第2章 -2
禅先輩の爽やかな笑顔と明るい髪色は朝から眩しい。
こんな特徴的な先輩を覚えるのは簡単だけど、僕みたいな何の変哲もない新入生を、しかも先週の飲み会で一瞬話しただけの僕を覚えていてくれたのは嬉しかった。
それに、こんな広いキャンパスで偶然先輩に会えるなんて運がいい。だから僕はちょっと浮かれていたのかもしれない。
「禅先輩、おはようございます! 僕、ちょうど先輩に聞きたいことがあって……」
かなり静かに話したつもりだったのに、図書館の壁は思いのほか声を響かせた。おかげで僕は周りの人に白い目で見られる羽目になる。
僕らは急いで図書館をあとにした。
ちょうど禅先輩もコマが空いていたらしく、二人で学食に向かう。
「在人くん真面目だなぁ。入学したばっかりなのに図書館で勉強してるなんてさ」
「いえ、ちょっと調べたいことがあったんですけど、結局見つからなくて」
「そういえば、俺に聞きたいことがあるんだっけ?」
禅先輩は目を細めて美味しそうにフラペチーノを飲む。
僕はなぜか間違って買ってしまったホットコーヒーをゴクリと飲んでしまい、ゴホゴホとむせた。
そう、僕は禅先輩に聞きたいことがある。
先輩は飲み会のとき「黒上有紀乃には気をつけた方がいい」と言っていたのだ。禅先輩は有紀乃先輩のことをどのくらい知っているのだろう。妖精の世界のことも知っているのだろうか。
「あ、あの。禅先輩は黒上有紀乃先輩のこと、良く知ってるんですか?」
有紀乃先輩の名前を聞いて、禅先輩がニヤリと笑う。
いや、そうですよね。そういう反応しちゃいますよね。分かってましたよ、ちゃんと。
僕は自分の顔が赤くなるのを止めることが出来なかった。
恥ずかしい。けど、僕は有紀乃先輩のことをもっと知りたいんです。
「まぁ、同じクラスだから、知ってるっていえば知ってるかな」
「高校が一緒だったんですか?」
「違うよ、有紀乃とは大学で初めて会ったんだ。ほら、あいつはあんな容姿だし人懐っこい奴だからすぐ人気者になってさ、クラス以外の奴らも集まって、大勢でよく遊んでたんだよ」
禅先輩の言葉だけで、去年の有紀乃先輩の様子が目に浮かぶようだった。
「でも去年の夏くらいかな、有紀乃はバイトにハマったみたいで遊びに行くことが減ったんだよ。その頃からかな。色んな男と二人で歩いてるのを目撃されるようになったんだよな」
「色んな男、ですか……」
僕はまだ有紀乃先輩のことを二日分くらいしか知らないけれど、禅先輩が言っていたような「男を取っ替え引っ替えする」ようには見えない。
「あぁでも、そいつら別に嫌な思いをしたわけじゃないらしいんだよな。だけど口を揃えて「もう限界」って言うんだよ。しかも、なにが限界なのか聞いても誰も教えてくれないんだよな。不思議だろ?」
「そうですねぇ。あの、禅先輩は有紀乃先輩のアルバイトのことは知ってますか?」
「あぁ、知ってるよ。俺は行ったことないけど、デパートのパン屋さんだろ? 人手不足らしくて、しょっちゅう誰かに声掛けてるからさ。それで有紀乃に気がある奴が誘われて、バイトを始めるんだけどすぐやめちゃう……って、もしかして在人くんも?」
僕は黙ってうなずく。
禅先輩は一人納得したように僕の肩を叩いた。
「パン屋さんって結構大変らしいよね。ウチの妹も同じデパ地下でバイトしてるんだけどさ、お菓子だったかな。そこの店はそんなに大変じゃないけど、有紀乃のところは大変そうだって言ってたよ。でもさ、せっかく始めたんだから頑張りなよ」
「は、はい。ありがとうございます!」
今まで『ベーカリー・グリム』で働いたことがある人たちは、妖精の世界のことも聞いたのだろうか。禅先輩自体は働いていないそうだから、これ以上は聞けない。だけど、取っ替え引っ替えと言われるほどの人たちが有紀乃さんと一緒にアルバイトしていたなら、もっと妖精の噂が広まっていてもおかしくないはずだけど。僕がまだ新入生だから知らないだけなのだろうか。それとも、みんな有紀乃先輩のために秘密を守っているんだろうか。どちらにしても、妖精界の戦争だといっても人間だって無関係じゃないんだから、秘密にしている場合じゃないんじゃないだろうか。やっぱり、禅先輩にも少しくらい話を聞いてみてもいいんじゃないだろうか。
「在人くん、どうかした?」
僕が考え込んでいることに気づいて禅先輩が声をかけてくれた。
「あ、あの、実は……」
妖精の話をしよう、そう決意した途端、禅先輩の携帯が鳴り、話が中断された。
「今、学食。あぁ大丈夫、それじゃ」
電話の相手は禅先輩の妹さんだったらしい。電話を切ると、先輩はすぐ僕に謝った。
「ごめんね。妹が、急用があるらしくて、今から車で送ってかなきゃいけなくなったんだ」
「いえ、妹さんと仲いいんですね」
「喧嘩ばっかりだよ。双子だから、同属嫌悪って奴かな?」
「そうなんですか。あ、色々教えていただいてありがとうございます!」
「いいよ、いいよ。それより、応援してるから頑張りなよ。有紀乃は在人くんみたいな誠実な子が好きだと思うからさ!」
誠実。そう言われて、僕はドキリとした。
有紀乃先輩からはっきり口止めされていたわけではないけれど、やっぱり『妖精界』のことを軽々しく話してはいけない気がする。
勝手な想像だけど、禅先輩はさりげなく僕に口止めしたような気が……それはちょっと考えすぎかな。
「それじゃ、また!」
「はい! またお願いします!」
禅先輩を見送ったあと、僕はすっかり冷めて苦味が増した気がするコーヒーを飲み干した。
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