第二章 -4

 何処にあるとも知れない何処かの地に、ノイアード王国は存在していた。

 人口は約二十万。二万八〇〇〇ヘクタールという広大な土地を切り開いて建立された王政国家で、数百年という永い歴史を持ちながら、今なお興隆を続ける国として人々に知られていた。


 その繁栄の礎となったこの国の特徴はたった一つ……『魔法』だ。


 科学的に証明されていない、不可視の力――魔法。

 その存在は世界中に認知されども、扱える者は限りなく少なく、魔法使いと呼べる程度の人間が一人いるだけで、その国の文明は百年は早く進むという。そんな希少な魔法使いを多数保有しているのが、ノイアードの強みだった。

 事実、王国の首都である魔法都市ノイアードは、一見すると、現実世界で言うところの十八世紀あたりのヨーロッパを髣髴とさせる街並みであるが、その実は至るところに魔法の力――『魔力』を利用した都市づくりが発展している。

 例えば、生活エネルギー。現実世界なら石炭、ガス、電気といったところがここ百年の主要燃料だろうが、ノイアードではそれが魔力に置き換わっている。

 聞いた話によると、大通りの地下には直径数十メートル級の共同溝が存在しており、そこに電気ケーブルの代わりに魔力ケーブルが埋設されているのだそうだ。

 各家庭、商業、公共施設は、電気の代わりに魔力を配給され、魔法ランプで家に明かりを灯しているのが、この世界――いや、この都市の常識だった。

 では、魔力を作り供給しているのはどこのどいつだ、という話になるが、そこでノイアード王国、さらに絞ればノイアード王宮がその一番手に名乗りを上げることになる。

 王宮内には「魔力廠まりょくしょう」と呼ばれる魔力の維持管理機関が存在し、そこが変電所よろしく都市の魔力配給機能の中核を成しているらしい。王宮に仕官する百近い魔法使いが、日々自然界より抽出した魔力を魔力廠に集め、魔力ケーブルを介して各都市へ供給するという仕組みだ。

 魔力の使用には一定の料金が発生するが、それは税金の代替として徴収されるため国民からの反発は少なく、また振興の手腕も相まって、王宮の評価は圧倒的に高かった。


「その完全無欠の魔法国のお姫サマが、アレってことかよ……」

 澄まし顔のまま広間の中央でたたずむユメカを見ながら、俺はいつもの軽口を叩いてしまう。

 すると隣に立っていた金色の小動物が近づいてきて、自らの口元に右前脚の爪先をくっ付けた。

「しっ、お静かに。公務の最中ですよ」

「ああ、スマン。……おまえ、器用だな」

 ――ここは、ノイアード王宮内にある聖堂だ。

 簡単に言えば教会みたいな建物で、俺たちは無数に並ぶ長椅子の最後列に押しやられている。俺たち、というのは青、灰、金の小動物トリオであり、傍から見ればそこらのノラ犬と大して遜色がないことから、このような場所で隅っこに追いやられるのはむしろ当然かもしれない。

 一方のユメカがいる場所は聖堂の中央で、壇上に立つ人間は彼女の他に従者が数名と、クラシカルな軍服姿の男が三人。いずれもピンと背筋を伸ばし、厳粛な空気に包まれていた。

「では、これより受勲式を執り行う」

 従者の号令を初めとして、式が粛々と進行していく。

 謝辞が終わり、勲章を手渡す場面になったとき、金髪糸目の小動物は振り返って、俺の傍らにいた目つきの悪い灰色獣に声を掛けた。

「あ、ソラエ様が出てきましたよ、ガリク君。軍服姿も恰好いいですね」

「……黙ってろ」

 と目つきの悪い灰色は、そっぽを向いてしまう。見た目に違わず口も悪いらしかった。

 騎士盾を模した勲章を壇外から運んできたのは、男物と思われる軍服を着込んだソラエその人だ。ソラエは勲章の入った賞状盆を恭しく差し出すと、ユメカはその中の一つを取り、

「先の戦いで、よくぞ国民を守ってくれました。これは、その功績を讃える証です」

 そう言って、男の胸に勲章を取り付けた。

「こう見ると、やはりユメカ様は王女なんだと実感しますね。そう思いませんか、コータ君?」

 金毛の言葉に俺は返答できなかった。……いや、別に灰色野郎に倣ったというわけではなく。

 正直言って、ユメカの――夢見乃夢叶のその姿に、見惚れてしまっていた。

 純白のドレスに身を包み、頭に小さな髪飾りを乗せたその姿は、学校で見るゆめかとも、竜を倒した時のユメカとも違う、別の何かのように感じてしまって、言葉で形容できなかった。

 ステンドグラスの淡い光に照らされた、凛とした表情はまるで別人のようだ。

 あんな絶世の美少女が俺にキスをねだっていたなんて、そんなの想像できるかよ?

