第4章 -10
どれくらい時間が経っただろうか。
有紀乃先輩のまつ毛が小さく震えた。
そして、薄くまぶたが開いた。
「有紀乃先輩!!」
先輩は浅い呼吸を繰り返す。まだ苦しそうだ。
「大丈夫ですか?」
「うん……大丈、夫……」
全然大丈夫そうではなかったけれど。でもきっと、泉の水を飲んだから大丈夫だ。目を覚ましたから大丈夫だ。そう信じたかった。
「在人くん。なんで、御伽屋に戻ってきちゃったの? 戦争なんて、したくない、って言ってたのに……」
「だって! 僕は先輩の役に立ちたいって言ったじゃないですか! 先輩こそ、なんで僕を追い返したんですか?!」
こんな苦しそうな有紀乃先輩に文句を言うべきじゃないかもしれないけど、僕は言わずにいられなかった。
「在人くんは、関係ないじゃない……妖精界の争いとは、なんの関係もないじゃない」
有紀乃は苦しそうに顔をゆがめながらも言葉を続ける。
「そんなことないですよ!!」
僕があまりに有紀乃先輩を揺らすから、禅先輩に首根っこをつかまれ、有紀乃先輩から引き剥がされた。
「関係ないなんて言わないでください! ひどいです! 僕は有紀乃先輩の手助けをしたかったのに! それに御伽屋デパートは父の、多治見堂デパートのライバルです。だから僕にとってもライバルだったんです。だから、全然関係なくなんかないんですよ!」
「そっか……」
笑おうとして、有紀乃先輩は咳き込む。瑛先輩がまだ瓶に残っていた『フェアリー・ウォーター』を飲ませようとしたけれど、有紀乃先輩はうまく飲み込めずに全部吐き出してしまった。
「……ありがとう。一緒にバイトしてくれて、すごく嬉しかったよ」
「先輩! しっかりしてください! 僕、またバイトしますから!」
「うん……ありがと。また、バイトでね……」
「有紀乃先輩! 先輩!!」
有紀乃先輩は再び意識を失った。
「先輩! 死んじゃダメです! 嫌ですよ!」
先輩にしがみつく僕を剥がし、女王さまが言う。
「多治見くん、心配しないで。彼女のことは私が責任を持ってなんとかするわ。大丈夫、彼女は妖精王の娘。そう簡単に死んだりしないから」
「本当ですか?! 絶対ですか?!」
誠子さんがポンポンと僕の肩を叩いた。
「大丈夫よぉ! 有紀乃ちゃんは白雪姫なんだから。ちゃんと呪いは解けたはずよぉ!」
「で、でも……」
僕の目から勝手に涙があふれた。止めようとしても全然止まらなかった。
「僕、有紀乃先輩の呪いのこと、レイちゃんから聞いちゃったんです……だ、だから……呪いは、解けない……僕なんかじゃなく、禅先輩が水を飲ませれば良かったんだ! そうすれば、有紀乃先輩は……」
そのあとは、誰の声も耳に入らなかった。大丈夫、と言われているような気はしたけど、まるで水の中で聞いているようで、全然届かなかった。
意識のないままの有紀乃先輩は、禅先輩に抱えられ、女王とともに妖精界へ戻っていった。もちろん、誠子さんと瑛先輩も。
僕と、なぜかレイちゃんは地上に残った。鏡の精である守衛さんに促され、展望レストランを後にした。
僕たちはその足でそれぞれの服の売り場に連れて行かれ、血で濡れた服と商品を交換してもらった。
レイちゃんとは売り場で別れたあと、従業員出入り口の前でずっと待っていてもアパートに寄ってみても会うことが出来なかった。
レイちゃんは、これからどうするんだろう。
なぜ妖精界へ戻らなかったんだろう。いや、当たり前か。
いくら女王さまが親の仇でないことが分かったとしても、納得はいかないだろう。有紀乃先輩が従姉妹だといっても、あんまり仲良さそうな感じはしないし、有紀乃先輩のそばには女王さまがいる。やりづらいだろうな。
でも、人間界にいたって、彼女はひとりぼっちだ。あの殺風景なアパートにひとりでいて、淋しくないのだろうか。
僕のことも邪魔そうにするけど、やっぱりひとりじゃ淋しいよ。
家に戻って、お風呂に入って血を洗い流して、布団に入って、今日のことをずっと考えていた。
有紀乃先輩は大丈夫だろうか。やっぱりあのまま妖精界についていけばよかったんじゃないだろうか。
そんなことを考えると今夜は眠れそうもない……と思っていたのに、疲れたせいか五分も経たないうちに眠ってしまった。
***
翌日、学校へ行く前に御伽屋デパートへ寄ってみた。まだ開店前だけど、守衛さんがいればきっと中に入れてもらえるだろうと思っていた。
だけど……
御伽屋デパートだったはずの場所に、御伽屋デパートは存在しなかった。
代わりに、安い衣料品のチェーン店があった。それも、まるで今までずっとそこにあるかのように。
どういうことだ?
どっちが現実なんだ?
今? それとも昨日まで?
走ってトラックの搬入口へ回ってみた。けど……
確かに道路があったはずの場所が、ただの空き地になっていたのだ。
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