第4章 -4
展望レストランには人があふれていた。これだけの人数がいれば、一度は御伽屋デパートを手酷い形で追い出された僕に気づく人は誰もいないだろう。それは好都合だった。
守衛さんと別れた僕と瑛先輩は、目立たないように壁際を伝いながら、なんとか会場内に潜り込む。
フロアは立食形式なら数百人は入れそうな広さだけれど、芋洗いのような混雑具合だ。テーブルが何個も置かれ、その上にはビールやワイン、オードブル、その他デパートで売られている珍しい食品などが美しく並べられていた。テレビで見るようなプレスリリースとは少し違うみたいだ。なぜならメディアが座る椅子はステージの前に並んでいない。
メディアはもちろんいるけれど、多くの参加者は店子の上層部、営業、それから上得意客のようだった。それは着ているものや会話からなんとなく想像出来る。上得意客にはそれぞれ担当の外商がついて、テーブルの上に並べられた商品や、その他にもカタログなので色々売り込みをしているようだった。子供の頃からよく、多治見堂の外商担当の人が研修も兼ねて僕の家に来ていた。その人たちはたいてい話上手で、まだ幼かった僕にも色々な話を教えてくれた。ほんの少しの仕草や目の動きで、人の考えていることはかなり分かるのだそうだ。見た目は普通でもお金持ちで上質を求める人や、その逆に派手な外見でもケチな人の見分け方なども聞いた。子供の頃は、そんな知識をどこで使うのか疑問だったけれど、今こうして様々な人たちを見ていると、それぞれの思惑が見えてきたりして面白い。面白がっている場合じゃないけれど。
会場の隅まで観察すると、店子の従業員らしき人たちもいる。デパ地下の従業員、ベーカリー・グリムの人たちもいた。白ジャケットのフロア長も。まずい、隠れなくちゃ。
「あ、ちょっと先輩!」
瑛先輩は目を離すと直ぐに、テーブルの上に並べられた高級チョコレートを食べに行ってしまう。みんな遠慮しているのか、それとも食べ飽きているのか、テーブルの上には山ほどチョコレートが乗っていたけれど、瑛先輩は会場中のチョコを食べ尽くすような勢いで口に運んでいた。いくらなんでもそんなことしたら目立ってしまう。僕は「どうどうどう!」と、馬をなだめるように瑛先輩をなだめた。
テレビや雑誌、新聞などのメディアは、会場の内外でインタビューを行っている。
有紀乃先輩はどこにいるんだろうか。女王様は?
僕は辺りを見回す。
有紀乃先輩は見つからない。
そういえば今頃になって気がついたけれど、僕は未だ女王様の姿を見たことがなかった。社長さんなんだから、顔を知らなくても見ればすぐに分かると思ったのに全然分からない。
僕が焦りを感じ始めたころ、スピーカーからマイクのスイッチ入る音が聞こえ、司会の女性の声が響いた。
「皆様、当デパート自慢の品々はお楽しみいただけましたでしょうか? お時間になりましたので、当社代表の平田より新商品発表いたします」
会場中に拍手が鳴り響き、大きなBGMが流れると同時にステージの裏から一人の女性が現れた。
女王様だ。
女王様は僕の両親と大体同じくらいの年齢だろうか。とてもそうは見えないほど若々しくてキレイな人だ、と思った。
顔が整っているだけでなく、背筋がピンと伸びて優雅に歩き、そして凛とした立ち姿が堂々としていて、本当に『女王様』と呼ぶに相応わしい。
僕が初めて女王様を見るのと同様に、周りの人もまるで初めて姿を見たかのようにどよめいていた。
女王様は人間のはずだ。だけど、妖精の魔力を手に入れたせいなのか光り輝いて見える。その神々しさはあのキレイな有紀乃先輩が色褪せてしまいそうなくらいだ。
でも……
女王様が年齢を感じさせない美しさをアピールしていると同時に、なんだかとても無理をしているような、言うならば若作りをしているような、そんな風にも感じられた。それに、なんだか心を閉ざしているような、かたい表情だ。緊張とも少し違うような気がする。
他の人は気にしていないようだけれど。
ステージの真ん中に立った女王様は、焦らすように何も言わず、ただ微笑みながら会場内を見渡した。場内の人々は目が合った瞬間に心を奪われていた。
魔法だ。
