第50話

 ――そして迎えた、1029回目の12月24日。


 外出の許可されている午後、井沢と姫野は2人で、とある場所を目指した。


 既に姫野の寿命は削られており、午前の段階でも何度か胸を掴み痛みに耐えている様子を井沢に見せていた。巻き戻り続けてこれがひどくなれば、いずれ担当看護師、ひいては担当医師にバレることが回避できなくなり、午後の外出は不可能になるだろう。


 そうなれば更にこのループを脱する手段が失われ、心労も重なり、なおも寿命は短くなるだろう。12月24日を迎えることが難しくなり、23日のみの巻き戻りとなってしまう。


 そして、ゆくゆくは23日でさえ、あまり活動時間もなく寿命を迎えるかもしれない。そうなると、井沢が共に巻き戻ることさえ失敗するかもしれない。ここまでの1028回、全て井沢が共に巻き戻れていることが、奇跡に近かった。


 井沢が共に巻き戻れなくなれば、姫野は孤独感を覚えるだろう。更に心労を抱え、いずれは23日の起床後、ほとんど活動することなく急死するかもしれない。そうなれば、起床と死をぐるぐると繰り返し続ける、地獄が待っている。


 最早、あまり余裕がなかった。外出できなくなることは、地獄の門が開かれることと等しい。だから、意を決して、2人は「そこ」へと向かった。




 ――これまで井沢と姫野は、何度も自分達の置かれている状況を語り合ってきた。


『姫野の法則って、不思議を通り越して、本当に不自然だよな』


『ふふ、またその話ですか?』


 巻き戻った記憶は、二度と忘れない。そのせいで同じ話題が出ることはあまりないのだが、話題に進展があった場合はその限りではなかった。


『ああ。巻き戻った時に全てを忘れる法則と、体験者だけは夢でそれを記憶できる法則。この2つだけで、十分だと思うだろ?』


『ええ。なのに、例外がある。それがおかしい、と』


『いや、例外があること自体はいいんだ。世の中の法則にはたいてい例外があって……』


『ふふ、法則に例外がないという法則に対する例外はない、ですよね』


『……そ、そうだ。その、僕が言いたいのは、その例外のあり方が、不自然だって』




 例外:


 法則2は、巻き戻りが複数回重なる場合に、幾つかの条件の下で例外を持つ。


 1.姫野が絶命する。(つまり巻き戻りが生じる状況)


 2.姫野の最後の起床直前に、姫野が巻き戻りの夢を見ている。(つまり巻き戻りが1度目ではない状況)


 3.その夢の中で絶命した第三者(直前の巻き戻りにおける体験者)がいる。


 4.その第三者は、新たな巻き戻りにおける体験者でない。


 上記の条件1~4が全て満たされている時、該当する第三者は、直前の巻き戻りの記憶を失う。


 その忘却のタイミングは、新たな巻き戻りの時刻である。




『どこがですか?』


『複数回の巻き戻りでは、直近の巻き戻りの体験者でない場合に、何でわざわざ過去の体験、過去の巻き戻りで見た夢まで忘れてしまうのか、ってところだ』


『だって、その方が都合がいいじゃないですか』


『都合がいい、とは?』


『巻き戻せば、色んなことをなかったことにできるんです。それなのに、巻き戻したという事実や、私の夢はなかったことにできない。これはあんまりです』


『すまない、よく意味が……』


『私が誰かの死を目撃して、私がその人のために巻き戻したとします。するとその人は夢で巻き戻りを記憶してしまい、あげく、私の見た余計な情報まで覚えてしまうんですよ?』


『ああそうか、姫野のプライバシーもあったもんじゃないな。それに、巻き戻りの夢を見たそいつは、姫野が何か特別な能力でも持っているのではないかと触れ回りかねない』


『そうです! 瑛子景子とかまさにそれ! だから、巻き戻ったという事実自体を忘れさせるシステムが必要なんです』


『だとすると、巻き戻りの法則の例外は、姫野を守るためにあるようなものだな』


『え?』


『まるで誰かが、姫野を守るために作ったかのような例外だな、って』


『はは、そんなこと言ったら、巻き戻りの法則そのものが、私を守るためのものみたいなものじゃないですか。ちょっとどころじゃなく過保護ですけど』


『それもそうか。姫野が死なないように巻き戻る。その際に、姫野の近くで死んだ人が夢を見る。姫野の近くで死んだということは、姫野の死と関連している可能性が高いからな。そいつに未来を見させて、姫野を守れ、とでも言っているかのような法則だ』


『だからなのかもしれませんね、巻き戻った第三者が、自分の夢だけでなく、私の夢まで見てしまうのは。私の行動を把握してもらって、ちゃんと私を守る騎士になるように、……なんて』


『そう……だな』


『え?』


『考えれば考えるほど、姫野の言う通りだ。まるで誰かが、姫野を守れと言わんばかりのシステム』


『え、ええ。そうね』


『そんなシステム、一体誰が……?』




 2人が向かった先は、とある総合病院だった。そこは坂道兄弟の信仰するシ・ルヴィ教系列であり、レンガ作りの西洋風な外観に落ち着いた暗色の建物がズラッと並んでいた。


「いよいよ、ご挨拶に行く日が来たわけだ」


 井沢が含み笑いをしながら姫野にそう言うと、


「は? 真面目にして下さい!」


 と姫野がムスッとして叱りつけた。しかし怒った表情の中にも、照れと喜びのようなものが滲み出ており、それを井沢は愛おしく眺めた。


「悪い悪い。今日は別に『娘さんを下さい!』と言いに来たわけではなかったな」


 と井沢が茶化すと、姫野は更に眉間に皺を寄せ、顔を真っ赤にして井沢を小突いた。




 この病院には、ずっと意識を戻さずに入院している患者がいる。シ・ルヴィ教においては、この世界は神の見ている夢の様なもの。そしてこの世界を生きる1人1人にその神の顕現者が存在する。


『少々分かりにくいかと思いますが、その神様は、人によって異なるかもしれないのです。それは、太陽が1つしかなくても、影が1人1人別々に生じるように。私達は夢の主体である神様の存在を直接見ているわけではなく、神様が夢の中に投影したご自身のお姿を、私達が見ている、ということです』


 かつて景子が言っていたように、井沢にも、姫野にも、それぞれ別の誰かが神を顕現していると考えられている。では、姫野にとっての神とは、誰だろうか?


 もしそんな人物がいるとしたら、姫野を巡る一連の現象も、その神とやらの仕業かもしれない。しかも、入念な法則と例外まで用意して、姫野を「過保護に」守ろうとする存在。


 姫野には、思い当たる人物が1人だけいた。


 幼い頃から知っていて、1度も声すら聞いたことがない人物。




「お母さん、久しぶりだね」


 姫野の出産時に意識を失い、今もなお目を開けることのない、姫野の母がそこにいた。

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