第3章 -6

「え? 有紀乃ちゃん? 今日は来てないわよ。連絡せずに休む子じゃないからなにかあったんだと思うけど、人手が足りなくて困ってたから助かったわ」


 ベーカリー・グリムの店長さんは有無を言わせず僕の手をぐいぐい引っ張って、溜まったゴミを持たせる。

 誠子さんはあれだけ「早く」と言っていたくせに、事情も告げずに姿を消していた。

 いったいどうなっているんだ。僕はパン屋のアルバイトをしている場合ないのに。


「とにかく、ゴミを運ぶ人もいないのよ。悪いけど今すぐ行ってくれるかしら?」

「は、はい! 僕でお役に立てるなら喜んで!」

「頼もしいわね!」


 着いて早々ゴミ捨てを命じられたのはラッキーだった。あとで店長さんに「サボってる」と怒られるかもしれないけど、そんなことより有紀乃先輩が心配だ。妖精界でなにか起こっているのかもしれない。

 僕は地下搬入口へ行き、ゴミを捨てたその足で、妖精界への扉を開いた。

 大学から御伽屋までずっと走っていたせいなのか、有紀乃先輩を心配しているせいなのか、僕の息は荒いままだ。

 早く早くと、誠子さんのように僕は頭で繰り返しながら、長く暗い妖精界へのトンネルを走る。


 やっと出口が見えたとき……

 妖精界は闇に包まれていた。

 そういえば、土曜日以外に妖精界へ来るのは今日が初めてだ。有紀乃先輩は妖精界の一日は地上の一週間に相当すると言っていた。だから、水曜日の今日は妖精界が夜でもおかしくないはずだ。


 でも。

 嫌な予感がした。

 日中の日差しの下でも、こんなに生ぬるい風は吹いていなかった。

 サワサワという葉擦れの音は聞こえても、パチパチというなにかが弾けるような音は聞こえたことがなかった。


 なんだろう。

 いったいなにがあったんだろう。

 今、なにが起こっているんだろう。

 さらにスピードを上げて、僕は一気にトンネルを抜けた。

 目の前に広がっていたのは……

 燃え盛る妖精界の森だった。



***



「先輩! 有紀乃先輩!!」


 トンネルから有紀乃先輩の家までは、まだしばらく走らなければならなかった。

 炎が上がっている場所が、まさに目指している場所だった。

 夜の森は真っ赤に輝き揺らめいていた。

 炎の周りを青や黄色や緑に光るなにかが飛び回っている。おそらく妖精だ。小さな体で日を消そうとしているのだろうか。それとも、地上の羽虫のように光を求めて集まっているのだろうか。どちらであろうと、あの大きさでは炎の勢いを止めることは出来ないだろう。

 それはひどく美しい光景だった。そして悲しい光景だった。

 僕はそれこそ火に吸い寄せられる虫のようにまっすぐ走った。


「先輩!!」


 やっと有紀乃先輩の家にたどり着いたとき、先輩とドワーフたちは消火の真っ最中だった。

 半分以上焼失したログハウスに向かって、桶をリレーさせながら何杯も何杯も水をかけていた。でも、火の勢いは衰えることはなく、それどころか周りの木々を焼いて広がる一方だ。それどころか、時折火のついた矢が飛んできて、新たな炎を起こす。


 すでに戦争は始まってしまっていたんだ。


「先輩! ここは危ないです! 一旦地上に戻りましょう!!」


 僕は有紀乃先輩の腕を掴んで引っ張った。真っ赤に燃えた木の破片が、僕らのすぐ横を飛んでゆく。もう少しで先輩の頭に当たるところだった。


「ダメ! ダメだよ!! だって、木が……森が燃えちゃう!」


 有紀乃先輩はそれでもなかなか動こうとしない。ドワーフたちもまだ消化活動を続けている。


「だけど! 先輩たちが怪我したら危ないです!」

「でも爺やが!!」

「爺や?」


 有紀乃先輩から初めて聞く言葉だ。

 暗い地面をよく見ると、先輩のすぐそばにドワーフの隊長がうずくまっていた。

 怪我をしている。腕が、腕が一本無くなっていた。


「隊長! 大丈夫ですか?!」

「に、人間……ワシは大丈夫だ。それより早く、姫さまを……早く安全な場所に!」


 それだけ言い残すと、隊長は石象のように固まってしまった。


「爺や!! 嫌ぁ〜!!!」

「隊長!」


 有紀乃先輩が僕の手を振り切って隊長に抱きつく。

 先輩の叫びに呼応するように雷が鳴り、雨がざぁっと降り始めた。

 僕は膝が震えて、一歩も動けなかった。

 隊長が、ドワーフの隊長が亡くなってしまった。


 こうしている間にも、火矢は数が減るどころかだんだん増えていた。雨のおかげで火は弱まってきているものの、火矢の的の範囲はだんだん狭まってきているようだった。

 もしかして、この場所が狙われているのは先日僕がオークたちの訓練場を見てしまったせいなんじゃないだろうか。

 ここまで逃げてきたときに、位置を特定されてしまったんじゃないだろうか。


 僕のせいで、有紀乃先輩の家が狙われた?

