第一章 -7
いつまでも続くと思われた夜の風景に変化が訪れた。稲妻のような速度で飛ぶ俺たちに並走しながら近づいてくる、二人の女の子が声をかけてきたからだ。
「――驚いた。ユメカが飛んでいるなんて」
最初にそう言ったのは、青いドレスに短めのポニテを後頭部で揺らした精悍な少女。杖には跨らずスケボーのように立ったまま騎乗している。
そのうち足を滑らせて落っこちるんじゃねえか、などと他人事のように心配した彼女の杖の先には、どこかで見たような毛むくじゃら小動物が四つ脚を突っ張っていた。
よく見ればその毛並は灰色だ。俺の灰色バージョンと言ったところか。こちらをジロリと睨んだその顔は、恐ろしく目つきが悪かった。
「じゅあ、その子がユメちゃんのアリエスなのン? うわあ、カーワーイーイ~!」
青い少女とは別の、もうひとりの女の子のほうが、言葉に若干気持ちの悪い語尾を付けながらこちらに接近してくる。こいつもおそらくは魔法少女だろう。
黄緑色のドレスに身を包み、杖には自転車の荷台に乗るみたいに足を揃えて腰かけている。ツインテールにした長い金髪に吊り目がちなその容姿は、ゆめかに負けないほどの美人だ。
彼女の膝にはこれまたどこかで見たような金色の毛むくじゃら小動物が我が物顔で座っており、こちらを漫然と見たその眼は笑っているかのように細かった。
「遅くなってゴメン。それで、ナイトメアは? あと何体残っているの?」
ゆめかがそう訊くと、青い魔法少女が前方を指差す。
指先が示す遥か彼方の上空には密度の濃い暗雲が立ち込め、街には砂煙が舞っていた。夜でもその異様が分かるようだ。
「馬鹿デカいのがあと三体。強そうな奴だ。だが私とリリンの二人でかかれば……」
「私も行く!」
ゆめかがそう断言し、杖の翼をさらに大きく広げる。
青い魔法少女が慌てた声を出した。
「行くって……無茶言うな。君はこれが初戦闘だろう。杖で飛ぶだけでも厳しいはずだ」
「そうですわン、ここは私たちに任せて、ユメちゃんは待機していた方が……」
「嫌だよ! だって、二人は戦うんでしょう?」
黄緑色の差し出した手を振り払って、ゆめかが叫ぶ。その眼にはうっすらと涙が光っていた。
「今まで二人にずっと任せてきたけど、もうイヤなの。魔法少女になれた以上は、私も一緒に戦いたい。私も二人の助けになりたい。そして、この国を、この街を……私の手で、護りたい!」
ゆめかの身体が赤く発光する。なんだよコレ無我の境地か? 突然の状況に俺は少しビビる。
……だけど。
その光は見た目とは違って優しくて、包まれているような温かみを感じたんだ。
本当になんとなくなんだけど、これがゆめかの心の現れなんじゃないかと、そう思った。
「――分かった、ユメカ。君には真ん中のナイトメアの相手をしてもらう」
「えッ!? ちょっと、ソラエ?」
黄緑色が驚愕して青を見る。
ソラエと呼ばれた青の魔法少女は引き締めた表情を前方に向け、
「時間がないんだ、ここで悶着していても仕方ない。私とリリンは両端のナイトメアを速攻で片づけるから、ユメカはそれまで中央の奴の注意をできる範囲でひきつけておく……それでいいね?」
「う……うんッ。ありがとう、ソラエ!」
ぱあっと、花が咲くようなゆめかの笑顔。
それを見た黄緑色は苦虫を噛み潰したような表情を作り、そしてすぐさま決然の表情に変えると、ソラエと同じ前方を睨みつけた。
「まったく……それじゃ一刻の猶予もないですわねン。全力で最速で、左の奴を倒しますッ!」
淡碧の光を発したかと思うと、急速発進によりあっという間に前方へと消え去ってしまう黄緑色の魔法少女。青い奴も俺たちから距離を取ると、杖の十字架に火を点した。
「無理はするなよ。私たちは君のためにここにいるんだ。君がいなくなったら元も子もない」
「大丈夫。……わかってるから」
その返事に満足したのか、ソラエは青い光の尾と共に暗雲の下へ吶喊していった。
