第1章 -11
少しずつ目が慣れるのと同時に道も明るくなってきた。明るくなるにつれ周りが見えてくる。階段を降りたところにあった扉の中は、幅は狭いものの天井は思ったより高かった。そして、周りにはところどころに光る苔のようなものが生えていて、どことなく土くさい。まるで洞窟だ。僕らはデパートの中に戻ったはずじゃなかったのだろうか。
「もう少しだよ」
有紀乃先輩は僕の不安をぬぐうように告げる。ほどなくして一気に明るくなり、洞窟を抜けた。
「ここ、どこですか?」
デパートの閉店時間は夜の八時、片付けが終わったのがその三十分後くらいのはずだ。それなのに、洞窟の向こう側は、真昼のように明るい森の中の小さな広場だった。そよ風が木々の間を通りぬけ、針葉樹のいい匂いがする。小鳥がさえずる茂みの奥には小さな丸太小屋が見えた。
「ここが私の家だよ」
有紀乃先輩が丸太小屋を指差す。それはまるで素人が作ったような今にも崩れそうな小屋で、有紀乃先輩が住んでいる家とはとても思えなかった。
「先輩の、家?」
「そう、私の家。みんな、ただいま!」
有紀乃先輩の声に呼応して小屋の扉が開く。
「初めまして! 僕は、先輩の大学の後輩で、多治……じゃなくて治見……え? あ、あの、先輩のご家族、ですか?」
丸太小屋から出てきたのは、先輩とは似ても似つかない人たちだった。筋肉が盛り上がって強そうな、だけど身長が先輩の半分くらいしかない髭モジャの男性がぞろぞろと七人も現れたんだから。彼らは僕を品定めするように、鋭い目でギロリとにらんできてちょっと、いや、かなり怖い。
「家族というか、私の仲間だよ。彼らはドワーフなの」
「ドワーフ……って、確か小人のことですよね?」
「そうそう、人間の世界では小人って呼ばれてるんだよね」
「人間の世界では、っていうのはどういうことですか?」
先輩がくすくす笑う。
「在人くんって、やっぱり面白いね。なにも疑わずにバイトして、ここまでついてきて、私の話をちゃんと聞いてくれるんだもん。あのね、ここは妖精界、人間界とは別の世界なんだよ」
「よ、妖精界?」
妖精界? どういうこと? 僕は今、夢を見ているのだろうか。
有紀乃先輩は嘘をついているとはとても思えない、まっすぐな瞳で僕を見つめている。
「そう、妖精界。私は妖精なの」
先輩の笑顔はキラキラと輝いて、妖精だと言われたら信じてしまいそうなほどキレイだった。なにを言っているのかわからないかもしれないけど僕もよくわかっていない。ただ、唖然とする僕の視界を遮るようにフレームインしてきた小人は、どこをどう頑張ってもやっぱり小人にしか見えなくて、ここは確かに妖精の世界としか言いようがなかった。
「のう、姫様。こいつが新しい王子なのか?」
小人の一人が険しい顔で有紀乃先輩に訊ねた。小声のつもりみたいだけど丸聞こえだ。
姫様? 有紀乃先輩のことなのかな。
そういえば、昨日禅先輩も有紀乃先輩のことを「姫」って呼んでいた気がする。
王子っていうのは、まさか、僕のことじゃないよね。ははは、まさか。
「ちょっと待ってよ、私は姫様じゃないって言ったでしょ! それに、在人くんはアルバイトに来てくれただけなんだから!」
有紀乃先輩が珍しく慌てたように否定する。デスヨネー。小人たちは納得がいかない様子でそれぞれ「なぜじゃ」「話が違う」と騒いでいたけれど、先輩に見つめられてすぐにおとなしくなった。やっぱり僕のことじゃなかったのか、なんて。僕は当たり前なのにほんのちょっとだけがっかりしていた。
小人たちと話を終えた有紀乃先輩が僕に向き直る。
「在人くん、今日あの店で働いてどうだった?」
「正直疲れました。だけど、パンが美味しいし、お客さんの嬉しそうな顔を見るとこっちも嬉しくなって、すごく楽しかったです。でも……」
パンの袋を持った手に自然と力がこもった。こんなに美味しいパンなのに、売れ残ったら捨てなきゃいけないなんて。売れ残るとわかっていても焼かなきゃいけない時があるなんて。もったいない。だけど、そんなこと有紀乃先輩に言っても仕方ない。
「でも、もったいないよね、このパン。だから、私たちが責任持って美味しく頂くわけ」
有紀乃先輩はにっこりして、テーブルの上の大きな皿にザラザラとパンを注いだ。そのパンは奪い合うように小人たちの口に入り、絶対食べきれないと思っていたのにあっという間に減っていった。
「在人くんも食べる? お腹減ったでしょ?」
「あ、いえ、大丈夫です。ずっとパンを見てたんで、あんまりお腹減ってないです」
この言葉は嘘でなく、空腹よりも疲労の方が優っていた。それなら、と有紀乃先輩は外で紅茶を淹れてくれた。
小屋の外では蝶が舞い、小鳥の鳴き声が聞こえてくる。木の匂いも柔らかく暖かい日差しも、僕でも知っているような普通の森だ。
なにもおかしくはない。さっきまで僕らがいた場所が夜のデパートだった、ということを除けば。
「ここでのことは、みんなに秘密にしてね。お願い」
有紀乃先輩が夜のような瞳で僕を見つめる。まばたきをするたびに星が輝いて見える。
「はい、絶対誰にも言いません」
お願いなんかされなくても、僕は誰にも打ち明けるつもりはなかった。もしも誰かに話したところで、馬鹿にされるのがオチだ。それに、自分自身でもまだ信じられない。目の前に広がる世界はどう見たって本物で、けれど、まるで精巧なホログラムのようにも感じられる。周りの森だって、手前だけ本物で奥の方は映像かもしれない。それに、有紀乃先輩はどこからどう見ても人間だ。キレイすぎて、妖精だと言われれば信じてしまいそうだけど、透けているわけでも空を飛んでいるわけでもない。この科学の発達した時代に、妖精を心から信じるのは難しかった。
「在人くん、いい人だね」
それは良い意味に受け取っていいのだろうか。僕が黙っていると、有紀乃先輩は言葉を続けた。
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