エピローグ -2
「おっす、今日も元気に理科の授業だ。一時間目から担当が私たァ、君たち運が向いてるな!」
教壇に立った竜ヶ崎教子が最初からフルスロットルだった。
俺は理科の教科書を盾にしつつ、窓の外に広がる青い空をぼうっと眺める。太陽はまだ東の空に上がったばかりである。
――結論から言おう。
今までのことは、全部夢だった。
……いやまあ、当然のことなんだけど。
六玖波市の街は第六天魔王と化したゆめかが破壊する前の状態に、完璧なまでに復元されていた。
否、復元ではなく、巻き戻されたと言った方が正しいか。
この窓の風景から消え去っていたDOKONOビルは元より、消失した様々な建物も、ナイトメアに触れられて昏睡状態に陥っていた人々すらも、今では平然とそこに存在し、街を歩き回っている。そもそも「突発性昏睡病」などという病名自体、誰の記憶にすらも残っていなかった。
俺の携帯電話からは画陸やアルのアドレスが消え、授業前に確認したのだが、竜ヶ崎は俺と夜の教室で話した魔法世界の話を覚えていない。逆に、ほとんど誰にも話したことのないS・M・Aの研究のことを俺が言い当てたので、スパイ疑惑を吹っかけられそうになったほどだ。
つまり、今までの不思議体験のすべてが、なかったことにされている。
その証拠に、全国的な今日の日付は、数週間前の十月上旬。
竜ヶ崎に大学のアンケート集計をさせられた日の翌日にまで、時間は巻き戻されていた。
……と、言うか。
(そもそもあの数週間こそが、昨日一晩のうちに見た夢だったんじゃないか?)
そう思うことすらある。
何しろ魔法という存在自体が突拍子のないもので、俺のような一般的常識人には敷居の高い話なのである。そういうのは東スポかト学会か矢追純一あたりに任せておけばよろしい。俺はいつも通り、ホラコンとスタハンの腕を磨く毎日だけで十分なのだ。
だが、その夢を、単なる夢として処理することだけはできない。
それが、たとえ一晩の夢だったとしても、かけがえのないものだったのは確かなのだ。
あいつの顔を、今でも鮮明に思い出せるのがその答え。
それは形のないものかもしれないけれど、確かに存在したことだけは真実だった。
――ただ、ひとつだけ気になることと言えば。
夢見乃夢叶は、この夢を覚えているのか、ということだ。
あの夢は、ゆめかとS・M・Aが作り上げた幻想である。現時点でゆめかがS・M・Aの研究に参加していることは、竜ヶ崎に先刻確認済みだ。それはつまり、電磁パルスによる無意識の変革が既に始まっている証左であり、俺と同様の夢を見ている可能性は十分考えられる。
ユメミ・ル・ユメカを通して見た魔法世界でのことは元より、ゆめかが暴走してこの世界を壊そうとしたことや、そして、あいつの願望を叶えるために俺がキスを――、
「うおっ、ちょっ、思い出すな俺! あれは夢! 夢です! 夢ですよ?」
突然頭の中に浮かんだ妄想を慌てて掻き消す俺。
正直、今が授業中ということを忘れていた。
「また貴様か那珂湊幸太ああ!」
竜ヶ崎教子が飛んできて、俺の頭に教科書を叩きつける。ああそうか、そういや「昨日」も、居眠りしてて頭はたかれたんだっけ。実日数としては一日も経っていないというのに、なぜだか何もかもが懐かしい。
俺の顔を覗き込んだ竜ヶ崎が、眉根を寄せながら言った。
「……た、叩かれたのに何ニヤニヤしてるんだ那珂湊幸太? うっわ、もしかして、殴っちゃいけないトコ殴っちゃった私?」
「いえ、違います。ちょっとだけ嬉しくて」
ざわ、と教室中で引くようなざわめきが起きる。
後ろの席の百貫デブがぽつりと言った。
「し……真正マゾ、生存確認」
