第34話
(うー、寒い)
4年前の12月25日。12回目。姫野は1時間ほど、寒空の中を歩き回っていた。
(あと20分くらいね……)
折角なので、あの男が事故に遭う前の様子を観察しようと思い、手当たり次第歩き回って探していた。
(ただ、あのケーキおいしそうだな、と思って、お店が知りたいだけですし……)
事故で散乱したケーキの箱なり包装をちゃんと確認すれば良かったのだけど、あいにくそこまで考えずに巻き戻してしまった。認識したものならば巻き戻りでも忘れないが、認識しなかった情報が巻き戻しで補われることはない。
(結局、見当たらず、か。ケーキ扱ってるお店なんて、この辺ごまんとあるものね……)
ブーツは高級でこそいい。見た目、履き心地もさることながら、やはり特筆すべきはその性能。雪の中を歩き続けても水が染み込んでくる兆候すらない完全な撥水性。
(これで、ブーツの中が床暖房みたいになってれば完璧なのになあ……)
いくらブーツが高性能とはいえ、雪の積もった町中を1時間も歩き続けたら当然、体は芯から冷え切ってしまう。顔も、手も、足も、アイスキャンディーのように凍えてしまった。
「……慶、本当に良かったのかい?」
しばらく姫野がうろうろしていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
(あのお婆さん! あの男の人といた!)
そしてその老婆の隣には、ケーキの箱を顔の高さまで掲げ、嬉しそうにニヤける男がいた。
「ああ、任期4年の研究ポストが決まったんだ。自分へのご褒美も込めて、な」
それはまさしく、姫野をかばって事故に遭った、あの男だった。
姫野は、活き活きと話す男を見て、少し安心した。
(覚えてなさそうね。初めて会ったのが瀕死で、目の前で亡くなった人が、こうしてピンピンしてるの、不思議だな……)
「慶にケーキを買ってもらう日が来るなんてねえ……」
姫野は、堂々と2人の後ろに張り付いた。どうせ覚えてないのだから、バレやしない。バレても知らんぷりか、最悪巻き戻せばいい。
「いつも買ってもらってばかりだからな。もう買わなくていいぞ、この通り、僕の今の稼ぎでもケーキくらい買える」
事故の時間には、前と同じ車がややスリップ気味に運転していた程度で、事故らしい事故は起こらなかった。検証を済ませた姫野は、あくまでケーキの銘柄を探るために、2人を尾行することにした。
(名前はK? ハーフには見えないけど? 名字は?)
姫野は、あと少しでケーキの箱が見えるんだけどなあ、と思いながらも、ジロジロ見るのははしたないからという理由で、自然に店名を確認できるまで尾行を続けることにした。段々と商店街を外れていき、人通りがやや少なくなってきた。偶然聞こえてきてしまった会話の内容から、2人は親子であり、この先の住宅地に住んでいるとのことだった。
(折角だから、どんな家に住んでいるのか気になるわね。ボロボロの服だし、きっとボロボロの家でしょうけど)
更に尾行を続けると、いよいよ住宅地が近くなり、人がまばらになっていった。ここで、ふと姫野は「あること」をしようとしていたことを思い出した。しかし、こんなところでそれをしたら、バレて完全に変質者である。
(あ、どうしよう? どうしよう?)
姫野は慌てて2人から離れた。辺りは暗くなり出していて、遠く離れての「それ」はさすがに無理なようだった。それに人がまばらになったとはいえ、やはり周囲から見て明らかに変質者になってしまう。
(巻き戻す? せっかくなら家を確認してから? どうしよう?)
段々と至高に余裕がなくなり辺りをキョロキョロと見回す姫野は、既に周囲から見て変質者の域にあったが、当の本人はそんなことに気付かなかった。
(あ、あれ?)
ふと気付くと、2人を見失っていた。暗くなっているのに距離を取りすぎたためだ。慌ててシャリシャリと雪を踏む足を早めると、姫野の視界に色鮮やかな光が飛び込んできた。
「今年もやってるなー」
そこは公園だった。そして、あの男もいた。母親である老婆と一緒に、数多の光を眺めていた。
(きれいなクリスマスツリー……この公園はクリスマスの電飾やってるんだ……)
先程とうって変わって、公園には人だかりが出来ていた。
中には、カメラや携帯機をかざしている人も少なくなかった。
(あ、あ! 今、今じゃないの!)
それを見て、姫野は慌てて携帯機を取り出し、「それ」を行った。
後に海で十勝に見られることとなる、自撮り。背景には、焦点の合っていないクリスマスツリーと、嬉しそうに笑う、男の姿。
結局、2人が家路に就くまで姫野の尾行は続いた。
表札を確認し、姫野は空を見上げた。雲で隠れた夜空が一瞬だけ晴れ間を見せ、まん丸い月が顔を覗かせた。
(井沢……さん。うん、井沢Kさんね!)
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