第4章 -2
「男子たるもの、細かいことは気にしないでござるよ」
瑛先輩は涼しい顔でにこやかに言う。
いやいやいや、むしろ僕より先輩の方こそ気にした方がいいと思うけど。
「瑛先輩、ここにどうやって入ってきたんですか?」
ここは男子トイレ以前に、従業員専用のスペースだ。一般客が入ってきたら、普通はすぐに見つかって追い出されるはず。
「拙者は魔法を使えるのでござるぅ〜!」
ふふん、と自慢げに人差し指をくるくる回してみせる。そうだ、瑛先輩が女王様の手下なのだとすれば、魔法くらい使えて当然だろう。魔法というものがどういうものなのか、いまいちピンとこないのだけれど、おそらく人の心を操ることが出来るのだと思う。
メガネの奥でキラリと光る瞳は双子の禅先輩に似て人懐っこく、とても有紀乃先輩を裏切るような悪者には見えなかった。でも、だからこそ簡単に信用しちゃダメだ。それに、瑛先輩は御伽屋デパートで働いている、いわばライバルなのだから。それにしても、魔法だろうとなんだろうと部外者が簡単に入れてしまうのはやっぱりマズい。それも問題だけど、むしろ今ここで瑛先輩を捕まえれば、女王様に会う口実が出来るんじゃないだろうか。
「なんて、ね。拙者はただの人間でござるよ」
僕の頭でぐるぐる回っているものを読み取ったかのように一歩離れつつ、瑛先輩は不敵に笑う。
「それが証拠に鳩もハートも出せないのでござ〜る!」
バン!
と、指を鉄砲のように伸ばして僕を撃つ真似をした。
「答えになってないです!」
ついイラっとして口調がきつくなってしまう。
でもきっと、瑛先輩はわざとそういう態度を取っているんだろう。
先輩はまた笑った。
「実は、怜羅嬢に頼まれたゆえ、危険を冒してここまで来たのでござる」
「ウソだ。レイちゃんは……」
そんなこと言うはずがない。瑛先輩がカマをかけている可能性がある以上、迂闊なことは口に出来なかった。
「信じられないなら、在人殿のケータイから連絡してみれば良いのでござる。拙者は全然かまわぬでござるよ」
瑛先輩には悪いけど、言われた通りレイちゃんに問い合わせてみる。まだデパートの営業時間だからか、レイちゃんからの反応はなかった。
いつまでも男子トイレにこもっているわけにもいかず、とはいえ瑛先輩を捕まえるのも忍びなくて、僕は作業着を脱いで先輩とともに売り場の方へ出た。あんまりよろしくない、というか全然よろしくないけど、僕らは誰からも注目されずに一瞬で買い物客に紛れることが出来たのだった。多治見堂のセキュリティはいったいどうなってるんだろう。大丈夫なんだろうか。いや、全然大丈夫じゃないよな。でも今は瑛先輩と話をするのが先だ。
「在人殿は優男でござるな」
エスカレーターを下りながら瑛先輩がまた笑う。よく笑う人だ。よく見ると、いや、よく見るまでもなく先輩は整った可愛らしい顔立ちをしていた。有紀乃先輩やレイちゃん、そして先輩の双子の兄である禅先輩が目立つから、かなり大人し目の服を着た瑛先輩が目立たないだけだ。
あれ、ちょっと待って?
「僕、今、全然褒められた感じがしないんですけど?」
「それはもちろん、全然褒めてないでござるよ。だって在人殿は、拙者を捕まえて女王に差し出せば良かったのでござる。それなのに、なにゆえ拙者を逃がそうとするのでござるか?」
そう言って、瑛先輩は僕に向かって両手を差し出した。手を離して振り返るから、先輩はよろけて段を踏み外しそうになる。
「危ない!!」
僕は慌てて手を伸ばし、瑛先輩が落下するのをなんとか防いだ。
瑛先輩は嫌がるでも逃げるでもなく、むしろ僕の腕にしがみつくように力を入れた。
「なにやってるんですか、先輩!! ふざけないでくださいよ!」
前後に人がいなかったから良かったものの、一瞬でも先輩をつかむのが遅れたら一大事だったじゃないか。
瑛先輩は怖かったのか、しがみついたまま体を震わせていた。
「……大丈夫ですか?」
先輩の表情を確かめようと顔を近づけると、有紀乃先輩ともレイちゃんとも違う甘い香りがした。
「……くんは……」
顔を伏せたまま、瑛先輩がつぶやく。
「ふざけてるのはどっちよ! 在人くんが全然動かないから、こんなことになっちゃったんじゃないの! 早くしなきゃ、お兄ちゃんが……お兄ちゃんに有紀乃ちゃんを殺させないで! 早く一緒に来てよぉ!!」
大粒の涙がポロポロと瑛先輩の頬を伝う。
詳しいことは分からないけれど、有紀乃先輩と禅先輩のことを想って流すこの涙は、きっと嘘じゃない。万が一これが演技だとしたら、アカデミー賞主演女優賞ものだ。
いや、嘘でも演技でもかまわない。
僕はたぶん、大きな誤解をしていたんだ。
瑛先輩たちは有紀乃先輩を裏切ったわけじゃない。きっと止むに止まれぬ理由があって女王側につくことになったんだろう。理由は分からない。
けど、そんなことはどうでもいい。
そもそも、女王側についているのかどうかも分からない。もしかしたら樫野兄妹という第三の勢力なのかもしれない。
けど、そんなことはどうでもいい。
どうでもいいんだ。
とにかく御伽屋デパートに行かなくちゃ。
行って店内に入ることが出来るなら、たとえそれが罠でもいい。
このチャンスに賭けるしかないんだ。
僕は瑛先輩の手をチャンスの神様の前髪のようにぎゅっと握りしめて走った。
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