「友部てめえ!」
俺は振り返って叫ぶが、もちろん、本当に怒っているわけではない。
こんな当たり前のやり取りさえも、本当に嬉しいと思えるのだった。
――で、放課後。
六玖波大へ行く途中だったゆめかを廊下の隅で呼び止め、夢の内容について確認したところ、
「……なにそれキモイ」
それが、夢見乃夢叶の第一声だった。
「魔法世界? ナイトメア? ……あんた、また変な深夜アニメの影響受けたんじゃないの?」
「ちげーよ! それに何だ『また』って! 俺はゲーオタだがアニオタじゃないぞ!」
「ゲームもアニメも似たようなもんでしょ」
そう冷たくあしらわれ、俺は唇を噛む。……いやまあ、半分くらい予想通りの反応だけどさ。
ゆめかはあの夢の想像者・創造者であって、観測者ではない。観測した人間は、あくまで俺一人だけなのだ。
現に、ゆめかの同一存在であるユメミ・ル・ユメカは二つの世界の諸問題を認識したが、夢の中で暴走した夢見乃夢叶は、そこまではっきりとした認識を持っていなかったように思える。つまり、同一存在である両者だが、同一人物というわけではないのだ。
もしかしたら魔法世界の夢は見ていたのかもしれないが、覚えていなければ意味はない。
朝起きれば夜の夢の内容を忘れてしまうように、ゆめかの中からその思い出は消失してしまった。何となく淋しい気もするが、それは仕方のないことのように思える。
結局は夢の定義と同じということだ。
視ている人間にしか、夢は認識できない。そこが夢なのか現実なのかは、自分で結論を出すしかないのだ。
俺は、それを現実だと認識した。
ゆめかは、それを夢だと認識した。
それだけの違い。
この世界には何の変化ももたらさない事実だけど、それだけが違いだった。
「大体ねえ、なんでそんなこと私に話すのよ? そんなすぐに冗談だって分かる与太話、私をつかまえてする話じゃないでしょ。それとも何、昨日の竜ヶ崎先生の仕事を途中で投げちゃった当て付けってワケ? そ、そりゃあ、私もあとでちょっと悪かったかなーとか思ったけど……」
ぷいと横を向きつつ、もごもご言う。
普段見せないその仕草に、俺は思わず口に出していた。
「じゃあ、お前がその、俺のことを好きだって言ったことも……」
「は……はああッ? ちょっ、私そんなのいつ言った? 言ってないでしょそんなこと!」
目を見開いてぶんぶん手を振りながら否定する。
その様子に俺は少しだけニヤリとして、
「あれ、そうだっけ?」
「そうよ! だ、大体、私はあんたのことなんてぜんッッぜん好きじゃないし! 好きになる要素一片たりとも存在しないし! かかか仮にそうだとしてもあんたと私がそのああの――」
「夢見乃ー、無理するなー」
竜ヶ崎教子が、俺たちの横を素通りしながら言葉を投げる。
竜ヶ崎は廊下の向こうへ消えてしまったが、ゆめかの耳の赤さは消えるどころかますます赤くなるばかりだった。
「……死ね幸太!」
「うぐおわッ!」
一撃必殺のハイキックを突然食らって、俺はその場にもんどり打って倒れた。
「ぼ、暴力反対! この真正ドS女め、俺を永遠の眠りにつかせる気か?」
「うるさいうるさい、口を慎めッ! もう、あんたなんて一生夢見てればいいのよ!」
そう言い残し、猛ダッシュで逃げ出す夢見乃夢叶。……あー、訂正。こいつツンデレだけどドSじゃないわ。真正Mだわ。
だって、夢見てればいいって台詞は、そういう意味に違いないからな。
そうして、その夜。俺は何十日かぶりの安眠を期待して、ベッドの中で丸まったのだが――。
◇◆◇
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