第1章 -8

 閉店までの残り時間は、行楽帰り夕飯を買いに来たといった風なお客さんが増えたものの、特製ロールパンの販売時間と比べたら余裕で仕事をこなすことができた。そもそも、夕飯にパンを買う人はそんなにいない。少しずつ空になっていくトレーが達成感を与えてくれて嬉しい。と、思っていたのだけど。


「パン焼けたわよ」

「え? もうすぐ終わりですよね?」


 閉店前一時間を切ったというのに、焼きたてパンが窯から出された。他の店と違ってパン屋にお客さんは少ないのに、どうして今頃パンを焼くのか。僕は不思議で仕方がなかった。


「まだよ、閉店の一時間に売り物がなくなったら怒られちゃうでしょ」

「誰にですか?」


 パートさんが「しぃ!」っと指を立て、ちらりと目線を動かす。その先には白いジャケットの男性が歩いているのが見えた。白いジャケット。街では絶対見かけないそのスタイル。胸には御伽屋デパートの紋章とネームプレートを付けている。つまりはデパートの従業員、それも地下食料品売り場の担当社員ということだ。デパートの中に入っている様々な店舗、店子とは違う、デパート直属の社員だ。その社員が、各店舗に目を光らせながら見回っていた。確かに、デパートとしては閉店ギリギリまで商品が並んでいた方がいいかもしれない。だけど、パンは日配品だ。売れ残っても次の日にまた販売できる洋服などとは違う。売れ残るのがわかっているのにパンを焼かなければいけないなんて……


「いつもこの時間、フロア長が見回りに来るのよ。普段はうまく売り切れるように調整してるんだけどね。今日はジミーくんが頑張って売ってくれたから、ちょっと足りなくなっちゃったのよねぇ」


 パートさんは笑っているけど、少しだけ悲しそうな顔にも見えた。


「あとちょっと頑張ったら、イイコトあるから。もう少しだけよろしくね、ジミーくん」

「は、はい。僕でお役に立てるなら!」


 しまった。またつい言ってしまった。僕みたいな新米がお役に立てることなんて、あるはずないじゃないか。せいぜい邪魔にならないように隅っこに立つくらいだ。

 有紀乃先輩だけじゃなく、パートさんまで「イイコトがある」か。イイコトって、いったいなんなんだろう。もしかして、僕がデパート好きなことに気がついたんだろうか。それはつまり、僕が多治見堂の息子だということもバレている?

 もしかして、人質として拉致されて地下牢にでも繋が……いやいやいや、そんな時代錯誤なことしなくても、多治見堂は御伽屋の脅威になりえない。だったら、その理由はなんだろう。僕の想像力を超えている。


——本日は御伽屋デパートにお越しいただきまして、誠にありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。


 蛍の光をBGMに、店内アナウンスが流れる。閉店三十分前から行われたタイムセールの健闘むなしく、最後に焼いたパンは半分ほど売れ残ってしまっていた。

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