ゆめかは一度、自分の頬を両手で叩いて気合を入れ、赤い光を倍加させる。訊くなら今しかないと俺は思った。
「なあ、今の連中も魔法少女なんだよな? 俺の色違いの動物も居たし、もしかして――」
「さあコータ、しっかり掴まってて!」
言うが早いか、いきなりジェットコースターのようにぶっ飛ばすゆめか。
徐行発進一切なしでトップスピードへ到達したゆめかの操縦に、俺は舌をがぶがぶ噛みながら走馬灯を見た。
「お……俺は将来、絶対にお前の運転する車には乗らねえ……ッ!」
「何ブツブツ言ってるの? ほらっ、見えてきたよ、ナイトメアっ!」
その言葉に急かされて、俺は彼女の手の中から空の向こうを仰ぎ見る。
そこは街の工業地区のようだった。
背の高い石造りの煙突がいくつも並び、四、五階建ての重厚な建物が街の大半を占めている。橙色のガス灯の他に、青白い光を放つチューブがいくつかの建物の壁に這っているのが見えるが、あれは一体なんなのだろうか。いずれにしても、上空を覆う厚い雲のせいで、西欧風の街並みが一層不気味に見えることに変わりはない。
そして、不気味の帰結を一手に引き受けているモノが、一つの煙突の上に居座っていた。
それは、一言で形容するならば黒い
否、その説明は的確じゃない。
正しくは竜の姿形をした何かで、本当のところはソレが何なのか分からなかった。
皮膚も、翼も、眼球でさえも、区別なく黒く染まっていたからだ。
口を開いても赤い舌が見えず、ただひたすらに表面が黒で覆われている。スタハンのブラック・ドラゴンだって目と口だけは赤いってのに、こいつはまるで墨で作った石造のようだ。
ただ、その体躯はひたすらに大きい。
周囲の建物と比較すれば、三階建ての工場にも匹敵する。乗っている煙突の方がその自重に崩れそうだ。
そんな規格外の化け物が今、俺たちの前方五百メートルで荒い息を吐いていた。
「あれが、お前らの言う、ナイトメア?」
俺の呟きに、ゆめかが無言を持って答える。見れば、彼女の額には汗が浮かんでいた。
おいおい……本当に、あんなのと戦うのかよ。
こっちはごく一般的な体格をした中学三年生だろうが。
一方、相手は工場と同格のガタイを持った規格外。
こいつが本当に魔法少女だって言うのなら攻撃の魔法が使えるのだろうが、いくら魔法が使えると言ったって、物事には限度があることを本能的に察してしまう。
「……いいや、待てよ。もしかして、体格に比べて圧倒的に弱いとか? それとも、動きが大振りだからチクチク削っていけばいずれは倒せるっていうスタハンの中ボス的な――」
「そう簡単にはいかないよ。下を見て」
ドラゴンから少し離れた街の広場を指差すゆめか。
その光景に、俺は思わず息を呑んだ。
人が倒れている。それも数人じゃない、数十人だ。
広場には巨大な爪痕が無数に刻まれており、元は馬車や大砲だったと思しき中世兵器の残骸が打ち捨てられている。
その中で横たわる彼らはこの国の軍隊だったのだろう、仰々しい甲冑に身を包んだ姿ではあるが、誰一人として目を開けている者は存在していなかった。
「し……死んでる、のか?」
「ううん、眠っているだけだよ。でも、あの人たちはこれから一生目覚めない。……ナイトメアに触れられた人間はね? 今後一生目覚めることはなくて、ずっと悪夢を見続けるの」
だから、
ゆめかのその言葉に、俺は唾をごくりと飲み込んだ。
「そんなことは、絶対に許しちゃいけない。だから私は戦わなくちゃいけないの。この国に住む何千、何万という人々を護るのが、私たち魔法少女の役目だから――」
だから――無茶でも挑むってのか、お前らが。
そんなのおかしいだろ。
いくら魔法が使えても、所詮は単なる中学生だ。
そんな重役は大人や軍隊の仕事じゃないのか。たとえ軍隊で歯が立たなかったとしても……それでもだ。
何千、何万の人民を護るために、一人の女が身を挺して戦わなくちゃならないなんて、そんな世界は狂っている。
――大体、どうなってんだよこの状況は?
