第4章 -7

 レイちゃんの声だ。


 僕や瑛先輩と同じように、どこかのテーブルクロスの下に隠れていたのだろう。僕が布に開けた小さな穴からは姿が見えないけれど、この声はレイちゃんに間違いない。


「逃げて! あなたまで捕まっちゃう!!」


 有紀乃先輩が叫ぶ。両手に巻かれた鎖がカチャカチャと音を立てた。


「いやよ! 黒上有紀乃、いいえ白雪姫。あなたは王女のくせに、なんでそんな簡単に捕まってるのよ! 情けないわ!」

「そ、それは……」


 あまりに唐突すぎたのか、オークたちは動けずにいるようだ。


「えぇい、なにをしている! 早くその娘を捕らえよ!」


 しびれを切らした女王が命令した。

 レイちゃん、たった一人でどうするつもりなんだよ。

 僕が今飛び出したところで、ただの足手まといだよ。

 どうすればいいんだよ僕は!

 テーブルの下に隠れてうじうじしている僕のことなど知らずに、レイちゃんは言葉を続ける。


「待ちなさい! 女王、お前は間違っている。妖精が妖精を裁くのならば、王の間にある『真実を映し出す鏡』を使わなければいけないはず。それなのになぜお前は鏡を使わないのか、それはお前の心が真実に従っていないからよ!」


 オークたちはレイちゃんの気迫に押され、女王の命令を聞けないようだ。

 すごいよレイちゃん。レイちゃんは、あんなか弱そうな体で、どれだけの力を持っているんだろう。


「王の間にある『真実を映し出す鏡』だと? そんなもの、私は見たことがない。女王の私が知らないものを、なぜただの小娘が知っている?」

「それは、私が現王の妹の娘だからよ! そして、あなたの元継子。あなたは私を覚えていないのかしら?」

「継子……もしや、シンデレラ? 私を利用した、あの男の娘なの?」


 女王が驚いた声を上げる。

 僕も驚いている。人間関係が複雑すぎてついていけないんですけど。

 レイちゃんの実の母親が王様の妹だとすると、レイちゃんと有紀乃先輩は従姉妹ということになるのだろうか。もしそうなら、オークを圧倒する力を持っているのもうなずける。


「お前を利用した男? お前が父を利用したのよ。そのせいで、父は謀反を疑われて殺されたんじゃないの! そのときも『真実を映し出す鏡』に父は裁かれたのに、なぜお前は生きて女王の座にいるの?!」

「知らない、私はそんな鏡を見たことがないわ。でもシンデレラ、あなたの父親が謀反を起こして現王を暗殺しようとしたのは本当よ。私はあの男に騙されて妖精王の城へ連れて行かれ、謀反の罪で地下牢に繋がれたのよ。いよいよ処刑という日に、現王との婚姻を条件に許されたわ。あぁ、そう。そういうことなのね。『真実を映し出す鏡』によって、私の無実が証明されたんだわ!」


