第三章 -7

 街は炎に包まれ、祝賀ムードは一転した。

 ナイトメアの出現場所が王宮に近いこともあって、パーティ会場は大混乱に陥っている。

 飛び交う怒号と泣き叫ぶ悲鳴。煌びやかな服が汚れることも厭わずに逃げ出す者や、呆然と立ち尽くす者、もっと安全な場所を探して彷徨う者など、本来のパーティ以上の盛り上がりだ。

 そんな貴族たちの頭上を飛び越えながら、俺とユメカは一直線にナイトメアへと近づいていった。

「しかし、なんつうデカさだよ、ありゃ……!」

 近づくに連れはっきりしてくる敵の巨大さに、俺は思わず感嘆を漏らしてしまう。

 喩えるならば、それはもう一つの山だ。九つの頭はそれ一つ一つが既に周囲の建物に匹敵する大きさで、連結した太く長い首がうねうねと蠢きながら大通りを直進している。生理的に恐怖と嫌悪感を訴えかけるその姿は、まさしく悪夢と呼ぶに相応しい異形だった。

「ヤマタノオロチか……? だけど、あの頭は蛇じゃないよな。となると、あいつは――」

九嬰キュウエイですね』

 ユメカの通信機からブリゾの声が響く。ユメカが小首を傾けた。

「キュウエイ? コータ、知ってる?」

「ええと……確か、中国の神話に出てくる怪物の名前だ。なんでブリゾが知ってるんだよ?」

『ナイトメアに関する文献の中に記述がありました。……中国という地名は知りませんが』

 淡々とした物言いに違和感を覚える。そんな文献が本当にあるのかとか、なぜ中国が「地名」だと分かったのかとか、そもそもここは俺の夢の中のはずなのに、なぜメガテンマスターの俺でさえ思い出せないような怪物の名が出てきたのかとか――胸の奥に広がっていくモヤモヤに思考が支配されそうになるが、目の前に突然現れた龍の頭に俺の思考は吹き飛ばされた。

「ゆっ、ユメカ、近づき過ぎだ! 一度離れろ!」

「そんなこと急に言われてもッ!」

 モタモタしているうちに、首の一つが大きな咢を開けて俺たちに迫る。

 もうすぐで呑み込まれるというところで間に割り込んできたのは、杖を手にしたソラエだった。

切断魔法ディバイド!」

 己の落下も構わずに、ソラエは杖を振り下す。青白い閃光が虚空に一本の線を引いたかと思うと、龍の頭蓋は放物線に従って切断された。

 しかし、敵の首はまだ八つもあるのだ。頭の一つを失ったことに呼応してか、九嬰の残る首たちは我先にと二人の魔法少女に襲いかかる――、

「――止まりなさい、圧力魔法プレッシャーッ!」

 続いて割り込んだのはリリンの魔法だ。

 掲げた手から放たれる黄金の光は、見えない圧力となって周囲のあらゆる物質を押し潰す。光を浴びた八つの首も、その強い負荷に動きを止めた。

「ソラエ、リリちゃん!」

「……まったく無茶をしやがる。俺たちの胃に穴をあける気か?」

 ドスの効いた声で言ったのは、ソラエの肩にしがみ付いた灰色の小動物・ガリクだ。

 ソラエは飛行状態にした杖の上に着地しつつ、ガリクに賛同するように頷いた。

「ユメカ、君は後退するんだ。君の槍の魔法では、この敵を相手にするには分が悪い」

「で、でもッ! 私だって何かの役に……」

「気持ちは嬉しいけど……くうッ! こいつ、今までのナイトメアと違いますわ……ッ!」

 リリンが両手を重ねる。その圧力は道路の石畳を根こそぎ剥がし、沿道の街路樹もたたき折れるほどの威力であるはずだが、その圧倒的な重量ゆえか、八つ首はそれに耐えて留まっている。逆に圧力を与えているはずのリリンの方がじりじりと押し返されてしまうほどだった。

「お嬢様、ご覧ください。刈ったはずの首が……」

 リリンの杖に同乗していたアルの声に、俺たちはソラエが切断したはずの首を見る。

 首の切り口に何処からともなく発生した黒い霧が纏わりついたかと思うと、霧は一瞬にして龍の頭を形成した。どうやら一定時間で首を再生する能力があるらしい。

 それを見たガリクが呟いた。

「まるでトカゲの尻尾だな。頭はいくら潰しても無駄ということか」

「なら躰の方を討たないと、というわけだな。だが……」

 九つの首の接続点――本体と思われる躰の位置は、当然ながら、絡み合った首と言う名の森の奥だ。

 これだけの質量をすべて破壊して、躰に辿り着くのは困難を極める。仮に躰に辿り着けたとしても、再生した首に囲まれて圧死するか、永遠の眠りに落ちるかのどちらかだろう。

「躰を直接攻撃する方法を見つけなければ、僕たちに勝ち目はありません」

「なにか、方法はないのか?」

「あればとっくに実行していますよ」

 俺の問いに、アルは諦観したような表情を見せる。

 しかし、ソラエの瞳は諦めていなかった。

「……しかし、ここを突破されるわけにはいかない。私たちの後ろには王宮があるんだ」

 ソラエは振り返って顔をしかめた。

 大通りのすぐ向こうに見えている宮殿の中では、いまだパーティ出席者である貴族たちの避難が続いているはずだ。貴賓である彼らが傷つけられることだけは、絶対に避けなければならない。重大な外交問題になる可能性がある。