目が覚めると見知らぬ場所で、いつの間にか俺の姿は小動物に成り代わり、ゆめかは魔法少女で化け物と戦う宿命を背負っている……なんて、自分で言っててアホらしくなる状況だ。
つーか、まず魔法少女って何だよ。
二次元ならまだしも、現実で魔法少女とかあり得ないにも程があるだろ。むしろ軽く引くわ。ゆめかみたいな堅物がやっているなら尚更だ。
俺の知っているゆめかはこんな軽いノリの奴じゃない。そもそも、俺に対する態度からして違うじゃねえか。
俺のことをゴミムシか何かと勘違いしているはずのコイツが、俺を大事そうに抱きかかえ、あろうことか笑顔を見せてくれるなんて、正直この世の事象とは思えなかった。
結論として――ああ、判るさ。
ここまでやられりゃ誰だって気付く。疑う余地もないだろう。
俺は、夢を見ているんだ。
ゲームのやりすぎか、それとも深夜アニメの影響か。何が原因か分からないが、とにかく。
俺は、この上なく現実感のある非現実な夢を見ているに違いなかった。
こういうのを明晰夢って言うんだよな。夢の中で夢を見ていると分かる感覚。それなのに風の冷たさとか、ゆめかの身体の柔らかさとかを感じられるのだから、夢というヤツは不思議だ。
ったく、なんで夢の中でまでアイツと一緒にいるんだろうな、俺は。
学校でゆめかとあんなやり取りをしたせいだろうか? それが原因だとしたら……クソ、なんとなく面白くない。
それじゃまるで、本当に俺があいつを意識しているみたいじゃねえか。
そう言えば、夢は己の欲望を表すモノであると、どこかで聞いたことがある。潜在的な願望や、無意識の想いが具体的な形となって映し出されるのが「夢」なんだと。
それじゃ、目の前にいるこの「夢見乃夢叶」は、俺が望む「ゆめか像」だってことか?
俺を無視せず邪険にせず、昔みたいな笑顔を見せて、そして魔法少女になるためキスを――、
「うわーっ、ヤベえ! 俺超ヤベえ!」
さっきの決定的瞬間を思い出し、そのあまりの恥ずかしさに、ここがゆめかの腕の中であることも忘れてぶんぶんと手を振ってしまう。
その反動か、ゆめかの身体が大きくグラついた。
「ひゃあッ! ちょっ、コータ、暴れないでってば!」
ゆめかの手が俺を掴んで、もっと胸元へ寄せてくる。俺がズリ落ちないための処置なのだろうが、……ちっくしょう、なかなか育ってるやんけ。夢のクセにやけに幸せな触り心地をしてやがる。
「絶対に落ちないでね? 魔法少女の変身は、アリエスが三十メートル以上離れたら解けちゃうの。変身が解けると魔法の杖も消えちゃうから、私から絶対に離れないでよ!」
「ば、バッカお前、しっかり掴まっちゃっていいのかよ? 俺は健全な男子中学生だぞ?」
「よくわかんないけど、ぎゅっと掴まってて! ナイトメアが来るよ!」
ゆめかの顔が強張る。俺は彼女の指の隙間から、煙突の方角を覗き見る。
いつの間にこれほど近づいていたのだろうか。
空の彼方から現れた俺たちを視認したらしい黒竜は、まるで侵入者を見つけた番犬のように顎を持ち上げ、その大きな口を開くと――、
「危ないッ!」
真っ黒い炎を纏った巨大な溶岩弾が、俺たち目がけて吐き出された。
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