 あはは、と、狂ったように女王が笑う。


「違う! 違う!! 父はお前に騙されて殺されたのよ!!」


 レイちゃんは女王の声を消すように叫んだ。

 いったいどれが真実なんだ。

 真実を写す鏡とやらはどこにあるんだ。

 僕はもう、とても隠れていられなくなってテーブルクロスの中から這い出た。瑛先輩も同じ気持ちだったようだ。

 僕らが現れても、オークたちは反応しなかった。オークたちは自分で考えて判断することが苦手らしい。姿は人間になっても、心までは変わらなかったみたいだ。


「鏡ならここにある! ワシが『真実を映し出す鏡』だ!」


 守衛さんが会場の隅から走り寄ってきた。


「おじいちゃん?!」

「守衛さん?」


 瑛先輩が驚いた声を上げる。禅先輩もそっくりな表情を浮かべていた。

 樫野兄妹は二人とも知らなかったみたいだけれど、有紀乃先輩とレイちゃんは知っていたようだ。さすが王族。

 僕はもちろん、わけが分らなくてオロオロしているだけだ。


「お前が『真実を映し出す鏡』だと?」

「そう、ワシが『真実を映し出す鏡』の精。かつて女王様の無実を晴らしたこともありますぞ」

「そうか、ならば礼を言う。こたびも私の味方をするがよい、褒美を取らすぞ」

「それは出来ませぬ。ワシは鏡にすぎぬゆえ、真実を映し出すこと以外、なにも出来ませぬ。そのため、眼の曇った輩に割られぬよう、隠れておりました」

「なるほど……眼の曇った輩がおる、と言いたいのだな?」


 女王が鼻で笑う。


「もしそのような輩がいれば、ワシの鏡に映し出してみせましょう」


 守衛さんも不敵に笑い、胸元から小さな手鏡を取り出した。

 あれが『真実を映し出す鏡』?

 ずいぶん小さいな……

 僕がそう思った瞬間、守衛さんは鏡を両手で持って引っ張った。

 と同時に鏡が大きくなり、ドスンッと音を立てて床に立てられた。


「呪文を唱えてみなされ。「鏡よ鏡、眼の曇った輩は誰か?」と、な」


 女王はうろたえているようだった。

 でも、さすがは女王と呼ばれるだけある。

 胸に手を当てて二、三度咳払いをしたあと、守衛さん、じゃなくて『真実を映し出す鏡』の精が言ったように呪文を唱えた。


「鏡よ鏡、眼の曇った輩は誰か?」


 鏡の中に煙が映り、真っ白になる。

 それからしばらくして、だんだん鏡の中の世界が晴れてきた。


 そして、その中に映っていたのは、僕の想像とは違っていた。



***



 鏡の中に映し出されたのはその場にいる全員、つまり、普通の鏡のように左右反対の世界がそのまま映っていた。


「なんと! 全員眼が曇っているとな!」


 はっはっはっ、と、鏡の精は高笑いした。

 その鏡、本当に『真実を映し出す鏡』なんだろうか。

 間違えて別の鏡を持ってきちゃったんじゃないの?

 なんて、そんなことあるはずないだろうけど。

 全員の眼が曇っているのだとしたら、それじゃあ真実はいったいどこにある?


「これでは、ワシはもう一度隠れた方が良さそうですな」

「待って、私が聞くわ!」


 レイちゃんが叫ぶ。


「鏡よ鏡、現王暗殺の謀反を起こしたのは誰?!」


 鏡の中に煙が映り、真っ白になる。

 それからしばらくして、だんだん鏡の中の世界が晴れてきた。

 そして、その中に写っていたのは、僕が知らない男の人だった。

 中世ヨーロッパの貴族のような、美しい刺繍を施した上質で豪華な衣装を着ている。目つきが鋭く、とても思いつめたような表情を浮かべていた。

 目元が、レイちゃんに似ている……


「あぁ!」


 レイちゃんが声を上げ、床に倒れこむ。

 女王が言う通り、謀反を起こしたのはレイちゃんの父親の方だったらしい。


「あはははは! これで私が無実だと分かったでしょう? さぁ、白雪姫。そろそろあなたの刑を実行するわ!」


 ダメだ。ダメだよ!


「待って! ダメです!」


 膝はガクガク震えていた。

 でも、女王を止めるのは今しかない。

 そう思ったら、僕は女王の前に飛び出していた。


「あなたも僕も有紀乃先輩も、みんなの眼が曇ってるんですよ! それなのになぜ有紀乃先輩だけが罪を背負わないといけないんですか? ちゃんと『真実を映し出す鏡』に確かめなきゃ、ダメじゃないですか?!」

「お前は何者? 女王の私に意見するなん……」


 女王の言葉が止まる。

 そして、大きく目を見開いて、わなわなと震えた。


「あなた……多治見さん?」

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