第4章 -3
僕は逸る心を抑えるように空を見上げた。眩しい街灯に白く染められた夜空には、片手で足りるほどの星しか見えなかった。多治見堂から御伽屋までは駅をはさんで向かい側だから、なにもなければ歩いても十分くらいの距離だ。でも今の時間は、仕事帰りや買い物帰りの人で駅周辺はごった返していて思うように進めない。僕と瑛先輩は、人波をすり抜け、御伽屋へ急いでいた。
駅の構内を通り抜ける頃、レイちゃんからメッセージが届く。
——展望レストランで新商品発表会。私は先に行く。禅は瑛を、瑛は禅を人質に取られている。女王に監視されているから、彼女の言うことにはまともに取り合わないで。でも、これは女王に復讐するチャンス。気をつけて、とにかく早く来て。あなたのことは私とあの人が必ず守るから、心配しないで。
レイちゃんらしい簡潔なメッセージだ。瑛先輩が監視されているということは、このメッセージも誰かに読まれているんじゃないだろうか。そうだとしても、この情報がなければどこへ行けばいいのか分からなかったから助かる。それに『あの人』と書いているということは、きっとその会場に有紀乃先輩もいるはずだ。
僕を守る、だって。情けないな。本当に。
いくら僕が頼りなくても、こんな時くらい守らせてよ。
「怜羅殿からの返事でござるか?」
「あ、はい。そうです。展望レストランで新商品発表会があるそうですね」
展望レストランというのは、御伽屋デパートの九階にある社員食堂の対となる一般客用のレストランだ。一面ガラス張りの壁から見える景色が売りで、複数の有名なお店のメニューを自由に組み合わせることが出来ることもあってこの街ではかなり人気の場所だ。新商品発表会というのがどういう形態なのか想像出来ないけれど、きっとたくさんの人が集まっているのだろう。
「そうでござるよ。展望レストランで新商品発表会。さっき拙者がそう伝えたではござらぬか」
「言ってないですよ! 全然!」
「今ちゃんと場所が分かったんだから、問題ないでござる。男子たるもの細かいことは気にするな、でござるよ!」
「じゃあ女子の瑛先輩は、もうちょっと気にしてください!」
「おぉ! それは由々しき発言! 在人殿は女子に固定観念を押し付けてはいけないのでござるよ!」
「先に押し付けたのは先輩の方ですよ!」
「ややや、そうでござったか。それは失敬!」
なんだかすごく疲れる。御伽屋までたった十数分の道のりなのに、瑛先輩と二人で歩くと何十倍の旅にも感じられた。
でも、なんだろう。瑛先輩はわざと情報を撹乱させようとしているのかと思っていたけど、単純にちょっと抜けてるだけなのかもしれない。
「もういいです。とにかく急ぎましょう!」
「ちょっと待つでござる!」
あとひとつ角を曲がればもう御伽屋デパートの目の前、という所で、瑛先輩がなぜか急に足を止めた。
大通りの一本裏の、駐車場くらいしか無い場所だ。
「こんなところで、なにやってるんですか?! 早く行きましょうよ!」
「拙者、先ほどから在人殿の物言いが気になっていたでござる。ちょっと生意気すぎるのでござるよ!」
「なに言っちゃってんですか?! 僕、別にそんな生意気なこと言って無いですよ? それに、先輩だって急いでるはずじゃないんですか?!」
瑛先輩は首を横にぶんぶん振って動かない。
もう、なんなの? わけが分からないよ!
僕が一人で先に行こうとしたとき、瑛先輩はさらに大きな声で叫んだ。
「だって、在人殿は拙者の人質、女王への献上物なのでござる! あぁ! 在人殿が逃げる! 早く捕まえるでござるよ!!」
そのとき、今まで他に人がいないと思っていた駐車場内に足音が響いた。
「そこか! 秘技! 小麦粉爆弾!!」
先輩は叫びながら足音の方に向かって何かを投げつけた。
次の瞬間、それは何もないはずの空間で弾けて周辺に白い粉が飛び散った。
「え? なに?! 粉塵爆発的なヤツ?!」
もしそうならめちゃめちゃ危険じゃないか!
