第3章 -5

「在人殿〜! 待つでござるよ!」


 月曜日に瑛先輩に質問攻めされてから、僕の逃亡生活は始まった。禅先輩が一緒にいるときは物静かなのに、一人になると瑛先輩はかなり賑やかしい。そんな瑛先輩のことを、禅先輩はちょっと時代劇が好きな可愛い妹だと思っているらしく「ちょっと喋り方が不思議ちゃんだけど、まぁよろしくね!」とまんざらでもなさそうだ。いえいえ、禅先輩。瑛先輩は「ちょっと喋り方が不思議」程度の生半可な人じゃないですよ。結構ヤバい感じですよ。一応僕からは言える範囲で伝えたつもりだけど、伝わったかどうか。どうなんだろう。


 とにかく日曜日以来、僕はテル先輩から逃げることに決めた。逃げたら余計に疑われるだけかもしれないけど、瑛先輩だってどうせもう分かっていて僕をからかっているだけだろう。そう思うと、瑛先輩とは出来るだけ距離を置きたかった。

 それに、今は有紀乃先輩とも顔を合わせづらい。結局、先輩のために僕に出来ることなんて何も分からなかったから。


 父に多治見堂で働けと言われたときに、実は少しだけ期待していたことがある。多治見堂が御伽屋よりも多く売り上げを上げられたなら、女王様に会うチャンスがあるんじゃないかと考えたのだ。でも僕は催事場の仕事でまったく使い物にならなかったし、催事の北海道展の様子を見ているだけでは多治見堂と御伽屋の立ち位置なんて理解出来るはずもなかった。


 妖精界の時間が地上の時間よりもゆっくりと進むのなら、もう少し時間をもらえるなら、せめて大学と独学でもう少し知識をつけて、僕が女王様と話を出来るようになるまで戦争を起こすのは待っていて欲しい。泉の精さんには申し訳ないけれど、今すぐ水が枯れてしまうわけではないのなら。僕のことを少しだけ信じてみて欲しい。


 なんて。

 有紀乃先輩に言ったら、また別の見込みがありそうな誰かを探すんだろうなぁ。きっと今まで先輩が「取っ替え引っ替え」してきた男たちは、僕みたいに有紀乃先輩と一緒に戦う道を選べなかったヤツなんだ。


 情けないけど、僕は……

 やっぱり戦争は出来ない。


 だけど、僕は有紀乃先輩の役に立ちたいし、妖精界のことだってなんとかしたいと思っている。それは本当に。


 よし、決めた。

 有紀乃先輩に改めて伝えよう。今まで通り、先輩の手伝いをしたい、って。

 そうと決めたらまずは腹ごしらえだ。と、食堂へ向かうと、見覚えのあるシルエットが目に入った。

 ベーカリー・グリムのちょっとふっくらしておっとりしたパートさん、誠子さんが学食の前でキョロキョロしていたのだ。なぜかは分からないけれど、職場の制服のまま大学までやってくるぐらいだからよっぽど緊急の用事があるのだろう。

「こんにちは! こんなところで、どうしたんですか? 有紀乃先輩を探してるんですか?」

 誠子さんは僕を見つけて安心したようで、目を輝かせた。

「あぁ~! ジミーくん! 探したわよぉ~! ほら、大学って広いじゃない? 私、こんな所に来るのは初めてだから迷っちゃって。そうしたら、どこからか美味しそうな匂いがしてねぇ……それでフラフラ歩いてたら食堂に着いたのよぉ~!」

 言いたいことだけ言って、誠子さんは食堂の中を覗き込む。確かに、ちょうど昼時の食堂前には様々な食べ物の匂いが辺りをただよっていて食欲を刺激していた。

 それにしても。なんだ、急ぎの用事じゃなかったのか。ちょっと心配して損した。

「え~と、それじゃあ、ただの散歩ってことですか?」

「何言ってんの! そんな訳ないでしょ! 大変なの、もう大変! 有紀乃ちゃんが大変なのよぉ~!!」

「有紀乃先輩が?!」

「そうなの! 早く来て! 早く早く!」

「あ、は、はい!」

 僕は言われるがまま空腹のまま、御伽屋デパートへ向かって走った。

 誠子さんはふっくらした見た目に反して足が速い。軽やかに小走りしているように見えるのに、僕はついていくだけで必死だ。まるで羽根でも生えているかのようだ。

「ジミーくん早く〜!」

「は、はい!」

 ほぼ全速力で走って御伽屋までやっとたどり着いた。

 誠子さんは従業員出入り口前で「早く」と急かすけれど、僕は息を整えなきゃ怪しい人すぎてデパートに入れる気がしなかった。それに、従業員出入り口はあのいつもの怖い守衛のおじいさんがいるのだ。

 少しだけ待ってもらって、やっと入り口をくぐる心の準備が整う。

 相変わらず守衛のおじいさんは鋭い目で僕をジロリと睨んだ。

「今日は仕事の日じゃったか?」

「あ、あの、え〜っと……」

 咄嗟に「はい」と答えられず、僕は口ごもる。

「そうよ! 今日は一大事なのよ!」

「そうかい、ならしっかり働くんじゃぞ」

「は、はい!」

 守衛さんに励まされるなんて初めてかもしれない。

 この時に、もしこの変化に気づいていたら、もっと早く事態を解決出来ていたのかもしれない。

 だけど僕は有紀乃先輩の元へ急ぐことに必死だったんだ。

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