 いろんな感情が胸中に渦巻いてしまっていて、俺は上手く感想を言うことができなかった。

「やっぱ……ユメカって、本当にこの国のお姫様なんだな……」

「そうですね。まあ、正確にはリリン様もソラエ様も、この国の姫ではありますが」

「え、そうなの?」

 俺が訊くと、金毛の小動物は少し誇らしげに胸を張って頷いた。

「この国は王政ですから、公務を取り仕切る方はみな王族です。リリン・ナ・ウインズレイ・コーノヒー様はウインズレイ伯爵家息女、ソラエ・ド・ルシエ・ファニィ様はルシエ侯爵家のご息女で、いずれもユメカ様の遠縁の従姉妹にあたります。特にウインズレイ家とルシエ家は、代々ノイアード王家を近くで支えてきた間柄……受勲式を取り仕切るのも当然でしょう」

「にしては、おまえのご主人様の姿だけが見えないな。まさかどっかでサボってんじゃ――痛でッッ!」

 その瞬間、空手チョップが俺の頭に叩き落とされて、俺は思わず呻きを漏らした。

「しーっ、お静かに。公務の最中ですわよン」

 振り返ると、そこにいたのはチェックのワンピースにジャケットを着込んだ、金髪ツインテールのお嬢様。

 俺は涙目になりながら、ささやかな抵抗をリリンに示す。

「な……なんでコッチにいやがるんだよ緑色。公務の最中なんだろう?」

「私は当式典の監督兼プロデューサーですのン。監督が作品に出ないのは当然でしょう?」

「……本当の目的は?」

「ユメちゃんの凛々しいドレス姿をこの魔法カメラでバッチシ撮影することですわン!」

 言うが早いか、隠し持っていたハンディカムを取り出して、フンフン言いながら撮影に全精力を傾け始めるリリンお嬢様。ユメカも変わり者だが、コイツも相当変わり者だ……と言うとまた脳天唐竹割りが飛んできそうなので、口には出さなかった。

「お嬢様は昔からユメカ様が大好きですからね。こればかりは仕方ないでしょう」

 くすくすと朗らかに笑う金色小動物。

 俺はため息を一つ吐いて、椅子の上に座り込んだ。

「おまえも色々と大変そうだな、えーっと、確か名前は……」

「アルバトロスです。アルとお呼びください。で、そっちの怖そうなお兄さんが、ガリク君」

 ガリクと呼ばれた灰色に視線を向けると、逆にギロリと睨み返された。うん、確かに怖い。こんなフワモコの姿形でなければカツアゲされてもおかしくなさそうなガンの飛ばし方だった。

「同じ魔法少女のパートナー同士、今後とも仲良くしてください」

「ああ、よろしくな。……約一名、仲良くできそうにない奴がいるみたいだけど」

「ふん……くだらん」

 ガリクは不機嫌そうに吐き捨てて、横を向いてしまう。

 金髪細目で人(獣)柄の良さそうなアルと、暗色無愛想で厳めしいガリクか。姿形は似てるのに、面白いほど両極端な連中だ。

「……あ、式が終わりましたわねン」

 リリンの声に顔を向けると、ちょうど受勲者たちが退場するところだった。

 軍人たちが扉の向こうに消えたのを確認して、ゆめかがこちらへと走り寄ってくる。長いスカートの両端を持ち上げて小走りするさまは、先ほどまでの威厳を払拭するのに十分な可憐さだった。

「コータ、見ててくれた? えへへ、ちょっと恥ずかしかったぁ」

 ほんのりと頬を赤らめてユメカが微笑む。ここで「綺麗だった」とか気の利いたことが言えれば最高なんだろうが、リア充とは程遠い俺の性根ではモゴモゴと口を動かすのが精一杯で、

