第1章 -6

 昼の十二時を過ぎてからのデパ地下は、本当に戦場にいるようだった。

 テレビの影響で、特製ロールパンは僕の想像をはるかに超えたお客さんを集めていていた。店内の、一階へと続く階段の前に特設売り場が設けられ、階段には一列にお客さんが並んで順番を待っている。僕は並んでいるお客さんにパンの数だけ用意されたプラスチックの券を配る係になった。


「お一人様五つまでです」


 ほとんどのお客さんが最大数のロールパンを希望する。一度に二百個しか焼けないパンだから、ほぼ四十人しか買えない計算だ。それなのに、列に並んだ人の数は百人以上にも見える。パンと引き換えの券は僕の手からどんどん減っていくけれど、列の人数はどんどん増えていくみたいだ。十三時、十五時、十七時の三回販売されるロールパンは、今並んでいる人だけで全部売れてしまいそうな勢いだった。


「すみません! 今日のロールパン引き換え券はこれで終了です!」


 引換券を配り終わって地下の売り場に戻ってくると、すでに特製ロールパンの販売が始まっていた。引換券があるというのに、行列に並んだ人は待ちきれない様子で特設売り場の小さなテーブルをギュウギュウと押し合っている。僕は引換券を配る係からテーブルをおさえる係に変更となり、お客さんに「すぐにお渡しできますから、押さないでください!」と呼びかけた。

 有紀乃さんはいつもなら僕がやっている仕事の係だったらしい。週に一度とはいえ、こんな大変な仕事をしていたなんてすごい大変だ。


「みんな、いつもより大人しかったわよ。ジミーくんが可愛いからね」

「え? そうなんですか?」


 三度目のロールパン販売がようやく終了して特設売り場を片付けている時にパートさんが教えてくれた。どっと疲れが出たけれど、それ以上に「売り切った」という達成感を僕は感じていた。


「今まで有紀乃ちゃんがジミーくんみたいに引換券を配ってた時は、結構文句言われてたのよぉ。だけど、今日のお客さんたちは顔が全然違ったわよ。有紀乃ちゃんだってあんなに可愛い顔してるのにねぇ」


 今回はたまたまおとなしいお客さんが多かっただけかもしれない。とにかく、トラブルなく販売終了してくれてよかった。僕は安堵のため息をつく。物を売るっていうことは大変なんだなぁ、なんて改めて実感していた。


「きっと僕は運がよかったんですね。今日はいい経験ができて、本当に勉強になりました」


 この経験は大学での勉強にも役立つだろう。そしてゆくゆくは、父の店『多治見堂』の助けにもなるかもしれない。それを、最大のライバルであるこの『御伽屋』で学んでいるというのは、問題大アリな気もするけれど。


「ちょっとちょっと、なに言ってるの。仕事はまだ終わりじゃないからね。これから閉店までまだあるんだから、少し休憩してきたら? ほら、これあげるから」


 閉店は午後八時。確かにまだ閉店まで時間がある。というか、僕はいつの間に閉店まで仕事をすることになっていたんだろう。足がくたくただ。とにかく、休んでいいというならしっかり休もう。僕は急いで休憩に向かった。

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