第13話
十勝はわざとらしく手をポンッと打ち、「あー」と頷いた。そう、井沢はこれまで、姫野に対しては丁寧語を数えるくらいしか使ったことがなく基本的にタメ口で話し掛けており、対して日村、森尾、その他の大人達、そして十勝にも丁寧語で話していたのだ。井沢は、「何だ、そんなことか」と思い少し安心して、理由を考えた。
「別に意識して変えていたわけではないから何とも言えないけど、見た目かな?」
テーブルの下から、「ゴッ」と鈍い音がした。直後、姫野が涙目で唇を噛み締めながらうずくまった。井沢の足を蹴ろうとして、テーブルの脚を思いっ切り蹴飛ばしてしまったのだった。相当強く蹴ったみたいで、姫野はうーうー唸りながら動かなかった。それを見て、十勝は片手を口に当てて「あはは」と笑っていた。
「……おい、大丈夫か?」
少し冗談のつもりで姫野をいじった結果であったため、井沢は少し悪いと思って姫野の身を案じた。席を立って姫野のそばまで行くと姫野はうずくまったままペシペシと片手で井沢の太ももを叩いた。今にも泣きそうな声で、姫野が呟くのが聞こえた。
「だ……れが子……供……よ……うう……」
今にも泣きそうだったのが、何とかこらえそうか、と井沢が焦って眺めていると、姫野は少し間を置いた後に声を殺して泣き出した。
「ひぅ……ひぅぐ……っ」
幸い授業時間中であったため、食堂には人が少なく、姫野の泣き方も静かだったので騒ぎにはならなかった。しかし井沢の内心は冷や汗にまみれていた。まさかちょっとした冗談でこんなことになるとは。
「うんうん、痛かったねー」
十勝が姫野の頭を優しく抱え込んでいた。それを眺めていた井沢は、不謹慎ながらも仲睦まじくて良い絵だな、と思った。十勝がチラリと井沢に目を向けると、少し口を尖らせて井沢を諭した。
「ダメですよ井沢さん。この子は痛いのすごく苦手なんですから」
元はといえば井沢がいけないことに違いはないが、井沢を蹴ろうとして足をぶつけたのだから何か理不尽な気もしたが、目の前で女の子が泣いている状況に井沢も狼狽しており、素直に「はい……」と応じた。その態度に気を良くして、十勝は姫野の頭を撫でながら井沢を説教した。
「子供扱いもタブーです。こう見えて、実は色々と大人なんですから」
どうも先程までと立場が逆だな、と思いながらも、井沢は女の子にたしなめられた経験があまりなかったので、何だかもやもやした気分になっていた。そんなことに気付く由もなく、十勝はフフンと口元をニヤつかせながら続けた。
「結夢の大人エピソードその1、好きな先輩男子に23回告白する」
唐突なエピソードに、井沢は思わず「は?」と聞き返した。姫野もまた、顔を上げてぎょっとした表情で十勝を見やった。姫野の頬にはくっきりと涙の跡がついていた。
「イケメンの先輩にコクって、フラレて、私と一緒にアレ。そして少しシチュエーションを変えてコクって、ムグムグちょ結夢ムグ」
姫野は顔を真っ赤にして十勝の口を塞ごうとしていた。井沢は急すぎる話についていけなくなっていたが、少し遅れて「なるほど……」と呟いた。姫野が思い付いたようにポーチを探り出すと、十勝がその手をがっしりと掴んだ。
「ダメだよ結夢~? そんなに簡単に薬を飲んじゃ~」
姫野は口をワナワナとさせ、眉をハの字にして真っ赤な顔のまま涙を流し続けた。今日は見たことない表情ばっかりだな、と井沢は思った。
「はーなーしーて! 何で井沢さんにそれ教えちゃうの! バカ! バカゆっち!」
罵られている十勝はというと、ちょっと嬉しそうに照れている。これまでも何度か似たような罵られ方をしてきたのだろう、その表情は、懐かしい過去を振り返っているようだった。
「大丈夫、他の人には絶対内緒だから! 日村先生と森尾ちゃんにしか話したことないし!」
それを聞いた姫野は、口をぽっかりと開けて、絶句した。そして、一呼吸置いて叫んだ。
「何で日村と香織に話してんのよ!!」
食堂に人が少ない時間帯とは言え、3人は明らかに注目を集めていた。
――5年前。十勝、姫野。仲良し中学生。
「大丈夫。姫野なら絶対OK出るから!」
「そう、かな……?」
「うん! 間違いないよ! もしダメだったら、私と一緒に薬飲もう?」
「……うん、そうだよね。なかったことにすればいいもんね」
『放課後、体育館の裏で待ってます。』
下駄箱に書き置きを忍ばせるという、ベタな呼び出し方だった。しかし、放課後にいくら待っても、先輩はそもそも現れなかった。
「う……うーん? あれだよ! 先輩何か大事な用事がね? ほら!」
「ひぅ、うぐん、ひぅ……」
二人は安楽死用の薬を飲み、その日をリセットした。
「とりあえずさっきのはノーカンで!」
「私、夢の中で号泣したせいで気が重いんだけど……」
「うんうん、夢は夢! さあファイト!」
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