「ま、まあ……馬子にも衣装ってやつだな」

 そんな捻くれた台詞を吐いたというのに、あろうことかユメカは俺に顔を近づけてきた。

「もう照れちゃってカワイイなあ! 素直じゃないコータも好きだよっ!」

「なっ、だだ誰が照れてなんか……っつーか口近づけんじゃねえ! キス魔か貴様?」

「くうっ、羨ましいですわ……ッ。私だってユメちゃんといっぱいハグりたいのにィ……!」

 横でハンケチを噛む音が聞こえた気がするが今はユメカを押し返すので精一杯だ。

 オマエ羨ましいならコイツ止めてくんねえかなと思ったところで、助け舟が扉を開いて現れた。

「――姫様。そろそろお時間ですよ」

 聖堂の中に歩み出たのは、全身を紺色のローブで包んだ妙齢の女性。頭をすっぽりとフードで覆い、その隙間から抜け出た三つ編みを胸元へと垂らしている。目深に被ったフードのせいで表情は判然としないが、ゆめかはひとまず俺から離れて彼女に向き直った。

「ああ、ブリゾ。ごめんね、待たせちゃったかな」

 ユメカの言葉に「いえ」と短く答えるフードの女性。ブリゾって――ああ、そういや初めてユメカと邂逅した時に同室していたっけな。ユメカの雰囲気とあまりに対照的だったので記憶にも残っている。

 ブリゾは目を伏せつつ、落ち着いた物腰のまま言葉を続けた。

「本日は中庭を貸し切っております。せっかく魔法少女が三人揃ったのですから、編隊飛行と連携訓練をされるのがよろしいかと。――時間は有限です、お急ぎください」

「いいですわね。先の戦闘では暴れ足りないと思っていましたのン。……いらっしゃい、アル」

「はい、お嬢様」

 リリンが颯爽と身を翻して歩き出すと、その後ろを従者のようにアルが付き従う。その様子に一瞬呆気に取られたところに現れたのは、軍服姿のソラエだった。

「私たちも行こうか。ガリク、おいで」

「お、おい。行くってどこへ? 何しにだ?」

 俺がソラエに訊くと、彼女の肩へ一息で飛び乗ったガリク共々「こいつ何言ってんの?」みたいな顔をされる。

 その一瞬の隙に背後から俺を抱きかかえたユメカが、微笑みながら答えた。

「魔法と戦闘の訓練だよ。魔女ブリゾは元魔法少女だからね、魔法の使い方とか、ナイトメアとの基本的な戦い方とかを教えてくれるんだ」

「へえ、魔法少女の訓練か。興味深いな。やっぱそういう日々の積み重ねが――っておいィ?」

 突然近づいてきた唇を咄嗟に前足で突っぱねる。

 そこで、ブリゾが意外な反応を示した。

「なぜ姫様のキスを拒むのです、アリエス=コータ?」

「なぜって、お宅の姫さんの破廉恥な性癖から身を守ろうとしてるんじゃねえか!」

「馬鹿だねえ、コータは。私たちはこれから魔法の訓練をするんだよ?」

 ソラエが話に割り込んでくる。

 短いポニーテールの下に嗜虐的な笑みを浮かべた彼女は、ぴっと一本人差し指を立てて、自分の唇に触れさせた。

「魔法少女に変身しなくちゃ、魔法が使えないじゃない」

「いっ……!」

 ぎょっとして周囲を見る。

 ユメカは元より、ブリゾも「さも当然」と言ったその表情。

 ソラエはガリクを肩に乗せたまま扉に向かって歩き出し、背中越しにひらひらと片手を振った。

「では先に中庭へ行っているよ。なあに、若い二人の邪魔をするほど私らは野暮じゃないさ」

「おいッ、置いていくなよ! おまえユメカのお目付け役じゃねえのかよッ?」

「ご心配なく。ユメカ様の変身は、この魔女ブリゾが責任持って見届けさせていただきます」

「うおおガン見する気か! そういう方向性でお目付けていただきたくない!」

 俺はじたばたと暴れるが、俺の身体をがっちりホールドしたユメカの腕力侮りがたし。そのままぐるりと百八十度回転され、喜色満面の笑顔の前に引き渡されるのだった。

「コホン。ほんじゃあ改めて……いくよコータっ! 魔法少女に変身だよッ☆」

「だからどこの深夜アニメだっつうんだあああ!」

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