第4章 -9

 鏡の中に煙が映り、真っ白になる。

 それからしばらくしても、なかなか鏡の中の世界は晴れてこなかった。


「女王よ、あなたは歴代の女王の中で一番美しい。ですがそれは、ご自身が日々磨いてこられた内面の美しさだ。ですが女王、あなたは外見の美しさを求めるようになってしまった。それゆえあなたの心は醜く汚れてしまったのです。それは、割れたガラスの靴の呪い。呪いが解けた今、やはり女王は歴代の女王の中で一番美しい」


 ま、待って!

 それじゃあ、有紀乃先輩が間違ってるっていうことになっちゃうじゃないか。


「女王!!」

「バンザイ!!」

「女王バンザイ!!」

「女王バンザイ!!」

「女王バンザイ!!!」


 再びオークたちから歓声が上がる。


 ヤバイよ! マズいよ! ピンチだよ!!

 なんてことしてくれるんだよ!

 守衛さんはさっき、エレベーターの中で「白雪姫の味方だ」って言ってたじゃないか!


「えぇい、静まれぃ!!」


 鏡の精の声が轟いた。


「女王は、歴代の女王の中で一番美しい。だが、この世で一番美しいのは白雪姫さまだ! 見た目の美しさはもちろんだが、白雪姫は女王に奪われ枯渇しかけた妖精王の泉と泉の精を救うために立ち上がったのだから!」


 オークたちからはブーイングの嵐が巻き起こる。

 だけど、真っ白な煙が晴れてきた鏡の中に映し出されたのは、有紀乃先輩だった。


 良かった。これで有紀乃先輩の謀反の疑いが晴れて、そして妖精王の泉も解放される。そうしたら誠子さんの、妖精王の泉の精の力も戻るはずだ。


「では『真実を映し出す鏡』により、白雪姫の無実が確定した。これにより白雪姫の要求は認められ、裁判は終了する! みな、妖精界に帰るように! 命に背くものは元素に戻すぞ!」


 オークたちはまだ騒いでいるものの、女王の命令に逆らうことが出来ない。これも魔法の力なんだろうか。

 禅先輩がやっと安心した顔で、有紀乃先輩を繋いだ鎖を手放した。でも、鍵は持っていないらしく、有紀乃先輩の手枷はまだ外されていないままだ。


「女王さま! 我々をどうするおつもりか?!」


 会場の奥から声が上がった。

 その言葉にオークたちが再びどよめく。

 声の主はワーウルフ、白ジャケットのデパ地下フロア長だった。


「そうだそうだ!」

「俺たちは妖精界に戻らない!」

「人間として生きていくんだ!」

「人間を支配するのだ!!」


 堰を切ったように、オークたちから欲望にまみれた声が上がる。

 もともとオークたちは、妖精王の泉の水とは縁遠い存在らしい。それが、泉の水の味を知ってしまったら、手放せなくなるのかもしれない。

 つまり、女王がやろうとしていた『人間をトリコにして支配する』という計画は、すでにオークに対して行われていたということだ。


「元素になど戻せるものか! 我々は妖精から生まれた妖精。つまり元素は妖精だ!」

「うおぉ〜!!!」

「泉の水さえあれば、望みのままだ!!」


 まるで中毒のように、オークたちは新商品発表会で紹介された化粧水『フェアリー・ウォーター』を奪い合っていた。


「白雪姫を殺せ!」

「女王も殺せ!」

「殺してしまえば泉の水は俺たちのものだ!!」

「殺せ!」

「殺せ!!」


 ワーウルフの言葉に促され、オークたちが襲いかかってきた。

 こうなると、本当に僕は役立たずのお荷物でしかない。

 一応、自分でも続けてきた剣の稽古はまったく披露出来ず、禅先輩や瑛先輩の後ろに小さく隠れているしかなかった。

 女王が魔法でオークたちの動きを止めても、それは一時しのぎでしかなく、数十人のオークたちは順次回復して再び襲いかかってくる。

 オークの動きは単純だから、勝てない相手ではない。でも、会場の奥から指揮するワーウルフ、フロア長により休みない攻撃を浴びせられ、数の少ない僕たちは劣勢だった。

 鏡の精である守衛さんは『真実を映し出す鏡』 が割れないように小さく戻して胸ポケットにしまい、どこかへ隠れてしまった。戦闘要員ではないのだから仕方がない。っていうか、僕もどこかに隠れられたら、せめて邪魔にならずに済むのに。