「ちが〜う!! よく見て! ほら!!」
飛び散った白い粉は人型を描き、空中を漂っている。まるで、透明人間が粉をかぶったかのように。
いや、正に今現実に、目の前に、透明人間が白い粉をかぶって立っていた。
「なにこれ! 誰?!」
もしかして、瑛先輩はこの透明人間をあぶり出すために演技をしたのか?
だとしたらずいぶんわざとらしい演技だったな。
やっぱり、多治見堂の男子トイレで見せた涙は演技じゃない。本気の涙だったんだ。
「こいつは、監視役でござるよ!」
瑛先輩は言い終えるやいなや、トンッと軽やかに飛び上がった。
あっという間に透明人間との間合いを詰め、大きな回し蹴りを二回続けて食らわせる。
女の子とは思えないほど重い打撃の音が響き、透明人間は膝から崩れ転がった。
「在人くん逃げるよ! 早く!!」
「は、はい!!」
「ま、待てぇ!!」
瑛先輩を追いかけ、角を曲がり、御伽屋デパートに向かって走る。
粉まみれの透明人間はよろけながらも、人目もはばからず追いかけてきた。
正面入り口から建物に入るのかと思えば、瑛先輩はまっすぐ従業員出入り口に向かった。
「そっちは無理ですよ! 僕、入れません!」
「いいから走る!!」
「はっ、はいぃ〜!」
先輩は有無を言わせず走る。走る。走る。
陸上選手かと思わせるほどの速さで、僕はどんどん置いていかれた。うわ、ちょっと悔しい。
「おじいちゃ〜ん!!」
瑛先輩が従業員出入り口に向かって叫ぶと、守衛さんが顔を出す。
だ、ダメだよ。僕は絶対入れてもらえない。あの白髪の守衛さんが入れてくれるわけないじゃないか。
しかも、出入り口の両脇には屈強なガードマンが立っているのだ。僕なんか首根っこをつかまれて、放り出されておしまいだ。
やっぱり、正面入り口から入った方が良かったのに。瑛先輩はなにを考えているんだよ。
後ろには透明人間も迫っているというのに!
「早く入れ! 小僧も早く!!」
守衛さんが二人のガードマンたちをさすまたで抑えて僕らを呼ぶ。
なんで?
守衛さんは女王様の家来じゃなかったの?
「おじいちゃんありがと! 在人くんも早く!」
「はい!」
瑛先輩に数秒遅れて僕も従業員出入り口に滑り込む。
それを見届けてから守衛さんも店内に入ってきた。
守衛さんが手を離しても、さすまたはガードマンを壁に押し付けたまま動かなかった。そして、透明人間の侵入も防いでいた。
これが魔法か。
つまり、この白髪の守衛さんも妖精だということだ。
「ずいぶん遅かったな」
「だって、在人くんの足が遅いんだもん!」
細く長く続く通用口を走りながら、瑛先輩と守衛さんが言葉を交わす。
この二人、本当に足が速い。そして全く息を切らさない。
僕はついていくだけで精一杯だ。
「小僧、全力で走ったのか?」
守衛さんが僕に振り向く。
ジロリ、といつものように睨んでくるものの、守衛さんが僕に話しかけてくるなんて、ものすごく不思議な気分だ。
「は、走りました!」
「ふん、まだまだだな。この先は本気で戦わなくてはならないぞ!」
通用口の端にあるエレベーターは、ちょうど地下二階で僕らを待っていた。
僕らは飛び込むように乗り込み、瑛先輩が九階のボタンを押す。
ガタン、と小さく揺れ、エレベーターは展望レストランへ向かって登り始めた。
***
「守衛さんは、味方だったんですか?」
有紀乃先輩に対しては確かに優しかったけれど、守衛さんは女王様の家来なのだと僕は思い込んでいた。
守衛さんは返事の代わりに「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「小僧の味方などではない。私は白雪姫の味方だ」
「白雪……姫?」
いったい、誰の話をしているのだろう。
「ちょっとぉ、気づいてなかったの? 有紀乃ちゃんは白雪姫だよ!」
「えぇ?! 白雪姫ぇ〜?!」
そういえば、隊長を始めドワーフたちはみんな有紀乃先輩のことを『姫さま』って呼んでいたけれど。
人間界に存在するおとぎ話は、その昔本当にあったことだと教えられたけれど。
確かに有紀乃先輩はキレイな人だけれど……
信じられるか、普通?
