第3章 -9
「ねぇ、魔法ってなんなの?」
僕は改めて聞いてみる。
「魔法は魔法よ。私やあの人みたいなハイエルフや泉の精みたいな上位の精霊なら、みんな持っている力よ。本来ならあの人、黒上有紀乃は人間に負けるはずなんかないのに、女王の即位を許してしまったから呪いをかけられて力を奪われたの」
さっきから初めて聞くことばかりで、全然話についていけない。
「なんでレイちゃんはそんなに詳しいの?」
我関せず、といった感じだったのに、今日はよく喋る。それにしても、有紀乃先輩と仲間なんだったら、助け合えばいいのに。
「だって、本当に有名な話だもの。黒上有紀乃は妖精王の娘、王女なのよ」
「王女……?」
王とか王女とか、確かに以前から話題に上っていたしお城も見たけれど、有紀乃先輩が妖精王の娘だと言われてもまったくピンとこない。あんなに気さくな先輩が王女? まだ、レイちゃんの方が向いているような気がするけど。
「あ、でも、ドワーフ隊長が先輩を『姫さま』って呼んでたのは、王女さまっていう意味だったのかな」
「あなた、本当になにも知らないのね」
レイちゃんがすっかり呆れていた。
「でも仕方ないのかもしれないわ。王女は呪いをかけられて、自分の正体を明かせないんだもの。それに、樫野兄妹が監視されてるものね」
「樫野兄妹って、禅先輩と瑛先輩のこと?」
「そうよ。あなたの前にもきっとタイミングよく現れたでしょう? あの二人は王女の呪いが解けないように見張っているんだから」
禅先輩は初めて会ったとき「黒上有紀乃には気をつけろ」と言っていた。
あれは、本当は僕が有紀乃先輩に接触しないように牽制していた、ということのなのか。
でも、なぜ?
先輩は大学でも親切にしてくれて、悪い人だなんて思えない。
いや、いい先輩だよ。
「禅先輩たちも妖精なら、どうして女王様の味方をするの? 妖精界がなくなったら、みんな困るんじゃないの?」
「さぁ。私には分からないわ。妖精にも色々いるから、なにか理由があるんじゃないかしら。例えば、黒上有紀乃が嫌い、とか」
そんなことってあるんだろうか。あの有紀乃先輩を嫌いになる人なんているんだろうか。
明るいし、優しいし、キレイだし、強いし。
少なくとも有紀乃先輩みたいな女の人を嫌いになる男がいるなんて、僕には想像が出来ない。
「あなたは、人を疑ったりしないのね。変わってるわ。もしかしたら、私たち妖精よりも純粋なのかも。悪いけど、私にとっては黒上有紀乃も敵みたいなものよ。あの人、あなたが呪いを解く相手だったら良かったのに、残念ね。今の話を聞いた以上、あなたはもう呪いを解くことが出来なくなったんだもの。だけど、私にとっては好都合だわ。自分で復讐出来るチャンスがまだ残っているんだから」
「ま、待って! 呪いってなに? 復讐って?」
どこから聞けばいいのか、分からないことだらけだ。
レイちゃんはため息をついたけれど、ちゃんと説明してくれた。
「おとぎ話でよく王様やお姫様が呪われて、姿を変えられたり眠らされたりするでしょう? あれが呪いよ。魔法の一種ね。相手より力が強ければはね返せるのに、王女なら王の次に強かったはずなのに、あの人は女王が即位するまで自分が呪われるなんて気づかなかったのよ。それで、身分も魔力も奪われたってわけ。あなたの前に何人も男の人を見つけては呪いを解こうとしていたけれど、人間にとって妖精界なんてあってもなくても構わないみたいだから、呪いは解けなかったのよ」
「そんなことないよ。妖精界がなくなったら人間界もなくなっちゃうんだろ? 大変なことじゃないか!」
僕は反論する。少なくとも、僕は有紀乃先輩のためにも妖精界のためにも、自分が出来ることをしたいと本気で思ってきた。
「そこまで言うなら、なぜあなたは彼女の呪いを解くことが出来なかったの? あの人に頼まれたんでしょう? 一緒に戦って、って」
「そ、それは……」
言葉に詰まる。なんとか役に立ちたいとは思ったけれど、だからといって有紀乃先輩と一緒に戦争することは、とても出来そうになかった。もっと真剣に話を聞いていれば良かったのだろうか。いや、聞いたところで僕にはやっぱり先輩の本心を理解することは出来なかったと思う。