 僕を守ると言ったレイちゃんの戦力を、僕が削いでいるようなものだった。


「レイちゃん危ない!!」


 右手側のオークに気を取られ、レイちゃんは後ろから襲われかけていた。

 僕はレイちゃんに体当たりして、そのまま横に逃げる。

 かろうじて、オークの攻撃をかわすことが出来た。だけど、二人して床に倒れこんだせいで、なかなか簡単には立ち上がれない。もたもたしているうちに、次の攻撃がすぐにやってきた。


「危ない!! 在人くん!!!」


 僕とレイちゃんに斬りかかるワーウルフに向かって、有紀乃先輩が飛び込んできた。

 先輩は、本来の強さならワーウルフなんかに負けなかっただろう。

 だけど、戦い疲れてボロボロだった。

 そして、鎖で両手を縛られていた。

 そのせいで、ワーウルフの攻撃をかわすことが出来なかった。


「ああぁ!!」


 ギリギリのところで急所はなんとか外したみたいだが、有紀乃先輩の腹部から血が飛び散った。


「先輩!」

「有紀乃ちゃん!」

「有紀乃!」

「白雪!!」


 女王が魔法でワーウルフの動きを止め、禅先輩が動けないワーウルフの体を縛り上げる。

 ワーウルフはフロア長ひとりしかいなかったため、指揮系統を失ったオークたちはすぐに負けを認めた。

 女王の命により、オークたちは自ら縛られ、妖精界へ戻っていく。

 そして、御伽屋デパートの展望レストランには、僕たちだけが残された。



***



「先輩! 有紀乃先輩! 大丈夫ですか?!」


 大きな声で、みんなで何度も呼びかけたけれど、有紀乃先輩はぐったりしたままだった。

 今この瞬間にも、有紀乃先輩から流れ出す血が、ゆっくりとフロアを赤く染めてゆく。


「有紀乃ちゃん! しっかりしてよ、有紀乃ちゃん!!」


 女王は魔法を使いすぎて「回復魔法を使うことが出来ない」と言った。

 こんな肝心なときに魔法が使えないなんて!


「じゃ、じゃあ早く救急車を呼ばなきゃ!」


 禅先輩と瑛先輩が首を横に振る。


「有紀乃ちゃんは人間じゃないから、病院に行っても多分、無駄だよ……」


 そんな……どうすればいいんだ。どうすれば。

 僕が不甲斐ないばかりに、有紀乃先輩が……


「有紀乃ちゃん! 水よ! 早く水を飲んで!!」


 大きな声とともに展望レストランの自動扉が開き、見慣れたシルエットが飛び込んできた。


「誠子さん?!」


 誠子さん、妖精王の泉の精は、力を奪われて分身さえ作ることが出来なくなっていたはずだ。

 なのにどうして、今ここに、どうやって来たんだろう。


「水よ!! ほらこれ! 化粧水!」


 誠子さんの手には化粧箱に入った『フェアリー・ウォーター』があった。

 おそらくオークに奪われずに残った最後のひと瓶だ。


「在人くん! 早く有紀乃ちゃんに飲ませてあげて!!」

「誠子さん、これ! 化粧水ですよ!」

「なに言ってんの! 中身は水よ! 妖精王の泉の水!」


 あ、そうか。『フェアリー・ウォーター』は妖精王の泉の水をピンク色に染めているだけなのだ。

 誠子さんが姿を現せたのも、この水のおかげなのだろう。


「で、でも! 有紀乃先輩の意識がないのに、どうやって飲ませればいいんですか?」

「もおぉ〜!!!」


 誠子さんはじれったそうに叫びながら、化粧箱を破って水の瓶を取り出した。


「なんなのよ! なんで分かんないのよ!! 在人くん! 早く! 飲ませてあげて!」

「だから、どうやって?」

「口で飲ませてあげなさいよ! あんた男でしょ!」

「えぇっ! で、でも!」

「いいから早く! お姫さまは王子の口づけで目を覚ますのよ!」


 い、いや、待って! 心の準備が!

……とか言ってる場合じゃない!

 僕は化粧水『フェアリー・ウォーター』を口に含んだ。

 あの、ベーカリー・グリムの『特製ロールパン』を食べたときよりも、何倍も強い甘さと香りが口に広がる。

 飲み込んだわけじゃないのに、疲労が回復していくのがわかる。

 これなら、有紀乃先輩は助かるかもしれない。

 先輩の口に水を含ませると、意識はないものの、喉をごくんと動かして水を飲んでくれた。

 喉を流れる水の動きがよく分かる。打撲の跡がみるみるうちに消えていくのだ。

 腹部の傷口もすぐに塞がり、流れる血は止まった。

 でも、なかなか目を覚まさない。

 僕も誠子さんも、レイちゃんも女王さまも、禅先輩も瑛先輩も、そして鏡の精の守衛さんも、この場にいる全員が、有紀乃先輩の回復を願った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る