第1章 -9

 もったいない。


 まだほんのりと温かさを残しているパン。焼きたてのものも、そうじゃないものも。パンには消費期限がある。明日はまた、焼きたてのパンを棚に並べなくてはならない。


「ジミーくん、残ったパンを持ってきてくれる?」


 レジの中にいたパートさんが僕を呼ぶ。他のパートさんは指示されるまでもなく、パンを集める人、空いたトレーを集める人、棚を掃除する人、と割り振られた仕事をこなしている。


「これ、どうするんですか?」


 集められたパンは、開店時と同じように手際よく袋に詰められ、ベーカリー・グリム特製の紙袋に入れられた。紙袋のもち手にはさらに、御伽屋デパートの文字が刻まれたセロハンテープがくるりと巻かれる。お客さんはもういない。なのに。


「これを隣とその隣のお店に持っていってくれる?」

「え? はい?」

「いいから、持ってって」


 僕が理解できずに社員さんの方を見ると、社員さんは目を合わせないように顔を背けた。

 なるほど、そういうことか。

 このまま放っておけば廃棄されるだけのパン。それなら誰かにもらってもらった方がいいかもしれない。だけど、こんなことしていいのだろうか。


「もしかして、イイコトって、これのことですか?」

「そうよ。ホントはいけないことなんだけどね。本当は、売れ残ったものは全部廃棄しないといけないの。でも、もったいないでしょ。とにかく行って渡してきてよ」

「……はい」


 やっぱりいけないことなんだ。だけど、社員さんも黙認しているらしい。だって、せっかく焼いたパンが焼きたてのまま廃棄されるんじゃ、やりきれないだろう。僕は言われた通りに隣の店舗、お弁当屋さんにパンを持っていく。そういえば、ガラスの壁で仕切られた隣の店の人とは今日一度も会話していなかった。


「お疲れさまです。あの、これどうぞ」

「お疲れさま、ありがとうね。お兄ちゃん、今日からなんだって?」

「あ、えぇと。今日初めてです」


 明日からも続けるとは決まっていない。僕は嘘がつけなくてごまかした。


「よろしくね。お兄ちゃんみたいな可愛い子が近くにいると張り合いがあってい

いわ。はい、これ。お兄ちゃんだけにあげるから、みんなには内緒で食べて。あと、これはウチのお店から。みんなで分けてね」


 パンの代わりに、お弁当屋さんのお弁当を手渡される。


「ありがとうございます」


 閉店作業をしながらなので長居は無用だ。僕は次の店に向かう。お弁当屋さんの隣はお惣菜屋さんだった。


「レイちゃ……さん。お疲れさまです」

「……」


 レイちゃんは僕を無視して片付けを続ける。お惣菜屋さんは冷蔵ケースが二台並んでいるだけで、それもほぼ片付いているから、少しくらい反応する余裕はあると思うんだけどな。困って店の前に立っていると、僕に気がついた別のパートさんが中から慌てたようにやってきた。


「あら、ベーカリー・グリムの新しい子ね。ホントにカッコイイじゃないの。お疲れさま。これ家で食べて。あとこれはみなさんに。フロア長が来ないうちに、ね」

「ありがとうございます」


 フロア長に見つかってはいけない、ということは、やっぱり閉店後に商品の物々交換をするのは禁止されているのだろう。だけど、ベーカリー・グリムだけじゃなく他の店でも在庫が残らざるを得ない状況になっているのだろう。売れ残るとわかっていて毎日商品を用意しなければいけないなんて、僕ならやりきれない。待って、もしかして、父のデパート多治見堂でも同じようなことが行われているんだろうか。今まで考えたこともなかった考えに至って、僕は憂鬱な気分になった。

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