「レイちゃんの言うとおりかもしれない。だけど、僕は人間界で女王様を説得する方法を探してみるよ」
「やめて、もう邪魔しないで!」
「どういうこと? 妖精界がなくなったら、レイちゃんだって困るだろ?」
レイちゃんが首を横に振る。
「私は復讐をしたいの。女王を殺すのは私よ。だから、黒上有紀乃に先を越されるわけにはいかないわ」
「どういうこと? なんで殺す話になってるの? 人殺しなんてダメだよ!」
「なぜ? 私の父はあの女に殺されたのよ? あの女は王に取り入るために父を利用したの。母が亡くなって気落ちしていた父につけ込んで、貴族の地位を手に入れたのよ。そのあとすぐにお城へ行って、今度は王の心を射止めたわ。そして、あの女に捨てられた父は失意で自ら命を絶った。ハイエルフは長命だけど、自然の精とは違うから寿命もあるし自死したら二度と蘇らないのよ!」
気丈なレイちゃんの目から涙がこぼれる。
言葉が出なかった。辛い過去を告白したレイちゃんに、僕がなにを言っても届く気がしなかった。
「人間だって鳥や魚を殺すじゃない。虫だって殺すじゃないの。それなのに、なぜ妖精が人間を殺したらいけないの?」
「それは……で、でもやっぱりダメだよ! 絶対ダメ!」
「説得力がないわ。ついさっきまで黒上有紀乃と一緒に戦争していたんじゃないの? 妖精が殺されたのも見たんでしょう?」
レイちゃんの言葉で、ドワーフ隊長が石になったときのことを思い出す。死にはしない、とは言っていたけれど、それでも僕には死んでしまったようにしか見えなかった。
戦争には加担したくない。女王様も殺したくない。だけど妖精界の問題をなんとかしたい。この考えは矛盾しているのだろうか。
「やっぱりダメだ。レイちゃんには人殺しなんかして欲しくないよ!」
「嫌よ。それじゃ復讐にならないじゃない……」
レイちゃんは怒って布団を叩く。だけど、まだ力が戻っていないらしく、体を伏せて咳き込んだ。少なくとも、二、三日はこのまま大人しくしていて欲しい。そう思った、けれど。
「もういい。私が死ぬわ」
枕元のナイフを手に取り、ケースからあらわになった鋭い刃をレイちゃんは自分の首元につきけた。
「待って! なんで?! どうしてそんなこと言うんだよ?」
「だって、女王を殺しても、父は戻ってこない。母も、もう誰もいない」
「そんなこと言わないでよ! ね? ちょっと落ちつこう?」
レイちゃんを刺激しないようにそっと近づく。まだ人の話を聞く気はあるようだ。だけど、ナイフは手に持ったままだ。
「じゃあどうすればいいの? 他になにが出
来るっていうの?」
「待って……分かった。僕が、なんとかするから!!」
僕の言葉に、レイちゃんはポカンと口を開けた。
僕だって、なんでそんなこと言ったのか分からない。
でもとにかく、レイちゃんの手からナイフを取り上げるための作戦は成功した。
「なんとか、って、なにをするの? 私は自分で復讐をしたいのよ!」
レイちゃんはナイフを取り返そうと抵抗したけれど、まだ自由に動けるほど体力が回復していないおかげで僕が力負けすることはなかった。
「と、とにかく! 僕が女王と会う機会を作るから、それまでこのナイフは預かるからね! ゆっくり寝て、ちゃんと元気になるんだよ!」
僕はナイフを片手でしっかり抱え、もう片方の手でレイちゃんを布団に押し込む。現状の体力の差を把握したのか、それとも限界を超えていたのか、レイちゃんは目を閉じてしばらくすると寝息を立てた。
***
レイちゃんが完全に眠ったことを確認して、僕は家に戻る。
何事もなかったかのように次の朝を迎え、家族の誰よりも早くテレビと新聞をチェックすると、テレビにも新聞にも、インターネットの情報サイトにも、僕が調べる限りどこにも多治見堂の不祥事疑惑についての話題は見つけられなかった。
本当に、レイちゃんが魔法で僕を助けてくれたのか……
僕は安堵する。
今度は、僕の番だ。
レイちゃんのために、そして有紀乃先輩のために、それから家族のためにも、御伽屋の社長であり妖精界の女王であるその人に会いに行かなければ。
僕はレイちゃんの家から持ち帰ったナイフを握りしめ、改めて決意した。
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