第2話
井沢の夢――
「科災対1研、井沢、入ります」
一人の若い男が自動ドアの認証キーを解除し、部屋へと足を踏み入れる。ここは科学災害対策本部の特別棟地下にある研究室である。特別棟の地階フロアはさほど大きくないが、この研究室の広さはサッカー場ほどもある。研究員たちはせわしなく動き回り、中には物資運搬用の自動台車に乗り込み移動するものもいる。
「よく来た。会えて嬉しいよ」
井沢を迎えたのは、恰幅の良い男だった。彼はこの研究室の長であり、時空学会における権威である。そして彼は井沢をここに招いた張本人でもある。
「光栄です。日村先生の下で働かせていただける日が来るとは思いませんでした」
井沢と日村が軽く挨拶を済ませると、研究室の奥から二人の女が向かってきた。一人は短髪の研究員で、もう一人は長い髪が印象的な中学生くらいの子供だった。その場に似つかわしくない子供の存在に井沢は一瞬目を取られたが、ひとまず短髪の女研究員に挨拶をした。
「初めまして。今日から日村研に配属になりました井沢です」
井沢は握手を求めると、女はそれに応じ、自己紹介を行った。
「初めまして。日村研の次教の森尾です。早速ですがこちらを打たせていただきます」
森尾と名乗る女は次教、すなわち室長の日村の次に権力を持つ研究員である。急な話に疑問符を浮かべる井沢の前に差し出されたのは、注射器であった。慌てて井沢は口早に真意を問いただした。
「ちょっと待って下さい。何です? この薬品は。守秘研究だからとはいえ、まさか研究員の募集と偽って治験の募集を行っていたんですか? さすがにそれはお断りさせていただきますよ」
守秘研究というのは、政府が管轄する研究の内、研究内容そのものが重要な国家機密を含むもののことである。そのため守秘研究を目的とした研究員の募集は、適切な申請を行いさえすれば研究内容が公示されなくても良いという法規がある。当然守秘研究の従事者もまた研究内容を一切口外することは許されず、そもそも守秘研究を行っているかどうかすら公表をすることが認められていない。しかし風の噂では守秘研究の給与は通常の研究業務と比較して非常に魅力的であることが研究者の間では知られており、自分と畑の近い研究分野で有名な研究所が守秘研究の研究員を募集している場合は率先して応募すべしと言われている。
「いや、すまない。これは治験ではないんだ。森尾さん、話が早すぎますよ。井沢くんにまず守秘研究を理解してもらうのが先でしょう。感覚が麻痺する気持ちも分かりますが、これは人の命に関わることですよ」
日村は井沢に弁明をすると、森尾を丁寧にたしなめた。しかし「人の命に関わること」と聞いて、井沢は更に不安を募らせる。
「人の命に関わるって……治験じゃないっておっしゃいましたよね? どういうことですか?」
日村は再び井沢に向き直り、ポケットから何かを探す素振りを見せた。それを見て、代わりに森尾が説明を続けた。
「ここにある3本の注射器をご覧下さい。これらには全て、安楽死用の薬が入っています」
井沢は嫌な予感の更に先を行く回答を受け、混乱が渦を巻いていた。
「安楽死用の薬? それを僕に打つつもりですか? 治験どころの騒ぎではない。結果が最初から見えているじゃないですか。まさかこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした。僕は帰らせてもらいますよ。そして弁護士に相談させていただきます。守秘研究のトラブルはここ最近多いらしいので専用の弁護士がいると聞きます。全く信じられない話です、まさか自分が世話になるなんて!」
日村は溜息をつくと、眉間に皺を寄せて森尾を一瞥し、それから井沢に手を合わせて謝罪した。
「いや、本当にすまない。森尾さんも、だから先にちゃんと話をすべきだと」
それから日村は紙を取り出し、井沢に手渡した。そこにはこう記載されていた。
『以下に、検体の有する法則についてまとめる。』
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