 僕のせいで、森が燃えた?

 僕のせいで、この事件が起こった?

 この事件、戦い……戦争が。

 僕のせいで起こってしまった?


 自分の中でたどり着いた答えがあまりにも恐ろしくて、僕はよろめき尻餅をついた。


「大丈夫だ、人間。ワシらは石になっても、時間が経てばまたドワーフに戻れる」


 ドワーフが、僕の肩に手を置く。その手は震えていた。


「もちろん、もう石から戻りたくないならそのままだが。別に死んだわけではない」

「……ドワーフは、石と同じなんですか?」

「そうだ。ワシらは石の精だ」

「石の、精」


 ドワーフはただの小人だと思っていた。小人というのは小さい人間なのだと考えていた。石。石の精。妖精は人間とはまったく違う存在なんだ。

 火はまだ燃え盛っている。戦いは、戦争は、始まったばかりだ。

 どうしよう、僕はいったい、どうすればいいんだ。


「在人くん、なんでここに来たの?」


 有紀乃先輩は石になった隊長を見つめたまま、僕に言葉を投げた。


「ぼ、僕は、有紀乃先輩の役に立ちたいと思って……あの、誠子さんが知らせてくれたんです。有紀乃先輩が大変だ、って」


 誠子さんの名前を聞いて、先輩は驚いたように僕を見る。

 なにかを言いたげにしばらく見つめたあと、再び隊長の方へ向き直った。


「なんで、在人くんを呼んじゃうのよ。なんで……」


 小さな声で呟くのが聞こえた。

 ドワーフ隊長のためにも、誠子さんのためにも、僕は有紀乃先輩を連れて帰らなければ。こんな危険なところに置いておけない。


「先輩、避難しましょう」


 一度人間界に戻って、改めて僕の出来ることを考えよう。いや、考えている場合じゃない。今すぐどうにかして女王様に会いに行こう。


「ダメだよ! 私は行けない。でも在人くんは、怪我する前に早く地上に戻って!」

「でも、先輩だって危ないです! 地上に戻って、人間界で女王様と交渉しましょうよ!」

「そんなの無理だよ! 私、もう何度も試したんだから! 女王はね、魔力を持ってるの。人間だけど王族だから、ただの妖精じゃ太刀打ちできない強い魔法を使うんだよ! それに、私は地上じゃただの人間より無力だもの!」

「僕も一緒に行きます! なんとかして女王様に会ってみせます!」

「なんとかして、って、具体的にはどうするつもりなのよ?!」

「それは、これから考えます!」

「考えてから言ってよ!!」

「そ、それは、そうですけど。でも僕は、僕だってこの事態をなんとかしたいんです! 有紀乃先輩が地上に戻らないなら、僕も戻りません!」

「もう、ここで在人くんに出来ることなんかないよ!」

「もしまた森が燃えたら、火を消すのを手伝います!」

「火矢を避けながら? 矢じゃなく直接敵が襲ってきたらどうするの? 自分で戦えるの?」

「そ、それは……が、頑張ります!」

「頑張ってなんとかなるようなことじゃないよ。もう、戦争は起こっちゃったんだもん。それに、妖精の私たちは自然に戻るだけだけど、人間の在人くんは、死んじゃったらもうおしまいなんだよ!」


 死という言葉を今以上に身近に感じたことはなかった。

 僕は何も反論出来なかった。

 ただ、石となったドワーフ隊長を見つめるしかなかった。


「あのね。はっきり言って、今ここで戦えない在人くんは邪魔なだけだよ。今すぐ帰って! もう、ここには来ないで!!」


 真実は残酷だ。

 有紀乃先輩は正しいことしか言っていない。

 だけどその言葉は僕にグサグサと刺さる。

 ごめんなさい、ドワーフ隊長。ごめんなさい、誠子さん。

 僕は、有紀乃先輩を地上に連れて帰ることが出来ません。

 それどころか、僕がここにいるだけで先輩を危険にさらしてしまう。


「僕……帰ります。すみませんでした、先輩」


 僕は一人、地上へ戻ることにした。

 有紀乃先輩は地面にしゃがみ込んだまま、なにも答えなかった。

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