目の前で喋って、笑って、触れることも出来るその人が、おとぎ話の主人公なんて。
信じられるか? 普通?
無理だよね。
だいたい妖精だっていうことも、嘘だとは思わないまでも、正直なところ現実味に欠ける。
魔法だって、実際この目で見てもマジックかヴァーチャル・リアリティのようにしか思えなかったんだから。
「大丈夫?」
瑛先輩が、下から僕をのぞき込む。
「……ちょっと、混乱してます。でも、大丈夫です。有紀乃先輩が誰だろうと、僕は先輩を助けたい。レイちゃんのことも、なんとかしたいです」
「そっか、そうだよね。普通はビックリするよね」
先輩はしみじみうなずく。
守衛さんはその横で、エレベーターのスピードにイライラしているように現在の階を示す電光掲示板を睨んでいた。
瑛先輩はさらに驚くようなことを口にする。
「混乱ついでに教えてあげると、レイちゃんはシンデレラだから。それに、私とお兄ちゃんはヘンゼルとグレーテルなんだからねっ!」
「シンデレラと、ヘンゼルとグレーテル……」
さらに混乱を極めた僕は、瑛先輩の言葉をおうむ返しに繰り返すことしか出来なかった。
レイちゃんがシンデレラで、禅先輩と瑛先輩はヘンゼルとグレーテル。レイちゃんがシンデレラで、禅先輩と瑛先輩はヘンゼルとグレーテル……
瑛先輩の言葉が脳内でリフレインする。何度目かをすぎ、僕の中にひとつ疑問が生まれた。
「あれ? それじゃあ、瑛先輩たちも妖精なんじゃないですか?」
確かさっき、瑛先輩は自分のことを「ただの人間」だと言っていたはずだ。でも、本当にヘンゼルとグレーテルなら、すでに何百年も生きていることになる。ただの人間に、そんな芸当が出来るわけがない。
「妖精じゃなくて『ただの人間』だって言ったよね」
「でも、人間は何百年も生きられないですよ?」
「まぁ、それはそうなんだけど、私たちが人間なのは本当だよ。妖精界に迷い込んじゃった人間。妖精界にはいろいろ裏技があって、人間の時間を止めることも出来るの」
「それも魔法なんですか?」
「それは企業秘密!」
瑛先輩は人差し指を口に押し当てた。
「有紀乃ちゃんは優しいからさ、女王様に呪いをかけられたとき、私たちを遠ざけようとしたんだよね。そうじゃないと、止まっている私たちの時間が一気に進んじゃう可能性もあったから。でも時間の秘密がバレて、私とお兄ちゃんは有紀乃ちゃんを監視して邪魔をする役目にされちゃった。有紀乃ちゃん一人なら、すごく強いのに。私たちを守るために女王様に敗れて、そのせいで妖精界そのものが消えそうになっちゃってる。だから、在人くん。今度は絶対、有紀乃ちゃんを助けたいの! 協力してよね!」
「はい、もちろんです!」
とはいえ、僕が出来ることなんて本当にあるんだろうか。一抹の不安がよぎるけれど。
「そういえば、瑛先輩。今、普通に喋ってましたね。そっちの方が断然いいですよ!」
「な、なんのことでござるかな?」
瑛先輩はなぜかうろたえてごまかした。僕は普通に喋った方がいいと思うけどなぁ。
でも、恥ずかしがって顔を赤らめる瑛先輩は可愛かった。
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