第2章 -5

 何かにくすぐられた気がして目を開けると、黒く長い髪が風に揺られて僕の手に触れていた。

 いつの間にか僕は眠っていたらしい。起き上がると、有紀乃先輩がお茶を用意してくれた。先週と同じものだというけれど、前よりもいい香りがして砂糖が入っているんじゃないかと思うほど甘い。


「こないだは井戸の水だったけど、今日は湧き水を汲んできてもらったの。疲れが取れるでしょ?」


 有紀乃先輩が微笑む。

 確かに、この甘さはしごかれて疲労した体に染み込んでいくようだった。それだけじゃない。柔らかい日差しも、澄んだ青い空も、木々の間をそよぐ風もみんな、今まで感じたことのないような心地良さで僕を癒してくれるようだった。

 この世界に比べたら、今まで平和で幸せだと感じていた現実が色褪せて見える。それなのに、美しい世界で戦争が起こるなんて、まったく想像もつかない。


「いい世界ですね。みんないい人だし。それなのに、なんで妖精同士が戦わないといけないんですか?」

「妖精界にも色々あるんだよ。この世界だって平和じゃないの。いい人ばっかりじゃないし、人間界と同じだよ」

「そうかなぁ。だけど、争いのきっかけは人間なんですよね? 人間が悪いなら、妖精同士で協力して追い出せばいいんじゃないですか?」

「そう簡単にはいかないよ。妖精界だって、みんながみんな仲いいわけじゃないもの。それに、泉の水に強い力があることを女王来て初めて知った者もいるの。そういう精霊は、妖精王のことを泉を独り占めする悪だと思ってる。女王は、水を欲しがる精霊たちを集めて味方にしてるんだよ」

「強い力、ですか……一体どんな力があるんですか?」


 当ててみて、と言われて考えてみたけれど、僕には答えが出せなかった。


「一言で言うとね、泉の水を飲むと自分の望む姿になれるの。例えば、在人くんが「象になりたい」って願ったら、象になることが出来るんだよ」

「ほ、ホントですか?」


 象になりたいと思ったことは一度もないけれど、もし本当に願いが叶うならすごい。

 それなら……そうだ。僕はあることを思いついた。


「それじゃあ「透明人間になりたい」って思ったら、本当に透明人間になれるんですか?」

「透明人間? なにそれ。在人くん、透明人間になりたいの?」

「あ、いや、そういうわけじゃないんですけど」


 しまった。例えが微妙すぎた。


「あ〜、分かった! 在人くんが透明人間になってやりたいコト。そっか〜、在人くんも男の子だねぇ。うんうん」

「待って、先輩! 違うんです!」


 ホントに違う、っていうか、有紀乃先輩には変な想像して欲しくないです〜!


「じゃあ、どういうことなの?」

「例えば僕が透明人間になれたら、お城に忍び込んで女王様に直接会います。人間同士ならきっと話せば分かると思うんですよ」

「そんな簡単に出来ることなら、とっくに解決してたよ」


 先輩が拗ねたように言う。いつも勝気だからすごく新鮮だ。


「先輩は、女王ときちんと話し合ったんですか?」

「それは……無理だよ」

「やってみなきゃ分からないじゃないですか。そうだ、別に透明人間にならなくても僕ならただの人間だし、迷ったことにしてお城に行けばきっと女王様に会ってもらえますよ。僕、行ってきます!」

「ちょっと、在人くん?」


 そうだ、そうだよ。なにも戦争なんかしなくたっていいじゃないか。

 善は急げと僕は駆け出した。どうやら有紀乃先輩もドワーフたちも僕が本気だとは思わなかったらしく、呆気にとられた様子で呆然と僕を見送っていた。


「僕、お役に立ちますよ!」


 有紀乃先輩に向かって叫び、僕は妖精王の城へと向かった。

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