姫野と……

第46話

「ふふっ」


 井沢と並んで街中を歩く姫野が、ふと白い息と共に笑みをこぼした。


「はは、さっきから笑ってばかりだな」


 そう言いながらつられて笑い掛ける井沢に、姫野はコツンと肩で体当たりをした。


「……思い出し笑い、ですよ」




 街中で、最も賑わいを見せるスポット。そこに2人は訪れていた。


「私、映画館なんて高校生の頃にゆっちと行って以来ですよ!」


 と姫野が顔を綻ばせると、井沢は首を傾げながら


「ついこの間まで高校生だったんだよな……?」


 と返した。すると姫野は顔をわざとらしく膨らませ、


「今はもう大人の大学生ですよ! 人は1年で別人になるんです。それに、私の1年は常人よりずっと長いんですからね!」


 と反論した。確かに人より長い1年を過ごしていることに違いはないが、大人かどうかは微妙だな、と井沢は反論しようと思ってやめた。言うまでもなく未成年であることはともかくとして、昨日の1件以来、姫野がたまに見せるようになった幼い反応に、井沢は少し安心しているからだ。


 姫野が無理に大人っぽく振る舞おうとしているのではなく、自然体で井沢に接してくれている。そのことに井沢自身が信頼を感じ、嬉しく思っていた。加えて、姫野のストレスを軽減する上でも良い傾向であると考えていた。


(あ……)


 井沢はふと、自分が姫野のストレスについてばかり、心の奥底で気にしていることに気が付いた。姫野がストレスを感じ続ければまた心停止するおそれがある以上仕方ないことではあるが、それだけではない、何か嫌な予感を井沢は感じ取っていた。




「井沢さん?」


 姫野が心配そうに井沢の顔を覗き込んでいた。慌てて井沢は笑顔を繕ったが、姫野には感づかれていることを直感で悟った。


「すまん」


 素直に謝った井沢に対し、姫野も少し悲しそうな笑顔で応じた。


「すぐ眉間に皺を寄せるんですから。将来こーんな顔になりますよ」


 と姫野はわざと変顔をし、井沢と共に笑い合った。




 ――ズキン。




 姫野は、分かっていた。


 井沢が心配していること。


 そして、自分の身に起きていること。



 たまたま昨日を「抜け出す」ことが出来たものの、次は、分からないこと。


 頻りに襲い掛かるこの胸の痛みは、気のせいなんかではないこと。


 もう、あまり後がないこと。



 だけど、せめて今日は。


 特別な、今日だけは。




「さ、中に入りましょう。女の子と映画を見れるなんて、井沢さんなんかじゃ滅多に経験できないでしょうね」


 悪戯っぽく笑う姫野を、軽く小突く井沢。それが嬉しくて、思わずまた微笑んでしまう姫野。つられて、笑ってしまう井沢。


「この映画、何度もCMで見たんですけど、そのたびに見たいなーってずっと思っていたんですよ。豪華キャストにお金掛かってそうな映像。これだけ条件整ってて面白くなかったら、詐欺ですよね」


 姫野と井沢の手に係員から渡されたパンフレットには、「最後の色」というタイトルが大きく、しかし消えかかったようにかすれて印刷されていた。人々の視界から、徐々に色が消えていってしまう未来。主人公の男女が、そんな色彩の荒廃の中で、静かに愛を見つめるラブストーリー。


 有名な監督の新作として大々的に発表され、そのCMの奇抜さから一気に注目を集めた作品だった。悲しいほど静かに、ただ男女のいる景色が流れ、ナレーションもなく、最後にタイトルが告知されるというもので、パッと見ただけでは映画の宣伝ということすら分からないものだ。そして何より、このご時世に白黒映画という逆行ぶりがまた反響を呼んだ。「最新の映像技術満載の白黒映画」という触れ込みも聞き慣れたものであった。


 上映ホール入り口で、井沢と姫野は映画視聴の補助具として、貸し杖を手渡された。ホール内は非常灯を除き完全に消灯されており、足元も自分達の椅子の場所も分からない有様だった。しかし手渡された杖をコツコツと突いてみると案外進む方向は分かるもので、不意に杖が振動したと思ったらどうやらそこが自分達の席だったようだ。


「良く出来てるものだな」


 と井沢が感心して振り向くと、少し服が引っ張られていたことに気付いた。姫野が、杖を突きながら井沢の服の背を軽く握っていたようだった。


「……う、うん。そうですね」


 そうこうしているうちに、気が付くと上映時間が近付いており、非常灯も落ちた。周囲がガヤガヤと賑わうも、アナウンスもなく上映が開始された。そしてホールはしんと静まり返った。




『最後の色』




 ――上映が終わると、ホールに明かりが灯った。



 入場時も真っ暗だったので気が付かなかったが、ホール内には壁一帯に赤いチューリップのイラストが描かれており、それに気付いた観客が次々と歓声を上げた。



「うわっ、ラストの花畑を、そのままホールに投影したって感じだな」



 井沢がそう呟いて姫野を見た。



 しかし、姫野は返事もせず。



 ただ俯いて固まっていた。




「姫野!?」



 井沢が慌てて姫野の肩に手を置くと、姫野が杖を床に落とし、両手で顔を覆った。



 肩に置いた手に震えが伝わってくるのを感じ、井沢はほっと胸を撫で下ろして息をついた。



「……来て良かったな」



 その言葉に、姫野は黙ってコクンと頷いた。

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