「こいつッ、なんで今回に限って、王宮を目指しているンですのよッ?」

 リリンが一際巨大な光弾をナイトメアに投げつけて、最も近づいていた頭のひとつを爆砕した。しかし、そこに開いた密集の穴は、新たなる首が現れて埋める。いくら殺しても絶えない首の森は、ある種の永久機関を思わせる異様さを感じさせて、俺は身震いした。

「いつもは街を徘徊し、無差別に人を襲うだけのナイトメアが、なぜ今回は王宮を目指すのか……? 理由は分からない。だけど――」

 ソラエは再び杖を手に持つ。

 青く輝く四枚の翼が現れ、杖はその姿を水晶の剣に変えた。

「私たちの家を、――ユメカの居場所を、こいつなんかに食わせてたまるか」

「……ユメちゃんのことを引き合いに出すのは、ルール違反ですわよン」

 リリンも一度その場を後退し、両手に再び光を集め始める。それからソラエに声を掛けた。

「圧力魔法で抑えている間に、すべての首と本体の切断。……これが唯一無二だと思いますわ」

「……だな。少し厳しそうだが、私たちに残された方法はそれしかない」

 そんな短いやり取りで、最終戦術が決まってしまう。

 ユメカが慌てて二人に近づいた。

「わ、私にも何か手伝わせて! 私だって二人と同じ、魔法少女なんだから!」

「ユメカ……、悪いな」

 ソラエがそう呟いたかと思うと――突然、俺とユメカはその場から弾き飛ばされた。

「ひゃああッ!」

 凄まじいスピードで揺れ動く視界。二人の魔法少女からどんどん引き離されていく。リリンの手が小さく光ったのが見えたことから、どうやら圧力魔法で吹き飛ばされたようだった。

「ユメカ、制動ッ! このままじゃ城にぶつかっちまうぞっ!」

 後ろを見れば、そこはもう宮殿をぐるりと囲む城壁の上だ。

 ユメカが力を込めると、杖は思い出したように翼を広げてブレーキを掛ける。砂煙を上げながら城壁の上に着地した俺たちは、元居た場所の空を仰いだ。

 そこには、青と金色の光を放ちながらナイトメアへ吶喊する二人の魔法少女の姿――。

「チッ、やりやがったな二人とも。無理を承知で突貫する気かよ?」

「そんな……! どうしようコータ、私たちも行かなきゃ!」

 ユメカは杖に乗って再び空へ舞い上がろうとするが、俺は杖に乗るための一歩が踏み出せない。……否、足を踏み出すことを躊躇ってしまった。

「コータ、どうしたの? 早く杖に乗ってよ、間に合わなくなる!」

「……駄目だ。それじゃ、俺たちを逃がしたあいつらの行為が無駄になっちまう」

 俺はそう言って、悔しさに唇を噛み締めた。

 二人の言う通り、俺たちは足手まといだ。

 魔法少女になったとは言え、初変身から数日程度。戦闘訓練に費やした時間は明らかに短く、しかもユメカは未だに魔法特性が分からない状態だ。

 唯一使える魔法が「杖を槍に変身させての突撃」では、あの化け物相手には玉砕をするようなもの。だから、二人は俺たちを戦闘の場から引き離したのだろう。

 この国の姫であり、そして大好きな親友であるユメカを護るために。

 畜生……俺がユメカを護るどころか、俺すらもあいつらに護られてんじゃねえかよ……!

「――そんなの、嫌だ!」

 しかし、ユメカはぴしゃりと言い放つ。俺の前に一歩進み出て、杖を握る手に力を込めた。

「私は、護られているばかりが嫌で魔法少女になったの。ここで逃げるわけにはいかないの!」

「だ、だけどさ、槍を作るだけの魔法では……」


? ?」


 その瞬間、ユメカの言葉と、魔力と、そして想いが、握り締めた魔法の杖の形を変えた。

「な……お前、それ……!?」

 俺も驚いて、思わずその変容に目を見開いてしまう。

 始めは、竜を倒した時の騎士槍だった。

 しかし、次に変化した杖の姿はソラエの水晶剣だ。

 それだけではない。

 剣は十字槍に変わり、盾に変わり――果てには大砲へと変化した。

「城門の大砲ならナイトメアを倒せるかな。いや、それよりもっと強力な武器は――」

「ま、待て待てユメカ! どうなってるんだ、これがお前の魔法なのか?」

 しかし、俺の声が聞こえていないのか、ユメカは次々と杖を変貌させていく。

 戦斧、設置砲台、馬車、そして矢倉と――もはや武器とは関係ないものにまで、無差別に造り替えていた。

 まさか……コイツの魔法の正体は、単純に「杖を槍に変える魔法」ではなくて。

 魔法なのか――?

「コータ、教えて!」

 ユメカの鋭い声にはっとする。見上げると、ユメカは真っ直ぐに俺の眼を見つめていた。

「私は何を創れば、あの敵を倒せるの?」

 その言葉に。

 俺は、天啓に似た閃きを想像した。

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