつけられたはずだもん!」

 対抗するように言うユメカ。

 俺は今までの挙動を思い出しながら、正直な感想を口にする。

「いや……ぶっちゃけ、いらなくね?」

「いらないとか言うな!」

「――そうさ。ユメカがいらないなんてコトはない。ただ、出張る必要がなかっただけさ」

 頭上から清涼な声が響いて、俺とユメカは空を見上げる。

 いつの間に飛んできたのか、空中に漂っていたのは今回の主役の青色魔法少女だ。

 空飛ぶ杖に片手でぶら下がり、その肩には鋭い目つきの灰色小動物。

 地面にゆっくりと近づいた彼女は、ぱっと杖から手を放すと、音もなく着地して俺たちに澄んだ目を向けた。

「もー、なんで先にやっつけちゃうの? 私が行くまで待っててって言ったのに!」

 ユメカがぷんすと怒り出す。こいつ、一刻を争う事態にそんなお願いしてやがったのか。

 筋違いな怒りを向けられたソラエだが、余裕の表情を崩さずに軽く笑った。

「はは、悪い。あの程度の相手なら、ユメカの手を借りる必要もないと思ってね。それに――」

「ユメちゃんが戦う必要なんてないんですわン。後方で控えてくれているのが一番なのン」

 新たに降って湧いた、甘ったるい声。

 ソラエを追って飛んできたのは、ブロンドのツインテールを靡かせた黄緑色の魔法少女二号だった。先日と同様に金色の同型種を杖に座らせ、自らも行儀正しく杖に横乗りしている。

 今の言い方が気に食わなくて、俺は思わず声を荒らげた。

「ユメカが後ろで控えてた方がいいって……そりゃどういう意味だよ、緑色」

「みどッ……あ、貴方、ユメちゃんのアリエスにしては、口の訊き方がなっていませんわね。それに、貴方は重大な勘違いをしていますわン。まだ聞いていなかったのかしら?」

「はあ? いったい何を――」

 俺が言い終わる前に、その異変に気が付いた。

 周囲で一部始終を見ていた観衆たちが、一斉に俺たちへ向かって押し寄せてきたのだ。

 最初は本日の主役であるソラエとリリンに感謝の言葉でも贈るのか思ったが、少し違う。

 いや、二人に声を掛ける観衆も少なくなかったが、一番多くの声を集めていたのは、何もしなかったはずのユメカだった。


「ユメカ様! ありがとうございます、また街が救われました!」

「ユメカ王女! それにソラエ様もリリン様も! 魔法少女はこの国の誇りです!」

「ノイアード王国、万歳! ユメカ様、ばんざーいッ!」


 あとは万歳三唱。詰め掛ける人々は後を絶たず、ユメカに握手を求め、口々に持てはやす。

 人々にもみくちゃにされながら、それでもユメカは笑顔を絶やさず握手に応じ続けていた。

 観衆に踏みつぶされる前にソラエに拾い上げてもらっていた俺が、眼下で起こったその光景に目を白黒させていると、同じく空に浮かんでいたリリンが誇らしげな顔で言った。

「ユメミ・ル・ノイアード・ユメカは、この国のお姫様なのよン」

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