第1章 -5
社員食堂は、デパート全体の従業員さんが利用するだけあってかなり広い。デパートのどこにこんな場所があるのか、お客として店内を歩いているだけではまったく気づかなかったけれど、一面ガラス張りの壁から見える景色はきっとお客さんがレストランで見る景色より壮大だと思う。あまりにも見えすぎて怖いくらいだ。
僕は窓際のテーブルに座って、他の人たちを眺めながらサンドウィッチをつまんだ。店長さんが「まだだいぶ早い」と言っていた通り、時計を見ると開店からまだ一時間しか経っていなかった。食堂もかなり空いていて人がまばらだ。ひとまずもらったサンドウィッチでお腹を満たすと、やっと心にも余裕が出てきた。
そういえば、開店するまでは時々有紀乃先輩を見かけていたはずだけれど、開店後は一度も姿を見ていない気がする。それほど時間は経っていないから気にしていなかった。だけど、先輩はどこに行ってしまったんだろう。
「いたいた。ジミーくん!」
声に振り返ると、パートさんが近づいてきた。すっかり『ジミーくん』か。まぁ、いいけど。
「あら、レイちゃんは一緒じゃないの?」
「あ、はい。ちらしずし屋とパン屋はライバルだからついてこないで、って言われちゃいました」
「なにそれ、照れてるのかしらねぇ」
さっきのレイちゃんの態度は、パートさんが想像しているようなイメージとはかなり違う。あれが照れている態度というのだろうか。
「ここは戦場だ、って言ってたんですけど」
「あの子、真面目だからねぇ。店ごとの売り上げとか前年比達成率とか、たしかに色々比べられることもあるけど、別に戦場ってほどじゃないわよ。あ、そうそう。たしかに今日は土曜日だから、ウチの店は午後から忙しいけどね。知ってるでしょ、特製ロールパン?」
すみません、知りません。僕は首を横に振る。
「えぇ?! 知らないの? テレビでもやってるじゃない『ベーカリー・グリムの特製ロールパン』って」
僕はここで初めて自分が手伝っているパン屋さんの名前を知った。『ベーカリー・グリム』はテレビでもよく聞く名前だ。そして毎週土曜日だけ販売される特製ロールパンは、三時間待ちが当たり前だと言われているほど人気のパンなのだ。
「べ、ベーカリー・グリムだったんですか?!」
「ちょっと、ホントに? 知らないで働いてたの?」
パートさんの表情が冷めてゆく。まずい。
「いや、えぇっと。し、知ってました! ちょっと、ちょっとだけビックリしただけで……」
絶対信じてもらえてなさそうだったけど、僕は必死で弁明した。パートさんは笑って許してくれた。これが店長さんだったらこのままでは済まなかったかもしれないけれど。
ベーカリー・グリムの特製ロールパン。
それはまさに売り上げが低迷するデパート業界の中で、御伽屋デパートが打ち出した秘策そのものだった。昨年あたりから売り出して口コミで火がつき、今では他県からも買いに来るお客さんがいるほど大盛況らしい。テレビで見て、僕も一度は食べてみたいと思っていた。
「ジミーくん、有紀乃ちゃんからあんまり話を聞いてないみたいだけど大丈夫?」
「あ、はい! 大丈夫です!」
僕は、有紀乃先輩に昨日初めて会ったばかりだということを隠すことにした。会ったばかりの人にのこのこついていく愚か者だと思われたくなかったからだ。……って、あれ? つまり僕は愚か者だってことか。改めて考えるまでもなくそうかもしれないけど、おかげで御伽屋デパートに入ることができたし社員食堂に来ることもできたから、これはこれで良かったのかも。
「そういえば、有紀乃先輩はどこにいるんですか?」
「あぁ、有紀乃ちゃんはね、いつもこの時間は別の用事で抜けるのよ。店長の用事みたいだけど、私もよく知らないのよね」
「午後からはホントに忙しいからね。これ食べて頑張って!」
パートさんはベーカリー・グリムの隣で売っていた唐揚げを差し入れしてくれた。
「ありがとうございます! 僕でお役に立てるなら、頑張ります!」
「あ、ほら、そろそろ戻らないと店長に怒られちゃうから急いだ方がいいわよ!」
そう言って、パートさんは知り合いらしき他のお店の人が座っている席に移動していった。
時計を見ると、あと五分ちょっとで休憩時間が終わってしまうところだった。僕は急いで唐揚げを平らげ、社員食堂をあとにする。もう一度、食堂やその階の廊下を探してみたけれど、レイちゃんを見つけることはできなかった。
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