あの、瞳の中に星のような光を煌めかせ、見る者の心を操る力だ。
僕は目を合わせないように、でも悟られないように、ほんの少しだけ視線をそらす。
隣に立っている瑛先輩は……まさに心を奪われていた。
「皆様、本日はお忙しい中、我が社の新商品発表会にお越しくださいまして、誠にありがとうございます」
落ち着いた声は、瞳の魔法以上に威力を発揮し、会場中からため息がこぼれた。
これもきっと魔法なんだ。これ以上聞くと、僕の心も持っていかれそうだ。でも、耳をふさいだら目立ってしまう。僕は素数を数えて心を落ち着けようとした。けど、文系の僕は二桁の前半で早々にギブアップした。
「本日ご紹介する商品はこちらです」
女王様の合図で布を被せられたワゴンが運び込まれ、ステージの背部に設置されたスクリーンに手の込んだ映像が映し出された。
——企画より五年。開発期間三年を費やして完成しました。
ナレーションで人々の期待を煽り、長いドラムロールが流れたあと、ワゴンに掛けられた布がサッと取り去られた。
「フェアリー・ウォーターです!」
再び拍手が鳴り響く。
ワゴンから女王様が手に取ったのは、ガラスのような透明な素材で出来たリンゴの形の瓶だった。それは片手のひらに収まるほどの小ぶりな瓶で、上部に生えた小さな葉っぱが蓋になっている。中には薄いピンク色の液体が入っていて、スポットライト浴びてキラキラと輝いていた。
「……な〜にが開発期間三年よ。妖精王の泉の水に色をつけて瓶詰めしただけじゃないの」
魅了されてうっとりしていたはずの瑛先輩が吐き捨てるように言う。
「先輩、魔法にかかってたんじゃないんですか?」
「かかるわけないでしょ、どれだけ女王の手下をやってたと思ってるのよ……でござる!」
「もういいですよ、別にそんな変なキャラ作りしなくても」
「変な、とは失敬でござるな!」
「あ、ちょっと、シー!!」
だんだん声が大きくなる瑛先輩の口を塞いで、僕は再び女王様の方を見た。人垣に隠れていたおかげで、なんとか気づかれずに済んだようだ。
女王様は言葉を続ける。
「こちらは、肌に有効な独自の成分をふんだんに配合した特別な化粧水です。お肌につけるだけで奥まで浸透して、ハリのある状態を保ってくれます。私も毎日使っていますので、ご覧ください」
ワゴンの上には化粧水の他にもマイクロスコープが置かれていて、女王様はカメラを自分の肌に当て、そのキメの細かさをスクリーンに映した。
僕は人の肌なんてじっくり見たことがないから、それがどれほどのものなのかは判断出来ない。けれど、特に女性の悲鳴にも似た歓声が上がるのを聞くと、どうやらすごい効果みたいだ。
「確かに効果はあるでしょうね。でも、水そのものを売り出したら、妖精王の泉が本当に枯れちゃうじゃないの……」
瑛先輩は握り拳に力を入れる。
有紀乃先輩は、たしか特製ロールパンひとつで妖精の森の木一本分の水が使われている、と言っていた。あの瓶一本で、いったい何本の木を消費する気だろう。
なにも知らない人々は、女王様に賞賛の拍手を送る。
商品紹介の後は質疑応答が行われ、化粧水が一本約一ヶ月分だとか、値段は約二万円だとか、当面は御伽屋デパートのプレミアム会員のみの販売で、未入会の人のための仮登録が行われる、などということを言っていた。
僕は瑛先輩が怒りを抑えられずに暴走しないよう抑えながら、レイちゃんや有紀乃先輩、そして禅先輩の姿を探していた。
「瑛先輩、新商品発表会ってこれで終わりなんですか?」
「知らないわよ! どうでもいいけど、この手を離してくれない?」
「ダメですよ。離したら暴れそうですもん。有紀乃先輩や禅先輩が見つからないのに騒ぎを起こしても意味ないじゃないですか。せめてレイちゃんを見つけて合流しなきゃ」
「早く連絡してみてよ!」
「それが、さっきから何度もメッセージを送っているんですけど、全然返事が来ないんです」
そう、何度もレイちゃんを呼んでいるのに、レイちゃんは全く反応してくれない。
そうこうしているうちに質疑応答の時間が終わってしまった。
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