第一章 -1

「――シェイクスピアだあ痛だッ!」

 俺の後頭部を襲った強烈な衝撃に、意識は急速に現実へと浮上した。

 何事かと慌てて首を巡らせると、そこはいつもの教室の風景だ。

 六玖波りくば大学附属千現坂ちげんざか中学校の三年F組。

 四月以降、一度も席替えをしていない俺の机の天板には、窓の外に浮かんだ十月の太陽の光と、新鮮な俺の涎がキラキラと降り注いでいる。

 周囲では俺の顔をチラ見したクラスメイト連中がクスクスと小さな声を零しており、……あー、なるほど。つまりこれはアレだ。俗に言う寝オチってヤツですね俺。

 状況を理解したところで恐る恐る視線を上げると、机の前にはブ厚い本を片手に仁王立ちしている白衣の女傑が。

 女教師は眼鏡の端を押さえつつ、嗜虐的な笑みを浮かべて言った。

「ほほう、私の授業を放り出してまで見る夢がシェイクスピアとはねえ。なかなかに博識じゃあないの。ならこういう言葉は知っているか、那珂湊なかみなと幸太こうた。――『愚かな知恵者になるよりも、利口な馬鹿になりなさい』」

「え、ええと……『快い眠りこそ、自然が与えてくれる優しい看護師だ』なら……」

「『誰の言葉にも耳を傾けろ。そして、誰のためにも口を開くな』」

 俺はもう一撃、ブ厚い本のヘッドアタックを理科教諭から献上賜る。

 その瞬間、教室中にどっと沸き立つ笑い声。

 恥ずかしさに所在無く視線を彷徨わせていると、たまたま右斜め後方三列目の女子と目が合ってしまった。

 そいつは一瞬の交錯の後、まるで呆れたように、ふいっと首を振って視線を逸らしてしまう。

 ……あーあ、また後でグチグチ文句言われるよ。

 そいつの名前は夢見乃夢叶。俺が保育園の頃からのクラスメイトである。


   ◇  ◇


「ってえ……ポンポン叩きすぎなんだよ竜ヶ崎りゅうがさき教子きょうこ……」

 四時間目終了のチャイムと共に、ぐてんと机に突っ伏す俺の頭。前の席の磯原いそはらみのるが、ティヒヒと宇宙生物のような笑い声を上げながら振り返ってきた。

「あれは教子センセでも怒るでしょ。幸太ってば盛大にイビキかいてんだもん」

「え、マジか。そんなに目立ってた俺? まさか、人目もはばからないほど俺の体力が消耗していたとは……」

「あー那珂湊氏、昨夜は大活躍だったですからなぁ。仕方ないでござるよ」

 もう一体、いかにも好物がピザそうな巨漢が近づいてきて声をかけられる。頭を上げた俺はニヤリとしたり顔を貼り付けて、昨夜の成果を語ってやった。

「大したことねえよ。銀装備シルソル揃えただけじゃねえか。やろうと思えば金素材ゴルドも行けたね俺は」

「なんだ二人とも、またネットで徹ゲーしてたの? 飽きないなあ」

「なっ、バカにすんなよ俺の『スタハン』の腕を! 全国ランク何位だと思ってんの?」

「それでも午前四時まで粘ったのは、さすがに頑張り過ぎだと思うなのなの。あふぅ」

 と、わざとらしく欠伸をしてみせるピザ野郎こと友部ともべ芳次よしつぐ

 いやまあ、確かに昨日は少しだけ熱くなり過ぎたと言わざるを得ない。だからさっきみたいな変な夢を見たのかもしれないし。

 だが、こればかりは仕方がない所業なのさ。

 だって俺たちは健全な男子中学生だもの。先月発売したばかりのゲームソフト『モンスターハンティング』が全国ネットランキング機能を備えているのであれば、上位を目指してしまうってのがゲーマーのサガってモノだろう?

 そこらへんを、この磯原稔って生物は理解していない。この教室の窓からも望めるほど立派な高層ビル――この地域最大の携帯電話サービス会社・DOKONOの支店長を親に持つボンボンのくせに、ゲームは一日一時間なんて、男子中学生の風上にも置けない奴なのである。

「こっちは足りない小遣いでやり繰りしてるってのによ、これだから金ボンは……」

「分かった分かった、帰りゲーセン奢るからさ。さっさとお昼食べちゃおうよ」

 と、自分の鞄から弁当箱を取り出して見せる磯原。

 この中学は給食制を取っていない。なので各自用意するか、購買か、隣接の六玖波大学の学生食堂に遠征するしかないのだが――、

「……あ、弁当忘れた」

 不幸は重なっていた。

 なにしてんの、と笑う磯原。友部はちらりと壁掛け時計を見上げて、

「あーあ、出遅れたね那珂湊氏。今頃、下の購買は弁当亡者の戦場と化している気配濃厚」

「あららー、遠征コースへ1名様ごあんないー」

「ちょっ、大学生の中でなんて食えるかよ! くっそ、間に合えよ購買っ!」

 俺は勢い込んで立ち上がると、カール・ルイスもかくやという速度で教室を飛び出した。

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